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我らの王

 


 とにかくシャオランさんが階下に食事を取りに行っている間に着替えて、それから何でか餌付けしたがる彼を説得して食事を終える頃には、朝から色々あった私の体力と精神力は限界に近づいていた。

 なぜだか始終ご機嫌なシャオランさんが恨めしい……。

 ベットに座り、不必要な細かな配慮で食事を終える。同時に出された華茶を含みながら、私は隣に腰掛ける彼の顔を盗み見た。

 すると、その視線に気がついたシャオランさんは、今まで以上に柔らかく私に微笑みを返してくる。とろけるような、と言うよりもとろけて若干情けないような、へにゃり、とした笑顔。


「宵藍はカツラの犬。宵藍は、とてもいい犬になる」

「も、もう繰り返さなくていいですから!」

「いい響きだ。俺は何度でも確認したい」


 一緒に過ごしてきて薄々感じていたけれど、でもどうしても認めたくなくて脳内保留にしてきた単語が頭を過ぎる。


 シャオランさんて、シャオランさんて……ドエム……!


「俺はカツラの犬」を心底嬉しそうに繰り返す彼に、私は身体を震わせる。へ、変態さんだ、変態さんだよ、この人!

 母親の傍で安心しきった子供のように、なぜだかきらきらした瞳を向けてくる彼に、私は少しだけ距離を取りつつぎこちない笑みを返す。

 どうしよう、私、そういう趣味ないし!


「カツラ」

「は、はいっ」

「それでカツラは俺に何を訊きたい?」

「あ……」


 ついさっき泣きながら決意したことをすっかり忘れていたことに、ちょっとだけへこむ。

 この人のこと、自分のことや世界のことを知ろうってあれだけ心に決めたのに……私のバカ。

 むむ、と自己嫌悪に寄せた眉を見て何を思ったのか、シャオランさんは私の隣から床へと移動し、跪いて頭を垂れた。


「我が上位者よ。下位者である宵藍はあなたの望むものを何でも叶えよう。問いには全て偽りなく答えることをここに誓約する」


 床に下ろしていた私の足に、少しの戸惑いもなくシャオランさんが額をつける。

 すり、と形のよい鼻が足の甲に擦りつけられる感触に、私はただひたすらに身を縮こませた。いつまでたっても慣れない、服従の証明。

 そんな私を見上げてふっと微かな笑みを浮かべると、シャオランさんは身を起こした。


「さあ、カツラ。何が知りたい?」


 宵闇のような静かに光る瞳が私を真正面から見つめる。

 怖いくらいに澄んでいて、嘘も偽りもなく。濁りもない、美しすぎて何の生き物も住めないような湖の奥底。

 そこにあるのは、なんなんだろう。

 私は無意識に息を飲み、それからゆっくりと口を開いた。


「私……私、なんなんですか? ここはどこで、どうしてシャオランさんは私に親切にしてくれるの……?」


 言葉にしたらひどく怖くなってしまって、私は自分で自分を抱き締める。

 自分の中にもやもやとした疑問であるうちは、まだ根拠のない希望を抱いていられた。

 あきらかに日本ではないこの場所も、もしかしたら……もしかしたら、どこか遠い外国なんじゃないかとか。何か事情が動けば元の場所に帰れるんじゃないかとか。

 全部全部間違いで……それどころか、これは全部夢で。

 その脆い希望を、私は自分の言葉で突き崩す。

 そうしないと、私はここからどこへも進めない。目の前のこの人のことを、理解なんてできない。


「ここは四大門シーシェンと呼ばれる土地だ。どこにも属さない、それ故力無い者には生きられない場所。束縛されぬ代わりに、誰にも助けを求められない場所だ。北門、南門、東門、西門。それぞれに『王』がいる。街にいる者は誰しもが必ずどの門にか身を寄せている。ここは南門、ラサは『南門の王』だ」

「シーシェン、南門の王……」

「元々各地の争いで難民となった者や、光射す場所からはじき出された者たちが身を寄せ合ってできた貧民街だ。四人の王は表面上は協力してこの土地を支えているが、一歩間違えば抗争になる。やっていることはそれぞれだ。ラサは表では店を構え、女の身体を商品にしてるが、裏では俺のような者を集めて仕事を受けてる」


 ――荒くれ男どもが、腹を満たせば他に何が欲しくなると思う?

 ――女だよ、女。女の身体


 昨日のラサさんの言葉が脳裏に甦った。

 それは私の育った場所の基準からしたら、随分と後ろ暗い仕事のように思えるのだけれど、ここではそれでも真っ当な仕事だと言う。

 じゃあ、ラサさんの……シャオランさんたちのしている裏の仕事って、なに?

 私がその疑問を口にする前に、何かを悟ったシャオランさんは一瞬瞳を伏せ、それから自嘲するように微笑んだ。


「ラサの本来の商売は『暗殺』だ。あらゆる依頼を受け、俺たちを派遣する。ここでは『掃除屋』と呼ばれることが多い」

「掃除……!」

「俺はカツラが誤解していることを知っていて黙っていた。……すまない」


 シャオランさんは再び私の足下に額ずく。

 今度は私の足には触れず額を床に擦りつけ、そしてもう一度「すまない」と繰り返した。私はその姿にかなり慌て、ベットから立ち上がるとシャオランさんと同じ床にしゃがみこむ。床につけられたままの頭にそうっと触れ、そうして顔を上げてもらって首を振った。


「私のほうこそ、何も知ろうとしないで甘えてばかりで……ごめんなさい」


 私のその言葉に、シャオランさんはどこか困ったような少し悲しそうな笑みを浮かべた。


「昔から、俺は壊すことしかできない。壊すことしか知らない。だが、それであなたに何かを与えられるのなら、俺はそれを厭わない。きっと、あなたが悲しんでも俺は壊し続けてしまうだろう」


 自らを嘲笑うかのように、いつもは優しい微笑を浮かべる唇が歪んだ。

 何の躊躇いもなく、彼が他人の命を刈り取ることを私は知っている。

 この世界に初めてやってきたあの日、シャオランさんの目には私の命しか映っていなかった。自分の命すら、殆ど執着もないように。

 守ってもらっているのは私のほうなのに、何でだろう。

 彼はいつも不安そうに、捨てられることを恐れるように私を切望する。甘やかして、囲い込んで、拒絶されれば狂う。

 それは、なぜ?


「――あなたは華の王。我らの支配者。俺の上位者。あなたが望むなら、俺はこの世界すら壊してみせよう」


 陶酔したような口調でそう告げられる。

 床に膝をついて呆然する私の手を、シャオランさんがそうっと握りしめた。大きな手。温かく、ごつごつとした感触のある。


 華の、王?


 手の甲をなぞる親指の、官能的な触れあい。ぞくりと背筋を流れる震え。私は言葉を失くし、ほんのりと笑んだ彼の濡れたような瞳を見つめ返す。


「あなたは元々こちらで産まれた。あなたは帰ってきたんだ、最後の王よ」



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