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赤い痣

 


 備え付けられたバスタブの中に入り、ひとまずはシャワーのコックを捻る。

 日本の浴室と違って、ここのはユニットバスのようになっているみたい。まずは髪と身体を洗って、それからお湯を溜めてゆっくりと浸る。

 シャオランさんが買ってきてくれた青紫色の入浴剤を入れれば、浴室内に淡い花の香りが広がった。そこでほうっと一息。

 こういう細かなものも含め、日用品から下着類に至るまで、シャオランさんは何も言わずに揃えてくれている。

 よくよく考えるとなんかすごく恥ずかしい気もするけど、助かっているのも確かなので、そこら辺は追求して考えないようにしよう……。

 にしても、お茶もそうだけどこういう入浴剤も、何だかすごく高級感溢れている気がするんだけど……お掃除の仕事ってそんなにお給料いいのかなあ。もしかして、ものすごくお金とか使わせちゃってるんじゃないんだろうか。

 ラサさんもああ言ってくれてるし、やっぱり条件とか色々話し合って私も働いた方がいいよね、居候だし。

 そう心に決めて浴槽から出ようとふっと視線を落とした、その先に。


「あ、れ……!?」


 貧相な胸と胸の間、見慣れたはずの赤い痣が――広がっている!

 今まではただの赤い固まりのような形をしていたのに、いつの間にか花が綻ぶように大きく開かれていた。

 真ん中の濃い赤色の部分はそのままに、花びらが左右に二枚広げられている。


「なに、これ……!」


 昨日はお風呂に入らなかったからよく見たわけじゃないけど、こんな形じゃなかったはずなのに!

 ずっと、少し大きなかさぶたみたいな形で、なんだか不吉な程の赤色で。

 なのに今、この花びらのように開かれた二対の部分は薄紅色に染まっている。中心の部分は変わりはないけれど、これじゃまるで……シャオランさんの胸にある牡丹みたい。

 ふと脳裏に浮かんだ彼のしなやかで美しい身体に、私は高鳴る胸を押さえる。

 ええっと、そ、そんなこと考えてる場合じゃなくて!

 もっとよく確かめなくっちゃ、と慌てて浴槽から立ち上がったのがいけなかった。

 ひとり入ってやっと、ぎりぎり二人が入れるかどうかの浴槽内は、ちょっとお洒落な外国映画に出てくるような斜めがかったデザインで。つるつると滑りやすく、いつもなら転ばないようにそうっと入ってるんだけど……それをすっかり忘れてた!


「う、わっ!」


 どうにも乙女らしくない叫び声を上げて、私は見事に足を滑らせ、再び浴槽の中に沈み込む。

 突然のことに開けっ放しだった口の中に、容赦なく青紫色のお湯が流れ込んできて、咽せる。浸かるのは気持ちいいけど、口に入れていいものじゃないしっ!

 そうして吐き出そうと焦れば焦るほど、身体の中からは空気だけが抜けてお湯を飲んでしまう。ううっ、気持ち悪いっ!

 少し落ち着けば簡単に起きあがることのできる浴槽の中、私は息苦しいのと焦っているのとでなかなか縁に手が掛けられず、踏ん張ろうとする足は何度も滑る。

 よ、浴槽で溺死なんて嫌!

 酸欠で頭がくらくらしてきた、そこで。


「カツラっ!」


 強い力に引き上げられ、お湯から出た私はようやく思いっきり息を吸う。

 そして、少なからず飲み込んでしまったお湯を咳とともに吐き出した。うう、気持ち悪い……っ。


「落ち着いて、ゆっくり息をしろ」


 ぐったりとする私の身体を抱えながら、その人――シャオランさんは私の耳元で囁いた。むずがる子供を落ち着かせるような、少し苦い笑みを含んだ声音で。

 そうして腰を支えるのとは違うほうの手が、ついっとおとがいに指がかけられた。硬いたこがある、だけど長く優美な指先。

 涙のにじんだ視界の中、同じように水浸しになってしまったシャオランさんは、困ったように笑っていた。


「カツラ、あなたは本当に危なっかしい」


 言って、濡れて額に貼り付いていた前髪をそうっと後ろへ撫でつける。

 ようやく整ってきた息を大きく吐き出せば、それをじっと見ていたシャオランさんは顎の下にあてていた手をずらし、ゆるりと私の唇を撫でた。官能的なその仕草に、抱きかかえられたままの身体が反射的に揺れる。


「やはり、あなたは俺の目の届くところにいなければならない。例え沐浴の最中だろうと」


 シャオランさんの濡れた前髪から、すでに冷たくなりかけた水滴がひとつ、私のむき出しの首へと落ちる。

 その冷たさと、戯れのように告げられた言葉の意味に、ぼんやりしていた私ははっと我に返った。なんっ、なんっ、なんで、ここに、シャオランさん!?


「ひゃ、ああっ!」

「カツラ!」


 素っ裸で彼に抱きかかえられていると気が付いた私は、慌てて距離をとろうとするも、そこは浴槽の中。

 再び足を滑らせかけた私を、シャオランさんは素早く自分のほうへと引き寄せる。

 濡れた裸の上半身同士が重なって、私の肌にダイレクトに彼の体熱が伝わってきた。ちょっとだけ早い鼓動も、滑らかな肌の感触も一緒に。

 緋の牡丹が咲くシャオランさんの胸で、私のささやかな胸が押しつぶされているのが、俯いた私の目に飛び込んできて居たたまれない。恥ずかしさだけで人が死ねるなら、もう三百回くらい死んでる!

 その彼の胸が大きく膨らんで、それからふうっと首筋に吐息がかかった。

 生々しい感覚に身を強張らせた私を抱き込んで、シャオランさんは肩に顎を乗せるようにして口を開く。


「なぜ浴槽で溺れる? 俺が気付かなければ、大変なことになった」

「えと、その……すみません」

「俺は怒っているのではない。どんなことであろうと、宵藍の名を呼んでくれなければ困る。もし、すぐに俺が部屋に戻ってきていなければ、あなたは――」


 そこで不意に、言葉が切れる。不自然に。

 全裸で男性に抱き締められているという、常識とか恥じらいとかを色々すっとばしたこの状況に焦っていた私は、ぎゅっと目を閉じたまま言葉の続きを待つ。

 だけど、いつまで経っても続きはなくて、代わりに。


「シャオラン、さん……?」




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