ようやく始めるということ
訥々と語られる内容についていけず、私はとりあえず耳についた単語を口にしてみたのだけれど……。
シャオランさんが私を呼ぶ時に使う、『メイファーレン』という言葉に似てるけど、関係あるんだろうか。
すると、今度こそ盛大ため息をつかれ、私はびくりと肩を揺らした。
「あ、ん、た、ねえええ!」
「す、すみませんっ、私、よく知らなくて……!」
「……呆れた。ルワンロンてば、あんたに何にも話してないわけえ?」
「は、はい」
私が頷けば、「過保護にも程があるんじゃないの」とラサさんが低く唸る。
「なんであいつがあんたみたいのを拾ってきたのか知らないけどね、あたしはあんたの先生じゃないの。訊きたいことがあるんなら、あんたの下僕に聞きなさいっ」
「でも、私……」
「あたしは仕事があるのよ、いつまでもあんたに付き合ってぐだぐだしてらんないわ! ほら、邪魔よ! さっさと自分の部屋に帰んなさいっ」
「ラサさんっ」
ぐっと腕を掴まれたかと思うと、私はラサさんに引っ張られてベットか部屋の扉の前へと、止める間もなく移動させられてしまった。
そうして、「じゃあね」という情け容赦ない挨拶の後、どんっと背中を押されて部屋の外へと出されてしまう。え、え、ええ!?
ばたんと閉められた扉に呆然として、それから自分の今の格好を思い出す。
彼の胸に咲く花とよく似た緋色の下着、のみ。
どこからどう見ても、露出狂。
「らっ、ラサさん! 開けてくださいっ、ラサさん!」
叫びながら扉を叩いてみるけれど、ラサさんからの返答はもちろんない。
せめてラサさんの服を貸してくれればいいのに……と泣きそうになりながら、他に何かこの格好を隠せるようなものはないかと辺りを見回す。何か、カーテンとかでもいいから!
けれど、この廊下にそんな都合のいい物があるはずもなく。
この格好で、階下にいるかもしれないフタアイさんに助けを求めることもできず。
しばらくそのまま扉の前でうろうろして、ラサさんが出てこないかと待ってはみたけれど、天の岩戸のように閉じたっきりのそれは微動だにしなかった。
――シャオランさんの部屋に戻る、しかない……。
ようやく心に決めて、そろりそろりと部屋の前まで移動する。
ラサさんとシャオランさんの部屋があるこの階は、ひっそりとしていて人の気配はまったくなかった。
諦め悪くゆっくりと部屋まで歩いて、そうして足を止める。
見慣れているはずの扉が、今は全力で自分を拒絶しているような気がして、息を詰めた。
これでシャオランさんにも否定されてしまったら、私はいったいこの世界でこの姿で、どうしたらいいんだろう。頭の中に最悪の予想ばかりが浮かんで、消える。
だけど。
最初に何も知ろうともしないで彼を否定したのは、私のほうだ。そう、気がつく。
ラサさんの言うとおり、ちゃんと色々シャオランさん自身に問いかけていれば、彼のこともこの世界のことも、もっともっと知れたはずなのに。
ずっと守られて、何もかもしてもらって……そんなぬるま湯みたいに心地よい中で、それが当たり前みたいに過ごしていたのは私。
知らない世界だから、ここにいるのは私の所為じゃないから、そう言い訳して。
何も知らなければ何の責任も負わなくていいから、なんて都合のいいことを少しでも考えていなかっただろうか。
そして、そんな無責任な気持ちが、彼をひどく傷つけた。
知らないから混乱して、他人の言葉に揺らいで、拒絶した。
今まで傍にいてくれたのは誰だった? 私には何も返せるものがないのに、それでも優しくしてくれたのは?
――宵藍はあなたに変わらぬ服従を誓う
彼はそう、いつも繰り返し囁いてくれていたのに、私が信じなかった。
堪えきれなくなって、つ、と頬を涙が伝う。嗚咽を必死に抑えようとして、失敗。情けない泣き声が静かな廊下に響き渡った。
きっともう、こんな身勝手な私なんて、許してもらえない。
だけど、謝りたい。
許してもらえなくても、どんな拒絶を受けても、彼に謝りたい。
俯いて、それでも扉を叩く勇気が出なくて、そんな自分がいっそう情けなくて。廊下にしゃがみ込んでしまいそうになった、その時。
何かが軋む音とともに、頭の上から聞き慣れた声が降ってきた。
「カツラ……?」
驚いて顔を上げれば、そこには今とてもとても見たかった、あの優しいシャオランさんの顔。少し疲れたような表情で、黒い瞳の中には少しの驚きと戸惑いが含まれ、こちらを見ていた。
その中に拒絶の色も怒りの色も含まれていないことが意外で、そして安心してしまう。
すると感情に引きずられるように、私の何かが決壊し、両目からは溢れるように涙が零れ始めてしまった。
「しゃお、らん、さん……っ」
「カツラ!?」
途切れ途切れに名前を呼べば、びっくりした表情のままのシャオランさんが、だけど恐る恐る私へと腕を伸ばす。
最初はそうっと肩に触れて、そして次には強い力で胸の中へと抱き込まれた。
大輪の華が咲く、彼の胸の中。
嗅ぎ慣れた独特の彼の香りが、震える私の胸を満たす。
「わ、たし、ごめん……なさ……っ。私、シャオラン、さんっに、ひどいこと……っ」
「あなたは何も悪くない。何も悪いことなんてしていない。全ては宵藍のせい……」
「ちが……っ」
耳元で優しい声が、懸命に私を許そうとする。
けれど私はそれに首を振って胸から顔を離し、そして彼の顔を見上げた。
泣いている私よりもずっと、何かを堪えるように悲しい顔をしたシャオランさん。涙が見えないほうが不自然なくらいのその表情に、私の胸がまたひとつ痛んだ。
ぐっと、また流れそうになる涙を今度こそ堪えて。
「私、知りたい。シャオランさんのこと、私のこと……っ」
そう言った私に、シャオランさんは静かに瞳を閉じ、そうして頷いた。
「是。あなたがそう望むのなら――」




