十六
弥勒と離れ離れ。
鈴の章です。
半年が過ぎた。
こちらから隣国との和平と同盟を願い出てから、三ヶ月が経っていた。
その間に、外からは窺い知ることが出来なかった隣国の内部での不穏な動きがすこしずつ漏れ聞こえてきた。
家臣の間で勃発する勢力争いは、主家を揺るがす問題に発展しやすい。
そんな中、正式に人質の話がすすみ、佐渡川が申し出た通り、鈴がその役を担うことになった。
鈴が送り届けられた後、佐渡川は鈴の部屋へと入った。
だが、部屋には何もなかった。
まったくの空き部屋だった。
女子の好む小物も、鏡や文箱もなかった。
さらには、侍女であった春はこのひと月前に、かねてより約束のあった男と夫婦になり、鈴の出た後すぐに屋敷を下がったという。
春の侍女仲間に聞くと、鈴は自分の持ち物を最低限残して、他はすべて侍女や欲しいという者に下げ渡していたらしい。
そして、部屋をきれいに「空き部屋」にしておくよう言い残して、隣の国へと旅立って行ったという事だった。
佐渡川は、しばらく座り込み、一筋涙を流した。
ーー我が末娘は、我が子の中の誰よりも自らに見切りをつけるのが早い。
もう帰ることはない死出の旅と心得て、屋敷を出たのだ。
・・・ならば儂も覚悟を決めねばなるまい。
佐渡川は立ち上がった。
ここのところ、何につけ邪魔を仕掛けてくる家老の一人に話を付けねばならない。
隣の国との同盟は、一先ず成ったのだ。
自国の足元を盤石にしないで、この先をどう生き残っていくというのだ。
佐渡川は部屋を出て、足音も大きく、勇み歩き出した。
ーーー
人質となった鈴は、堀川家に預けられることとなった。
足の悪い鈴の面倒を見る女は、大きな体でいつも大きな声で笑い、よく気がきく者で「ゆき」という。
お付をだれも連れてこなかったこと、足が悪く歩けないこと、は、人質として優秀とみなされたのか、堀川家での待遇は悪くはなかった。
鈴の部屋は離れでも日当たりよく、縁側もせり出して居心地が良い。
本来ならば、こんな縁側などのない、警備の厳重な場所をあてがわれるのだろうが、足が悪く、どうせ逃げられないという条件が幸いしたのだろう。
庭先は垣根が頑丈に張り巡らされ、その向こうには土塀もしっかりと組まれている。
その垣根の内側に、ゆきは花を植えてくれた。
「春になったら、小さなかわいい花が咲くんですよ」
と嬉しそうに教えてくれた。
また、堀川家には10になる娘がいて、鈴の部屋に遊びに来ることが多くなった。
小鳥を見せに持ってきて、おさびしいだろうから差し上げますと、籠をそのまま鈴の部屋に置いてってくれた。
書を貸してくれたり、絵を描いたと見せてくれたりと、自分に妹がいるような気になるほど、よくなついた。
8つになる弟やお付きの童も、ときどき庭先に入ってきてはコマを回して見せてくれる。
今度は剣術を見せてやろう、と木刀を振り回し、ゆきにしかられて、鈴の背中に隠れることもあった。
平和な日々だ。
こんなに何事もなく、過ぎていて大丈夫なのだろうか。
自分の覚悟は、なんだったのだろうか。
もしかしたら、国元に帰ることができるかもしれない。
そんな気持ちにさえなる優しく温かな日が続いた。