汽笛がきこえる
部屋のドアを閉めて照明のスイッチを入れる。僕の周りと、左側にあるキッチンの周囲がオレンジ色の光に満たされ、白い冷蔵庫が現れた。中からウェルチのグレープジュースのボトルを取り出してグラスの半分まで注ぐ。冷凍庫にしまっておいたウォッカの瓶を出そうとして、手を止めて少し考えてから止める。日曜日の寝起きが悪いとずい分損した気分になりそうだ。ため息とともに照明のスイッチを落とすと、再び部屋は闇に沈む。ウェルチのグラスを持って窓の横に行く。窓辺からの光が夜闇をわずかに薄めているが、2枚あるカーテンを両方とも閉めるとたやすく遮られてしまう。小さな椅子に腰を下ろして外に眼をやる。光のもとは少し離れた先にあるホームセンターの看板だが、9時をまわると消えるはずだ。
僕の会社がアメリカの西海岸に現地事務所を構えるプランはけっこうあっさり決まったらしいが、そのわりにはオフィスを構えるための物件探しはなぜか時間がかかった。そこから現地に派遣するスタッフの選定はわずか半日で完了したが、今度はそのスタッフの滞在するホテルなりマンションなりの手配に手間取った。最近の流行の、爆速かバカ速か知らないか、とにかく突っ走るだけしか頭にない人達の集団とはつくづく非効率であると言わざるをえない。結局、長期滞在者用のウィークリーホテルが何とか見つかったと同時に僕は出張を命じられて、6回目の夜をウェルチとともに迎えている。夜にホテルの部屋にこもって本社でのやり残した仕事をノートPCでこなしつつ、昼間は現地のコーディネイターとやりあうという見事なまでの二重業務だ。三日目あたりはかなり頭にきたが、こちらの段取りがある程度ついたらすぐに帰国してもよいという上からのお達しをとりあえずは信じてやっていくしかない。
長期滞在者用と言ってもホテルはホテルだから、テレビとベッドとユニットバスしかない。簡易なキッチンはあって自炊も出来るのだけど、この州の火災防止のポリシーは煙の探知機の性能をひたすら鍛え上げ、ついには何も知らない不運な旅行者が豚の生姜焼きをフライパンで炒めただけで感知するほどまでの精度を実現していた。容赦なくフロア中に鳴り響く非常ベルの音に青ざめた夜のことはおそらく一生忘れないだろう。もっとも、本音としては料理があまり好きでも得意でもない僕にとってはやかんで湯を沸かしてコーヒーか紅茶を淹れられさえすればそれでよかった。それに幸い近所、といってもレンタカーとフリーウェイで移動できる距離という意味だが、にファストフードを3軒とスーパーを2軒見つけたので当分は食事の用意に悩むことはないだろう。
窓の外のホームセンターに眼をやり、駐車場に停まっているピックアップトラックが今朝のテレビのCMで見かけた新型であることに気づいたときだ。ごくわずかだが地響きのような低い音と、地震というほどではないがごく小さな揺れを感じた。ハッとして窓の外を見回す。ホームセンターの方には何も起きていなかったが、その反対側、窓の左に眼をやると、遠く離れた先から濃いオレンジ色の丸い光がふたつ僕の方に向かって近づいてきた。よく見るとそれは列車の先頭車両で、その後に何両も連なった黒く長い線が続いていた。自動車を中心にした交通網が支配するこの街において、鉄道は完全に蚊帳の外だ。そのせいで僕は、一日に数回しか列車の姿を見かけない線路が僕のホテルの横にひかれていることをすっかり忘れていた。静まりかえった夜の闇を精一杯音をたてないようにして申し訳なさそうに通過していくのはこの大陸を横断する夜行便なのだ。
汽笛が鳴った。
