第1話 ◆面倒な仕事と受け取ったメール
暗がりの中、慎重に歩を進めるのは、一人の青年。
寝静まった深夜、彼は一人でこの研究所に潜入していた。
と、彼の足が止まった。
「赤外線センサー、か」
彼のつけているミラーシェードには、目に見えない赤いセンサーが映し出されている。
数歩後退してから、彼は飛び上がった。彼のミラーシェードには、未だ赤いセンサーが映し出されていたが、それは彼の体に当たることなく、地面に優雅に着地した。
「ここか……」
と、彼のイヤーギアから、通信が入った。
『マスター、そちらに研究員が向かっています』
「了解」
偽造したカードを取り出し、扉のキーを開ける。
聴きなれた機械音と共に、彼は素早く、その部屋の中に入った。暗がりでも彼のミラーシェードは鮮明にターゲットを映し出す。
そこにあるのは、一台のパーソナルコンピューター。彼はその中にあるデータを奪いに来ていた。しかも、それを明日中に届けなくてはならない。
「本当に無茶な依頼だよ、全く」
慣れた手つきでパソコンを起動させ、目的のデータを見つける。用意してきたメモリーカードをパソコンに挿入して、そのままコピーしながら、削除作業に入る。
『マスター、あと10秒でそちらに接触します』
「ギリギリってところか」
声が聞こえた5秒後にカードが排出され、それを腰のポーチに仕舞う。
同時にドアが乱暴に開いた。
「貴様、何をしているっ!!」
銃を持った男達が声を張り上げた。彼は驚くそぶりもなく、悠々と両手をあげる。
「何もしていませんよ。まあ、していたとしても、話すつもりもありませんが」
「貴様っ!!」
逆上した男が銃のトリガーを引く前に、彼は動いていた。
一番前にいる男の銃の先を足で蹴って、壁に撃たせた。
「おわっ!?」
体勢を崩した男を押しのけて、後ろに居た男の腹を抉るように拳を突きつける。
「ぐほっ!」
腹を押さえる男をそのまま、相手の方へと突き飛ばし、彼は走り出した。
「こっちは時間がないってのに」
部屋から脱出できたが、出口側に銃を持つ男達が雪崩れ込んでくるのを彼は察した。
「一気に駆け抜けるか」
彼の体が沈んだと思った瞬間。
もう、そこに彼の体はなかった。
地面を蹴り、壁を駆け抜け、宙を舞う。
まるで、芸術的な曲芸を見るかのような優雅さを持っていた。
「はい、終わりっと」
銃を持つ集団をあっという間に避けて、彼は開いた窓枠に手を掛けた。ひゅうっと旋風が彼を打ち付ける。
「逃げられるか! そこは60階の窓なんだぞ!」
男の言う通り、そこから落ちれば助からないだろう。
「だろうね。でも、そこまで考えなしに来た訳じゃない」
楽しげに笑みを見せると彼は、窓枠に立ち、そして、背中から身を投げ出す。
「何っ!?」
そこにあるのは、一機の宇宙船。その中に彼は吸い込まれるように乗り込んだのだ。
「くそっ!! やられた!!」
「あの宇宙船、確か……」
蒼銀色のジェット型の機体に刻まれた、文字は。
「ああ、間違いない」
「『アール』だっ!!」
忌々しそうに、彼らは飛び去っていく宇宙船を見送るのであった。
シュン、という軽い音と共に、その扉は開いた。
目の前に飛び込んでくるのは、無限に広がる宇宙。ブリッジから見える宇宙は、なんと美しいのだろうか。それとも、一仕事を終え、開放的な気持ちがそう思わせるのか。
珍しくそんなことを思いながら、彼の歩は自分の席へと向けられた。
三本の太いベルトで固定された、黒の頑丈そうなブーツ。
太ももには、両方に1丁ずつ、黒光りする銃がホルスターで固定されていた。
腰には二本のショートソード。それを互い違いに固定し、両手で一気に引き抜けるようになっている。
体格は中肉中背といったところか、身長は170近い。
彼は黒いジャケットを、自分の席の背もたれに乱暴にかけ、どっかと座った。
「ああーーっ!! やっと終わったぁーーっ!!」
ぐいっと席の背もたれを倒しながら、彼は天井へと突き出すように腕を伸ばす。
「お疲れ様でした、マスター」
音もなく、そっと彼の側に控えるのは、彼よりも少し背の低い女性。
こちらは白を基調とした、飾り気の無いシンプルなワンピースに身を包んでいた。
足元には足首を隠すくらいの、ヒールの高いショートブーツ。
長くゆるめのウェーブをかけた金髪を一つにまとめ、グレーの瞳で、彼女は表情なく彼を労った。
これでも彼女なりに、精一杯、表情を付けているつもり……らしい。
ちなみに、先ほどの研究所で通信してきたのは、彼女だったりする。
「ありがと、カリス」
くるりと席を回して、カリスと呼ばれた金髪女性に向き直る。
「けれど、あの研究所から獲って来たものが、ニューハーフといちゃいちゃする動画というのはどうかと……」
「まあ、言いたいことは分かるけどね。お陰で実入りが良かったんだ。深く考えないことも必要だよ?」
とりあえずと、彼はそう区切って。
「今回も君のお陰で、無事、依頼をこなす事が出来たよ」
「いえ、それには及びません。わたくしはマスターに比べれば、まだまだですから」
そういうカリスに彼は思わず、苦笑を浮かべた。
「それにしても、ソレを外さないのですか?」
「ああ、忘れてた」
カリスに指摘されて、彼は耳元にあるボタンを押す。すると目元を覆っていたミラーシェードが音もなく耳元のイヤーギアに収納された。
その振動で、彼の長い銀髪がふわりと揺れる。彼の銀髪は、首もとで一つにまとめられ、左肩に垂らしていた。
「道理でちょっと暗いと思ったよ」
「もう少し早く気づくべきでは?」
そんな鋭いカリスの突っ込みに彼は。
「だってさ、こっちは昨日まで寝ないで船をかっ飛ばしたんだ。他のことが疎かになっても、仕方ないってもんだよ」
席の前にあるデスクに触れて、キーボードと立体ディスプレイを展開した。
「とにかく帰るまで余裕が出来たんだ。これならあと一つくらい依頼を受けてもいいかもね」
キーボードを慣れた手つきで打ち込み、自分のメールボックスを開く。
その殆どが身内からの定期連絡ばかりであったが。
「あ、一つ依頼が来てる」
さっそく彼はそのメールを開いた。
『アール殿
貴殿の噂は、このメルビアンまで届いている。
良いものも悪いものも。
それを思慮しても、ぜひ貴殿に頼みたい案件がある。
メルビアンの我が城に来ていただきたい。
メルビアンの老騎士より』
そのメールの末尾には、メルビアンの城の場所らしい、座標が記されていた。
「老騎士、か……」
彼……いや、アールはオッドアイの瞳を細めて、口元に笑みを浮かべた。
「決まりましたか?」
「メルビアンの食べ物は美味しいって聞くからね」
アールはそう言いながら、そちらに向かう旨を、かの老騎士にメールで伝えたのだった。




