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痣咲く夢

 


 元いた世界を夢に見たのは、こちらに来てから初めてのことだった。

 いつも眠る少し硬めの寝台とは違うからか、鼻先に漂う香りが慣れた彼のものではないからなのか――。

 夢のなかで私は、小さな頃に戻っていた。


(おかあさーん、おかあさーん)


 暗闇のなか、ぽつんと見える光りの方向に走っていく私。

 かすかに覚えている、小さい頃好きだった薄紅のワンピースの裾がふわふわと揺れている。確か小学校に入る前に転んで破けてしまって、大泣きしたんだっけ。

 だとすると、これはそれよりもっと前……?


(おかあさん!)


 光の中に飛び込んだ私は、息を切らしながら母親の姿を探す。

 それなりに裕福な我が家。父が母と結婚する際に新築した家は三人で暮らすには充分に広く、ふたりの穏やかな性格を表すように落ち着いた雰囲気に整えられている。

 働きに出ず家にいる母は、私に目一杯愛情を注いでくれていたし、父は怒る時も声を荒げることなく根気よく私を諭してくれた。幼いながら、自分は愛されているのだと満たされて過ごしていた日々。

 午後を過ぎているのだろうか。

 視界の隅で揺らめく白色のカーテン。そこから透けて入る光は少し黄みがかっている。

 居間にある若草色のソファーに、私の目指していた人が座っているのが見えた。


(おかあさんっ)


 近づいて甘えるようにその名を呼べば、茶色のちょっと癖のある髪が揺れ振り返り、優しい笑顔が私を見つけてとろける。


(なあに? 桂)


 繊細なニット編みをしていた手を止め、危ないからとそれらをテーブルに置くと、母はソファーから立ち上がり、私の前に膝をついた。

 髪と同じ色をした穏やかな瞳が淡く細められる。


(あらあら、どこから走ってきたの? 髪の毛がぐちゃぐちゃよ)


 ふふ、と笑って、白く柔らかな指が私の黒く真っ直ぐな髪を梳いていく。

 色素の薄い母のものとも、癖が強い父のものとも違う黒髪。昔はよく「大きくなったらお母さんみたいな髪になる?」ってぐずって困らせたっけ。

 小さな私は膝の上で撫でられる子猫のように機嫌良く笑い、それから思い切り母に抱きついた。


(なあに? 桂はいつまでたっても甘えん坊ねえ)

(おかあさんだいすきだから、いいんだもん)

(お母さんも桂のことだあい好き)


 雲の上に乗っているかのように、どこもかしこも柔らかく温かい母の身体に包まれて、私は満たされていく。お母さん、お母さん――!

 そうしてひとしきり甘えた私は、急に本来の用事を思い出したように、ぴょんっと母の腕のなかで跳ねる。


(おかあさん、あのねえ、かつらねえ、すっごいいいものみつけたんだよ!)

(すごくいい物?)

(そう! すっごくすっごくすううっごく!)

(ええ? なにかしら、とっても楽しみ)


 私の頭を撫で、嬉しそうに笑う母の顔に、私の喜びも加速していく。

 きっともっと喜んでくれる。そう興奮しながら、小さな私はもどかしくワンピースの胸元のボタンを外していった。

 目の前の母は一体何が始まるのかと、目を丸くして私を見ている。

 そしてすっかりと下に着ていた肌着が露わになる頃、私は得意満面にそれをぐいっと下に引っ張った。

 そこに――。


(ほうら! かつらのここにおはながさいたの! あかくってきれいでしょ!)


 その瞬間。

 いつも荒れることのない母の顔が悲壮に歪み、声にならない叫び声を上げた。私はといえば、そんな突然の母の変わり様に吃驚して固まってしまう。


(どうして!? どうして! 本当に現れるなんて!)

(おかあ、さん?)


 白い顔を更に白くして、母は小さな私にすがりつくようにして腕を伸ばす。

 流れる涙と、嗚咽。何もかもを否定するように激しく首を振ったせいで、乱れた髪。見たこともない母の姿に、私は怯える。


(やだっ、おかあさん、やだよう!)

(どうして……! この子はもう私の子よ……っ、誰にも渡さない、私の子……)

(やだあ!)


 驚きすぎて泣き出し、腕のなかで暴れる私の身体を、母はきつく抱き締める。きつく、きつく。苦しいくらいに。

 それが嫌でさらに暴れるけれど、母の力は緩まない。

 耳には呪文のように繰り返される「私の子、渡さない」という言葉。


 これは一体なに?

 私の記憶?


 気がつけば小さな私を俯瞰するように、私は凍り付いてその光景を見下ろしていた。

 生まれつきだと教えられていた胸の痣。

 だけど、これが本当に私の記憶なら、痣はこの時に現れた?

 引きずられるように思い出す、痣を見るたびに悲しげに、苦しげに引きつった母の顔。大きくなっていないか、確かめるように何度も触れてきた手。

 小学生の頃連れて行かれた大学病院で、母が必死に痣の除去手術を望んで、そして断られては泣いていたことも。

 母はどうしてそんなにもこの痣を嫌がっていたんだろうか。

 どうして。


 不意に胸が苦しくなって、私は中空でしゃがみ込む。

 無意識に痣に手をあてれば、それはこの世界に迷い込んだあの日のように、ひどく熱を持っていた。

 母はこれを、このことを恐れていた――?


 ――熱い。苦しい。誰か……


 誰か、



「シャオラン、さん――!」



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