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初めてのお仕事

 


 だがしかし、そんなちょっとした疑問をいとも簡単に忘れてしまうほど、食堂の仕事は忙しかった。

 忙しさに殺されると書いて、忙殺。

 今日ほどその言葉を身をもって実感したことはない。

 街自体もそうだけど、この食堂も夕方からが書き入れ時らしく、もうとにかく目の回るような忙しさ。実際、厨房と食堂とを行ったり来たりしていると目が回る。

 そんなに広くはない店内だけど、ラサさんの言葉の通り、店員さんがやめてしまって私しかいないらしくひとりでカバーするのはもうギリギリ。

 その上私ときたらバイトするのなんか初めてだし、初日でメニューは頭に入ってないし。注文をブラックボードみたいのにチョークのようなもので書き込んだはいいものの、料理が出来上がって運ぼうとすれば、どこにお客さんがいるのだか忘れてしまう始末。

 それでも、基本的に気のいい人たちらしいお客さんたちは、私がおろおろするのを見かねて「こっちだ!」と声を上げてくれたりした。

 お客さんたちは殆どが男性。

 しかも肉体労働してます!という感じの、むきむきなおじさんたちが多い。それと、なんとなく普通の職業についてなさそうな厳めしさ。

 顔に傷がいくつもあったり、腕がなかったり、ばっちり入れ墨が入っていたり。

 その姿が、こちらに来てすぐの時追いかけ回された人たちと重なって、最初はものすごく怖かったんだけれども何かとフォローしてくれる彼らの態度に、私もすぐに慣れてしまった。

 陽が落ちてとっぷりと闇に包まれる頃には恥ずかしさも怖さも消えてなくなり、私は両手に持てる限界まで料理や飲み物を抱え、食堂を行き来するまでに成長した。

 自分なりに、テーブル席には数字を振って注文と一緒に覚えるようにしてみたり、どうしてもわからない時には料理の名前を叫んで手を挙げてもらったり。

 身体を動かすのはとても楽しくて、私の身体からも気持ちからも緊張がとれてきた、その時。落ち着いてきた店内を見てふうっと息をついた私の手を、誰かがぐいっと引っ張った。

 えっと驚く間もなく腰に腕が絡まり、耳元にお酒臭い息を吹きかけられる。


「よお、坊主。なかなか可愛い顔してるじゃねえか」

「ぼ、坊主!?」


 かけられた言葉に顔を向ければ、そこには見るからに柄が悪そうな男。加えて相当にお酒に酔っている。

 そういえば今は男の子みたいな格好してるんだった、とこの状況とは関係ないことを考えたのもつかの間、男の手がお尻をぎゅっと掴み、私は悲鳴を上げた。


「ははっ、なんだあ、女みてえな柔らけえ尻してんなあ!」

「や、やだっ」

「声まで可愛いじゃねえか。なあ坊主、お小遣いやるから上に行こうぜぇ?」


 そのままぐいぐいと強い力でお尻を揉まれ、私は気持ち悪さと痛さに身を固くした。すると抵抗しないことに調子づいたのか、男は顔を背けている私の首筋に舌を這わせる。

 ねっとりとした生温かな感触に、私はさすがに腕を突っ張り抵抗するが、鍛えられた男の力には敵わない。

 離れる所か、より一層荒い息を近付けてくる男に、私はパニックになりながらもさっき厨房で言われたことを思いだした。


 ――何かあったら腰の鈴を見せて、『ラサの鈴』だと言え


 私は出来る限りの力で首に吸い付いている男の顔を引きはがすと、腰に巻かれた鈴を手にした。ちりん、と涼やかな音色が響く。


「ら、ラサさんの鈴ですっ」


 涙目になりつつ精一杯に声を上げた私に、男は一瞬きょとんとした目を向け、それからにたあっとした笑みを浮かべた。あ、あれ?


「その鈴がどうしたんだよ、坊主。ラサなんて奴ぁ、知らねえなあ」


 そんな!と私が慌てて逃げる前に、男は再び私の身体をしっかと抱き寄せ、今度はうなじを舐め上げた。

 やだ、やだやだやだっ。触らないで!

 誰かに助けを求めようとしても、ここが店内のちょうど死角に入っているせいか、酔って騒いでいる他のお客さんたちは気付かない。夕飯時を過ぎているせいか、さっきまで混んでいた店内にはちらほらと空席もあり、私と男の姿は誰の目にも止まっていなかった。

 じゅっと音を立ててうなじを吸われ、その痛みに私は声にならない声を上げる。

 恐ろしくて、気持ちが悪くて。

 殴られて犯されそうになった時の記憶が甦り、身体は強張ったままうまく動いてくれない。


「ほら、わかるか坊主。もう、俺の、こんなに……っ」

「ひっ」


 ぐいっと腰に何かが押しつけられて、その何とも言えない感触と熱さに私が身体を縮込ませた。と。

 ひゅっと風を切る音が聞こえたかと思うと、それまでがっしりと私を拘束していた男の腕が消える。不快な熱が遠ざかり、私が驚いて顔を上げると同時に何かふわっとしたものに包まれた。直後、どかんと大きなものがぶつかる音と衝撃が店内に響き渡る。


「俺の店で俺のものに発情するとは、いい度胸だなクソ野郎が」


 ぞっとするほど冷たく低い声が頭上から振ってきて、私はびくりと肩を揺らした。誰かに抱きかかえられている、ということだけはわかる。

 頬に当たるのは柔らかな……胸!?

 慌てて押し当てられていたそこから顔を上げれば、そこにいたのは店の主人であるラサさん、その人だった。



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