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 駅前から涼子の家までは、歩いて十分ほどだった。白い壁とチョコレート色の屋根は、三年たった今でもやはり、お菓子の家みたいだなと東吾は思った。そして何度も遊びに来ていたこの家に今日から自分が住むのか、とも。どうにも変な感じがするが、背に腹は代えられない。都会の物価を考えれば、涼子の両親の提案は願ってもない幸運なのだから。

 先行する涼子に続いて、東吾もそのドアをくぐる。見覚えのある玄関。カーペットの色も変わっていない。小さなころ無遠慮に出入りしていたが、今日ばかりはそうはいかない。

「おじゃまします」と遠慮がちに言って、東吾は涼子の家に上がり込んだ。

 この家をいつから知っているだろうか。それが思い出せないくらいに涼子との付き合いは長い。腐れ縁と言ってもいいだろう。年齢こそ涼子のほうが一つ上だが、二人の立場は対等以外の何物でもなく、お互いに気の置けない仲というやつだった。両親ともども仲が良く、今回東吾が藤森に舞い戻るにあたって涼子の家が住む場所を差し出してくれたのも、ひとえに三年前までのそういう付き合いがあったからだ。

 その関係にある幼馴染が三年のブランクを置いて戻ってきたのだ。いろいろとお節介をしたくなってしまう心境というのは、東吾自身よく共感できることだった。だから、この街に東吾が戻ってくると決まった時、涼子が自身の文芸サークルに彼を勧誘してきたことも、さほど驚きはしなかった。藤森学園でサークルを立ち上げたことは聞いていたし、お互いにずっと昔から執筆が趣味だった。なんとなくそんなことを涼子が言い出すのではなかろうかという予感は、編入試験をパスした時点で頭の片隅に蠢いていたのだ。

 ――ちょうど機関誌を出すタイミングだから、東吾にも一本書いてほしい。

 涼子の家に居候することが決まって、その挨拶にと彼女の家に電話をかけた時、国島涼子はそう言った。前回の機関誌も送るからね、と。

 そこまではよかった。言葉の通り東吾の元には機関誌が届き、次回機関誌に掲載する作品の規定も同時に織り込まれていた。

 しかし、である。涼子率いる文芸サークルの機関誌を読して、東吾は唸らざるを得なかった。つまり、その、なんというか……。


「イマイチ」

 午後、中村東吾の原稿を読み終えた国島涼子は溜息まじりにそんな感想を(のたま)った。

 ご両親への挨拶もそこそこに、あてがわれた部屋へ通されるや否や、待ってましたとばかりに東吾の原稿をふんだくった国島涼子が精読を始めてしばらく、彼女の表情は段々と曇って今に至る。

「うーん、なんていうの? こう、小手先だけで書いてる感じ? 話の展開とか伏線とか、確かにうまいのはうまいんだけど、それだけっていうか……。うん、ノッてない。要するにノッてないのよね。一言でいえば」

 忌憚なきその所感は的確に東吾の懸念を貫いている。

 イマイチ。

 そうであろう。書くのに苦しんだのはこれが初めてだった。自分で読み返してみても面白みがない。構成、展開、知っている手法を駆使して何とか物語の体裁を繕ってはいるが、それだけだ。そんなことは書き上げた本人が百も二百も承知している。

「やっぱり涼子ちゃんもそう思う?」

 脱力気味にそう言うと、涼子はこくりと頷いた。

「言っちゃなんだけど、腕落ちたんじゃない? 身長と引き換えに筆力を失ったとしか思えないんだけど? 田舎暮らしで腐っちゃった?」

 遠慮のない物言いは昔からだ。

「うーん……、そんなことはないと思うんだけど……。向こういる間も書けてたし」

 向こうでも二本の長編と短編十本は書き上げている。それらは満足のいく出来だった。

「じゃああれ? スランプってやつだ?」

「……まあ、うん、そうなるのかな? わかんないけど」

 スランプなど陥った記憶がないだけに、これがスランプなのかどうかの判断基準を彼は持ち合あせていない。ただ、思うように筆が進まないという現状は疑いようのない事実で。

「なるほど。ってことは何? もしかしてあっちの方も出来なくなってたりするの?」

 心配そうな目が東吾を捕らえる。無理もない。東吾のあれは元々執筆から覚醒した力なのだ。彼の秘密を知っているなら、その可能性は真っ先に考えるだろう。東吾だってそうだった。

「いや、製本自体は問題ないよ」

 だからすでに検証済みである。

「貸して。涼子ちゃん」

 涼子が手にしていた例のイマイチな原稿を東吾が受け取る。

 A4用紙二九枚。詰め込まれた文字数二万八千強。

 その紙束を両手で掴んで、東吾がすっと目を閉じた。

「さん、にい、いち――」

 ゆっくりとカウントダウン。ゼロのタイミングで東吾が瞼を開くと同時、彼が持っていた原稿からぼわりと白煙が舞い上がった。まるでマジックのように、ともすればそこからハトでも飛び出してきそうな絵面である。

 煙が霧散し、空気が澄み渡った時、東吾の手の中には一冊の本が収まっていた。表紙も背表紙も真っ白な、題名のない本が。

 それを開いて見せると、その中には彼が書き上げたイマイチな物語が封じ込められていた。

「ね? 製本は今まで通りできるから、そこは心配しないで」

 安心させるように微笑む。すると得心がいったのか、涼子も先ほどまでの心配そうな表情を僅かに軟化させた。

 吐息が一つ。漏らしたのは涼子の方だ。

「なるほどね。本当に書けなくなっただけか……。うん、東吾の状態は分かった。けどまあ、機関誌には参加してよ。気は進まないかもしれないけどさ。幸いまだ締め切りまでは時間あるし、書き直しだってできるわけだし」

 参加すること自体はやぶさかではない。東吾は涼子の提案に大きくうなずいた。

「うん。それは僕も望むところ」

 何とか本調子に。気がかりなのはそこだけなのだ。

「よし。いいお返事だ」

 不調ながらも参戦を表明した中村東吾を茶化すように、国島涼子はニシッと笑った。


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