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彼の約束と謎の青年

 


 私の腰と背を支える大きな手が、震えていた。

 そうして左肩にぽつりと、熱い雫。低い嗚咽がその後を追うようにして耳に届いた。

 ……泣いてる、の!?


「あのっ、シャオランさん、ごめんなさいっ! よくわからないけど、ごめんなさい!」


 大人の男の人が――こんなにしっかりとした男の人が泣くなんて、そんな経験もちろんしたことなくて。

 私はただただびっくりして、下ろしていた腕を上げると彼の背中を恐る恐る撫でてみた。落ち着かせるように、ぽんぽんと叩いてみたりもする。


「ちょっと驚いちゃって、それで慌てて立ち上がったら滑っちゃって! お、おかしいですよねっ、こんな立てば足下くらいのお湯の中で溺れるなんて!」


 綺麗に筋肉のついた背を撫でながら、すがりつくようにして泣いているシャオランさんに話しかけてみる。どどど、どうしよう! これって私が泣かしちゃったんだよね!?

 でも、なんで私がドジしたくらいでこんなに泣いちゃうの!? まさかの泣き虫!?

 ぽつぽつと、肩に落ちてくる雫の感触が、声を殺すように泣く彼が切なくて。


「そのっ、あのっ、む、胸の痣がですねっ、なんか形が変わったっていうか! なんか変な風になってて、それでちょっと慌てちゃって……」

「……胸の、痣が?」


 わたわたと腕の中でもがき続ける私に、まだ少し濡れたような声が問い返す。ふっと顔が肩口から持ち上げられ、そうしてぐっと私の身体が引き離された。


「えっと……」

「華が……開きかけてる」

「え?」


 今まで泣いていた人の変わり様に、私はただ呆然とその顔を見上げる。

 黒い睫毛にはまだ涙の雫が残っているけれど、それでもその下にある黒の瞳の中には、怖いくらい真剣な感情が揺らめき始めていた。

 痛いくらいに強い視線が、真っ直ぐに私の胸元を射抜く。


「カツラが俺を許し始めてる」


 うっとりと告げられた言葉に、私は首を傾げる。

 この痣の変化と、私がシャオランさんに慣れるのと、何が関係あるんだろう。

 問うように彼の瞳をじっと見つめれば、それに気が付いたシャオランさんは、いつもよりずっとずっと甘い微笑をこちらに向けてきた。思わず、頬が熱くなるのを感じる。こ、これだから美形って……っ。


「カツラ、待っていて。宵藍は必ずあなたに全てを返す」

「かえ、す?」

「必ず――」


 妖しく歪められた口元に見とれ、私は裸の身体を彼に晒していることも忘れて呆然としてしまった。

 黒の瞳よりも、さらに暗い影のようなものが奥で渦巻いているように見える。ひたすらに強い決意のような、どことなく狂気を孕んだ冷たいもののような。

 シャオランさんが私に返すものって……?


「あー、あのさあ。余計なお世話かもしんないけどさあ、早く服着ないと風邪ひいちゃうと思うんだよなあ」


 私がシャオランさんの不思議な瞳に魅入られていると、背後から突然そんな声をかけられた。

 瞬間的に今の状況が脳内に戻ってきて、私は何度目かの全身瞬間沸騰状態に陥る。ははははは、裸っ、裸なんだってばっ!

 その気持ちが伝わったのか、シャオランさんは素早く私を抱え上げると、脇にあった体を拭くための布で身体を包み込んだ。そうして、殺意に満ち満ちた視線を、声のしたほうに向ける。


「死ね」


 地の底から響いてくるような呟きとともに、目にも止まらぬ速さでシャオランさんがそちらに何かを投げつける。

 瞬きも出来ないまま、何とかその方向に視線をやった私が見たのは。


「あっぶね! すっげえあっぶね!」


 戯けたようにそんな声を上げ、シャオランさんの放ったと思われる小さなナイフを手に、その声の主――見たところ私と同い年くらいの青年は、にんまりとした笑みを浮かべて見せた。

 どこか人好きのするような、愛嬌のある笑顔。黒くまん丸い目は、今はおもちゃを見つけた子猫のように細められている。

 身体を預けていた扉から身を起こせば、その背中で黒い三つ編みがひょっこりとユーモラスに揺れた。

 あれ? この人、どこかで見たことがあるような……。


「あっ」

「カツラ?」


 急に素っ頓狂な声を上げた私に、シャオランさんが視線をむける。

 そうだ! 昨日屋根の上で見た男の人だ!

 私の表情に気が付いた青年は、妙に芝居がかったような仕草で左手を胸に当て、ゆっくりと頭を下げた。

 そして顔を上げるとまたにっこりと笑う。


「やあ、深窓の姫さんにお会いできて光栄だ!」


 誰!? っていうか、なんでここに!?

 私が驚いて口を開けたまま固まっていると、彼と私を見比べたシャオランさんは何を思ったのか再び、何の予備動作もなく

 小振りのナイフを青年へと投げつけた。

 あっと思う間もなく、真っ直ぐ顔に向かって飛んだナイフを、青年は焦る風でもなくなんてことないようにひょいっと避ける。それから困ったように、頭を掻いて。


「いや、これから盛り上がるってとこに乱入しちゃって悪かったけどさあ。あんた、話の途中で突然出て行っちゃうから、ラサ様が迎えに行ってこいって言うんだよね。ほら、俺も自己紹介くらいはしたかったし」

「一度顔を見れば充分だ」

「そう言わずにちょっとは仲良くしようぜえ! これから同じくラサ様の下で働く仲間なんだしぃ」

「言われたことをするだけだ。仲間など必要ない」

「冷たいこと言うなよお、同じ殺し屋稼業の人間に、こうやって会える機会なんて滅多にないんだしさあ!」


 猫なで声で青年の口からこぼれた言葉に、私はえっと小さく声を上げた。


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