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三十七

堀川の嫡男、広次が鈴を訪ねた。


目をあちこち巡らせながらも、すすめられるままに座した。


「今日はいないのですね」


「弥勒でしたら馬の足慣らしに行ってます」


「なにかあったのですか?」


「いいえ。なにも。

それよりも、広次様は今日はいかがいたしましたか?」


「うーん、特になにもないのですが、もしできますならばお鈴殿に書をお借りしようかと」


「では、どうぞお好きなものをお持ちください。私にできることと言ったらそれぐらいのものです。」


鈴は広次の方を見ているが、視線は広次の身体を通り越した何処か遠くをみているようだった。


広次も人に仕えている身なれば、鈴がなにかしら思いを押し込めている様子に感づいた。


感づいたが、しかし、そこは少年期を少し過ぎたぐらいの若者である。


女の心の機微など推し量れるほど人生を学んではいないし、ましてや未だ好いた女子と思いのやり取りをするような色めいた経験もないのである。


できるのは、気づかないふりをして退却するのみだ。


ーーー姉(お葉)に相談してみようか。


広次はその思い付きに気が軽くなったのか、少し明るい話題で話をして、様子を見て書を借り、退室した。


広次にしては上出来である。


そのままお葉の元へ行き、鈴の様子が何故か気になると相談したが、お葉には、

「貴方にはどうせなにもできまい。何もするべからず」と言い放たれた。


とぼとぼと板の間を戻り、何とも言えない敗北感に苛まれた。




だが、翌日アッサリとその謎は解けた。



ちょうど馬の手入れをしているところに、泥だらけの弥勒が籠いっぱいの薬草や茸を背負って戻ってきたのだ。


広次に気づくと深々と頭を下げ、こんななりですので、とその場をすぐに辞した。


そのすぐ後ろを足元を泥だらけにした女子が弥勒を真似て広次に頭を下げ駆けていった。


しばらくはこの少年上がりの若者は首をかしげていたが、そのあと、井戸端で足を洗う女子を見ていて合点がいった。



お葉が出てきて、広次にもう一度言った。


貴方にできることはない。

なにもするな、と。




だが、広次は言った。




では、できることをします。と。




ーーーーー



「弥勒殿、あの女子をどうお思いか?」



単刀直入とは、男の得意技である。



「親がいない身なれば、親子のあり方を見て羨ましく思います。」



「そうではなく、あの女子を、だ」


「女子。ーーーああ、ナツメさんですか。可愛らしい方ですね」


「可愛らしい?それは好いているのか?」


「いいえ、まさか」


そんなことはありません、と、笑う弥勒にこの上ない真剣な目で、広次は言った。



「お鈴殿はそうは思うてはおらぬと、思うぞ」




弥勒の柔らかな笑顔が一瞬にして消えた。

そうして、これ以上ないほど鋭い目をして、顔を上げ、ただ一言、



「お知らせくださり、ありがとう存じます」


と言って、ゆっくりと頭を下げた。



「弥勒殿、そなたが百姓の婿になるなら、お鈴殿は私がいただく」



「わかりました」



広次の前を辞した弥勒は足早に鈴の元へと向かった。


それを見て広次はため息をついた。




後ほど、お葉にこの話をした時、広次は苦笑いで言った。


ーお鈴殿を嫁になどむかえたら、毎日弥勒からあの悪鬼のごとき形相で睨まれるんでしょう?そんなの御免こうむります。ー






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