四十八
西へ。
小舟で南の国の端まで入った。
商人風を装い、街道を一路西へ。
鈴は弥勒に背負われている。
背に縛られて。
まるで、離れることを許さないように。
ーーー
目覚めた鈴は散々暴れた。
懐剣がないことを知ると舌を噛もうとし、小舟から身を乗りだして入水も図る。
弥勒の長槍の刃先をその首に当てようとするのを小舟を漕ぐ草の者に止められ、泣き出して死を懇願する。
大きな声で泣きわめき、弥勒を罵倒する。血走った目でにらみ、今も隙あらば自害を目論んでいる。
弥勒はその小さくとも凶暴な力を秘めた身体を抱きしめて、叱りつけ、謝り、そして手足を縛り上げた。
そうして、ようやく小舟が目的地に着いた時、暴れ疲れたのかグッタリとした鈴は易々と弥勒に運ばれた。
「水」
静かな小さな声で、鈴が水を欲した。
弥勒が、すぐに鈴を抱き起こして竹筒の水を飲ませた。
「私は何故生きているの」
小さな声だった。
「私が助けたからです」
「では、このまま、私を捨て置いて、弥勒は行ったらいい」
「それはできません」
「何故」
「佐渡川様に命を受けています」
「父上様・・・」
弥勒はようやく腰のあたりに縛り付けていた文を取り出した。
鈴を座らせている前に進み、その文を捧げ持ち、それから開いた。
「『これより、我が身は散る。しからばこれが我が最期の頼みとなるが、お前は国を去り、生き伸びてこの戦の世がどうなっていくのかを見続けろ。弥勒にそなたの命を預けた。生き尽くせ』」
「生き尽くせ・・・」
弥勒は、ポタポタと涙をこぼす鈴を抱きしめた。
頭を撫でて、背中をさすった。
「鈴を頼む、と仰られました。」
「父上様は、」
「私の脇差で、自害なさいました。
それは、お見事な最期でした。
そして、お鈴様。
佐渡川様は、この文を渡される時、おっしゃいました。娘の命を無駄に散らしたくないと。
だからっっ。
だから、なんとしても貴女をお救いいたします。
なんとしても、生きていただきます。」
弥勒は、拘束していた鈴の手首の手ぬぐいを外した。
鈴はそのまま、弥勒に身体をもたれさせて静かに涙を流した。
弥勒はいつまでもいつまでも鈴の背をさすり続けて、その呼吸が寝息に変わるまで、抱きしめていた。
翌朝、西へと出発した。
鈴は、弥勒の背に縛り付けられた。
旅は長い。
道中での落下防止と、逃亡や自害を防ぐためだ。
手は弥勒の首に回されているが、弥勒は時々、その手を握りしめた。
鈴は何も言わなかった。
街道では時々人に話しかけられたり、その身体の大きさから足軽や士官への勧誘もあったが、弥勒は『妻の病が西国でなら治ると聞きまして、その旅の途中なのです。』との一点張りであった。
そんな時は、『いい旦那を持ったねえあんた。』と背中の鈴に話しかける者もいたが、鈴はぼんやりと見つめ返すだけで、なんの反応もなかった。
思いの外、旅は順調に進んだ。
緩やかな丘から、広い野原を見渡した。
強い風が、吹き荒れた。
弥勒の笠が吹き飛ばされて、高く舞い上がった。
西へと向かう道々、恐ろしい話が耳に入った。
西の強国が、一夜にして崩壊。
家臣の裏切りになす術もなく、西は大混乱に陥っていると。
弥勒は街道ではなく、川沿いの道を選んで、なるべく急いで歩いた。
西国は、もうすぐである。




