二
後世、ある一時期を指し、戦国時代と呼ばれた。
国中が乱れ、戦いに明け暮れた中で、名だたる武将の功績は永く讃えられ、また、広く伝わった。
小国が大国をたった一日で破っただの、数日で遠方より馳せ戻っての大戦だの、派手な話には事欠かない。
また、天晴れな武勇伝は都から鄙びた片田舎の百姓にも広く伝わっていった。
天下は、それを欲する者の手から手へと、太平の世を待ち望む声を頼りに渡って行った。
だが、武将と違い、民百姓のほとんどは、支配者が幾度変わろうとも、土地が荒されず、暮し向きに変化なく、生きる場所が確保できれば、それでよかった。
山の幸、海の幸、田畑の恵みに感謝して、時々嵐のように国が騒がしくなるのをやり過ごし、そうして時代が緩やかに変わるのを見届けた。
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弥勒は寺の門前に捨てられた子の一人だった。
流行病で母が死んだか、家族の口減しにあったか、それはわからない。
小なりとはいえ、土地柄も領主も良かったためだろう。この時代にあって、小さな命を消し去ることなく、生きる道を残してもらえたのは稀である。
寺は荒れ寺や小さな菴でもなく、この国の領主の先代が先先代の菩提寺として建立したという、しっかりと後ろ盾も確保した大きな寺だった。
仏像も仏具も、派手ではないが揃っており、釣鐘もある。和尚は温かい人物で、旅人や病人も喜んで引き受けてくれるので、近隣の民たちはみんな慕っていた。
広い境内には、子どもたちが集い、みなで遊んだり、手習いやちょっとした行儀作法を学んだ。
平和な毎日がそこにあった。
弥勒がまだ歩き始めた頃、毎夜寝床を抜け出しては弥勒菩薩のお膝元に丸まって眠っていたらしい。
本人が何を思って数ある仏像の中から弥勒菩薩を選び寄り添ったのかはわからないが、これも御仏のお導きと『弥勒』と呼ばれるようになった。
物心がついて、さすがに皆と寝所で共に眠るようになったが、弥勒菩薩を念入りに磨いたり、何かあれば長い時間祈ったり、と、寄り添う気持ちは強かった。
ほかの同年代の子どもよりも身体が大きく、病知らず。
優しくおおらかな性格は和尚を見て育ったせいかもしれない。
水汲みや畑仕事、薪割りも早くから担い、黙々とこなす。
大きな身体だが、小さな子どもたちに好かれ、犬や猫、馬にも懐かれる。
弥勒のまとう空気はいつも静かで優しかった。




