第11話 真っ直ぐだった。
「いきなり無理だよ。初対面の子どもと留守番なんて」
早朝から弱気な俺に対して、絢音は肩を叩くだけだった。
「ごめん。花音は朝早いと機嫌悪いの。でも、すぐ懐くよ」
花音ちゃんの方を向くと、鋭い視線がぶつかった。5歳の子とは思えない、冷たい視線を感じる。
今日は、保育園の休園日らしい。だけど、絢音も坂本さんも仕事が入ってしまうという緊急事態に、ちょうど休日だった俺が駆けつけた。が、思っていたよりも強そうな子どもだからビクビクしている。
「匠くんもすぐ仲良くなったし、想太も大丈夫でしょ」
対極に位置する性格の匠と俺を並べないでくれと思っていると、横から坂本さんが現れた。
「小島さん、今日は本当にありがとうございます。花音のこと、よろしくお願いします」
そう言いながら手を握られ、もう分かっていたが逃げられないと実感する。
俺は口角を上げて、その手を握り返した。
「じゃあ、とりあえず目だけは離さないでね。よろしく」
玄関から2人が出ていき、急激に静けさが訪れた。
振り向いた先には、椅子に座って足をバタバタさせている花音ちゃんだけ。しかも、つまらないテレビを見るような目でぼーっとしている。
「あ……はじめまして。小島想太です」
「しってる」
「ですよね〜…えっと、何しますか?」
「あなたになにができるの?」
その言葉がぐさっと胸に刺さった。確かに、俺には子どもを喜ばせる話術も一芸もない。
匠のコミュニケーション能力の高さを俺にも分けてほしい。というくだらないことを考えた時にひらめいた。
「そういえば、匠と仲良しなんだって?お母さんから聞いたよ」
花音ちゃんは“匠”に反応して目の色を変えた。
「あなたもたくみくんとなかよしなの?」
「まあね、同じ高校だったし」
何気なく言ってみると、更に目を輝かせた。
「がっこうおんなじだったの!?」
相当匠のことが好きみたいなので、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
「うん。その時の写真もあると思う……あ、あった」
「え!?みせてみせて!!」
キラキラな目でねだられ、一瞬躊躇う。
昔の恋人、しかも高校時代の写真を持っているなんて知られたら、まだ引きずってるみたいじゃないか。今は綺麗な思い出として心とスマートフォンに残っているだけだが。
「じゃあ……匠の昔の写真見たことは誰にも言わないって約束できる?」
俺は、そう言いながら小指を立てた。花音ちゃんは頷きながら小指を絡ませた。
指切りの儀式を終わらせてから写真フォルダに保存された高校時代の匠を見せると、花音ちゃんは食い入るように俺の近くに来た。
「たくみくん、かっこいい…」
もっと見せてと言われて画面をスクロールしているうちに、俺のスマートフォンは花音ちゃんの手元に渡った。
隣で変な写真が混じっていないか様子を伺っていると、懐かしい動画が再生され始めた。
空き教室で撮ったもので、匠と俺の声がばっちり入っている。その動画は、匠が読書しているところからだった。
『…お、グリム童話だ』
そう俺が声をかけながらカメラを回しているけど、匠はまだ気がついていない。
『なんか急に読みたくなっちゃってさ』
口を尖らせながら真剣に読む匠の邪魔をするように、俺は話しかけ続けた。
そして匠がカメラの方を見た時、
『うっそ、いつから撮ってたの?っていうか近いよ!』
と笑いながら言った。
当時の空気が蘇って照れくさくなっていると、花音ちゃんは画面から目を離して俺を見た。
「ねえ、“まほうのつえ”もってないの?」
「ん?何それ」
「たくみくんがいつももってるしろいつえ。それがあれば、ひとりでもおそとこわくないって」
花音ちゃんは、白杖のことを“まほうのつえ”と呼んでいた。きっとそう教えられたのだろう。
なら俺は、変に事実を伝える必要はない。けど、何を言えば良いのかわからない。
悩んだ末に出た言葉が、これだった。
「…俺がいたからだよ。匠と俺はいつも隣で、歩く時は手繋いでたし」
そう言うと、花音ちゃんは納得したように頷いた。
「いいな〜。かのんもいっしょにがっこういきたかった」
またスクロールを再開し、大学時代の写真に移り変わる。
10年前の写真と動画を見ながら話していると、あっという間に時間は過ぎていった。
正午を少し過ぎた頃、絢音が帰ってきた。
「ままおかえり!」
花音ちゃんが絢音に勢いよく飛びついた。その頭を撫でながら何か言いたげにニヤニヤしている。
「ただいま。ちゃんと仲良しになったみたいね。何してたの?」
「あのね、そうたにしゃしんみせてもらってた!あの…ままのかみがくるくるでかわいいの!」
しれっと呼び捨てされていたが、まあいい。約束はちゃんと守ってくれた。
その直後に坂本さんも帰ってきて、俺の役目は終わった。そう考えていたが、
「そうたもいっしょにおひるごはんたべるよね?」
と花音ちゃんがやってきて俺の手を取った。
気持ちは自宅に向いていたからつい固まってしまう。
熱い視線を感じながら2人の方を見る。
「小島さん、もう少しいてもらってもいいですか?」
「そうね…お寿司とかどう?」
ということで、俺は坂本家と昼食をとることになった。
久しぶりに来る回転寿司は、想像以上に寒い。
席は坂本さんの隣だろうなと勝手に思っていたけど、花音ちゃんに引っ張られてその横になった。
「ねえ、あれとって。あなご」
「こらっ!取ってくださいでしょ?」
「…とってください」
よく考えると、絢音の母親姿を見るのは今日が初めて。だからか、この光景がすごく新鮮に感じる。
俺は流れてくる穴子の皿を取って花音ちゃんに渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!かのんはね、おすしでいちばんあなごがすき!」
花音ちゃんは律儀に手を合わせてから食べ始めた。
俺にも子どもとかできたらこういう感じなのかな…なんて、叶いそうにないことが浮かぶ。
「いいね。俺も好きだよ」
そう言ってから手元にある鉄火巻を口に入れて噛んだ。
その間も、花音ちゃんは楽しそうに写真の話をしていた。
フォルダの中では結婚式の写真がお気に入りだったようで、ドレスのことばかり質問している。
花音ちゃんに促されるままにスマホを取り出してその写真を見せると、懐かしいと言って笑った。
「…あ、そういえば、この日匠のこと連れてきてくれたの小島さんでしたよね」
ちょうど穴子を口に入れた直後だったので、口を隠しながら答えた。
「そういえば、そんなこともありましたね」
すると花音ちゃんがこちらを向いて、
「じゃあ、たくみくんとおててつないできたの?」
と真っ直ぐな笑顔で聞いてきた。
「手は繋がないよ。匠は俺の腕掴んでた」
言った後、少しシュンとして花音ちゃんは呟いた。
「へえ、おとなになったらおててつながないんだ」
デザートを食べ終えた頃、花音ちゃんが突然立ち上がった。
「まま、といれいってくる」
「ちょっと待って!ママも行くから」
そのまま歩き出した花音ちゃんの後を絢音がバッグを持って慌ててついて行く。
それを見送って2人きりになった途端、ストレートな言葉が飛んできた。
「小島さんって、匠のこと好きですよね。恋愛的な意味で」
飲んでいた緑茶を吹き出しそうになった。でも、俺は落ち着いて湯呑みを置く。
「…いや、そういうのじゃないですよ。今は全然違います」
「“今は”ってことは、前は好きだったんですね。ってことは元カレですか?」
失敗した。
そう思った時には、もう遅かった。




