二十三
弥勒と春
準備が整った。
明け方、出発した。
お名残惜しいから町外れまで見送らせてほしいと、弥勒の申し出に春の夫はなんの疑いもなく了承した。
旅装の夫婦と、商人らしき男の三人は和やかな雰囲気で歩きはじめた。
まだ暗さの残る頃合い、すれ違う者もなく、三人は歩き続けた。
町外れで別れ、夫婦は街道へ。
弥勒は見えなくなるまで見送り、すぐに道をそれて川沿いへと歩き出した。
ここから彼らが通る峠までは、弥勒の足であればたいした距離ではない。
ペタペタと音のする草履を脱ぎ、袂からわらじを出し素早く足にくくりつけた。
そうして、野原を駆け、山道へと入り、かねてより通り慣れているけもの道に入り、峠へと続く街道を目指した。
―――
今回の件が佐渡川直々の命であることは、此度同行してきた三人の武士や人足たちにもたしかめた。
茅野に相談した時には、佐渡川からすでに書状が届いており、着々と計画が進んでいることを知らされた。
実は国へ納める荷は、とうに船で出発しており、品が品だけに、佐渡川の配下と佐渡川と同じ役職の藤野の配下が万事抜かりなく警備しながら運搬している。
何も知らない春の夫は用意された擬似荷を数え、あとは人足たちに船まで運ばせるよう算段していた。
ーーー
「おかえりなさい」
茅野が店で、戻ってきた2人を出迎えた。
春の夫は、春が自分を裏切ることを察知していた。
だから、町はずれで弥勒と別れて後、街道が峠に差し掛かる頃、春を羽交い絞めにして真意を問うた。
春はずっと言い逃れていたが、そこへ弥勒がやってきたのを認めると、どうにか夫の腕から逃れた。
弥勒は朱塗りの長槍を持ってきていた。
全速力で向かってくる弥勒に驚く夫の体勢が崩れた。
春が短刀で一刺し、弥勒が一刺し、同時に貫いた。
なぜお前が、と喉の奥から絞り出す声と、驚愕と苦痛に満ちた死に顔は弥勒の目に焼き付いた。
おもえば人を殺めたのは、初めての事だった。
長槍に着いた血を払い、地面に刺し立てた。
ぶるぶると震える手をぎゅっと組んで力を込めた。
狩りをするときに獣を仕留めるのとはちがい、大きく膨らんだ命がはじけ散るような感覚に、身震いする。
そんな中で、眼だけはぼんやりと春を眺めていた。
春は夫の袂から身元の分かりそうなものを抜き、着々と次の行動へと進んでいる。
ああ、春は侍女ではなく、草の者(忍び)だったのだなと、納得していた。
山中に春と弥勒とで埋めて手を合わせた。
明日になったら西へと旅立つ。
人の死は初めてではないが、自らが殺めたことで血が騒ぎ続けている。手が震え、イライラとざわめく気持ちの持って行く先が思い至らず、さらに、イライラとする。
弥勒のせまい部屋に入ると、2人は強く抱きしめ合った。
春は
「いいの。それでいいの。」
と何度も言いながら、その体を弥勒の好きにさせた。
明け方、血の付いた着物や草鞋を燃やした。
二人の消息はそれからしばらくして途絶えた。