高校生の僕は鉄道で通学していた。電化もされていない単線をディーゼル車が走るローカル線で片道に40分以上かかった。駅から自宅までも離れていて、自転車で15分ほど走るのだが、友人の多くは学校のある市街から通っていたから、彼らにとって小旅行か遠足に近い距離を毎日移動して通学する僕は何かしら一種の畏敬と、拭いがたい違和感を漂わせる存在だったようだ。僕と同じ部のコウスケも普段は自転車で通っていたが、雪や雨が降る日は学校の近くの駅のターミナルまでバスに乗った。僕が乗り降りする駅にあるターミナルから高校までは線路沿いの細い道を歩いて15分ほどだったけど、自転車のペダルやバスの床しか知らない彼のアディダスは白く光っており、水たまりや雪や雨に抗って進む僕は親からバーゲン品のトレッキングシューズばかり買い与えられていた。雪があまりにも深い日は母がとっておきの装備として出してくるスノーブーツが僕の味方だった。くるぶしまでの雪なら難なく進むし、完全防水なので足元は一日中快適だった。ただし、登校してきて履き替える靴棚の中で同級生たちのバスケシューズやスニーカーたちに並ぶとまるで重戦車のようだった。
2年生の時だった。かなり遅くまで練習していたが、雪が強く降りだしたのですぐに帰宅するよう先生から指示があった。コウスケが、今朝はバスで登校したから帰りもバスだ、一緒に駅まで行こうと言って僕に付いてきた。同級生の中でもかなり裕福な家庭に育った彼は僕の目から見てもおしゃれで、この時も買ったばかりのコンバースが濡れることを気にしていたが、そのコンバースの半額以下で買えるスノーブーツのご加護にあずかった僕は、いつもこのブーツをダサいといってバカにしていた報いだ、ざまみろ、などと心の中でつぶやいていた。あの時、何を話しながら歩いたかは思い出すことが出来ないが、たぶん僕が当時付き合っていた彼女のことを聞かれたように思う。今思えば不思議なことにコウスケは彼女がおらず、僕には同級生の彼女がいた。
雪の勢いが少しおさまってきた時だ。もう傘はいいかな、といって畳んだコウスケが後ろを振り返って、突然なにやら大声で叫びだした。な、なんだよ、と振り向いた僕の眼に入ってきたのは、道のすぐ側の線路を走る東京行き寝台特急の車両だった。西隣の駅を出て、これから僕が乗ろうとする駅に向かっているのだった。コウスケはその黒く分厚い車両に向かって歓喜の声を上げ、飛び跳ね、子供のように運転手に手を振った。僕はなぜコウスケがそんなに驚き喜んでいるのか全く分からず、そんなに珍しいのか、と聞いた。彼は僕の言葉など全く耳に入らないようでただただ寝台特急を見つめて大笑いしていた。運転手が気を効かせてくれたのか、それとも単純に指定の位置を通過したからか、最後の車両が僕たちの前を通過するぐらいで汽笛が鳴った。コウスケはもう一度飛び上がって手を叩いた。哀れな彼のコンバースは持ち主の気まぐれにつきあわされてひどい汚されようだった。な、おい、靴、靴、と僕がコウスケにしつこく言ってようやく彼が落ち着きを取り戻したが、嬉しそうな顔で、ねえ、あの特急はいつもここを通るの、ときいてきた。今ぐらいの時間のはずだ、と答える僕。なんだよ、いつもあれを見られていたのか、と悔しがる彼に僕は、それじゃ毎晩ここであの列車を待てばいいじゃないか、と言いそうになって口をつぐんだ。たしかこいつは旅行会社に勤めるのが夢だったはず。僕には背景に過ぎない列車も、こいつには自身の夢を乗せて走る夢の東京行き特急なのかもな。今よりもっとリアリストで皮肉屋だった僕はそれ以上彼に何か言うのはやめて、彼の落とした傘を拾った。
列車の最後尾が窓から消えた。ウェルチのグラスにはほんのりと霜が付き、窓辺の光を吸って柔らかい光をまとっていた。グラスをひと息に飲み干すと軽くため息が出た。
コウスケは一浪して東京の私立大学に進み、卒業後は昔からの夢だった旅行会社に就職した。たしか2年前に職場結婚して、翌年には第一子を授かったはずだ。彼のメールアドレスはノートPCに残してあるはず。アタッシェケースの方を向いて、少し考えて止めた。あれから僕はあちこちに寄り道をしてきたから、その話をまとめて出来る時にしよう。この会社は出張がやたらとあるから、どこかのタイミングで彼のいる街に行くこともあるだろう、その時でいい。少なくとも、今じゃないことは確かだ。
僕はグラスをキッチンシンクに置き、ベッドに向かった。窓の外の看板の照明が消えた。
(了)