今は遥かなザッハトルテ
この作品はいでっち51号様主催「わがままなザッハトルテたち」参加作品です。
この作品はいでっち51号様作「わがままなザッハトルテ」の二次創作となります。
元作品:https://ncode.syosetu.com/n3199gl/
季節は秋。空は夜。
僕は今、自分が通っている高校の屋上に来ている。
オカルトマニアな僕は、一つの怪談を耳にした。
この屋上には、過去にこの学校の生徒だった者の幽霊が出現するのだとか。
噂の内容は、人によってちぐはぐだった。
「気弱そうな男子生徒の幽霊が誰かを求めるように彷徨っていた」と語る人もいれば、「女子生徒の幽霊がすすり泣きながら誰かに謝り続けていた」という話も聞いた。
ただ、共通している部分もあった。
それは決まって、この学校の生徒が関与したという数年前の傷害事件が絡む。
生徒間のトラブルで、とある女子生徒が別の女子生徒を刺したらしい。
その事件に関わった生徒たちが幽霊となっている、とのことだ。
この怪談の真偽を確かめるため、僕は真夜中の屋上へと足を踏み入れた。
雲一つかかっていない夜空だった。
月の明かりを遮るものは無く、地上と星空を淡い金の光が照らす。
僕は興味は無いが、仮に天体観測とかするなら絶好の空模様なのだと思う。
そんな月下の屋上に、居たのだ。
静かに佇む、一人の女性が。
まさか、こんなにもハッキリと現れるとは思っていなかった。
覚悟の無い邂逅に、僕の心臓は激しく高鳴り緊張を訴える。
女性の幽霊がこちらに気づいて、振り向いた。
生徒のようには見えない。僕より五つか六つは年上だろうか。
厚手のコートを着込んでいて、顔と両手以外に肌の露出は無い。
彼女は少し驚いたような表情を見せると、僕に声をかけてきた。
「うわ、びっくりした。ここの生徒? 何しに来たの、こんな時間に、こんなところへ」
「え……? え、あれ? に、人間?」
「人間って。私のこと何だと思ったの?」
「いや、この屋上に幽霊が出るって話を聞いて……」
「ふふ、何それ。今この学校、そんな話があるんだ」
「お姉さんは、ここで何をしてるんですか? 生徒でも先生でもないですよね……?」
「あー、うん。私、前にこの学校に通っててね。私物……って言っていいのかな。この学校を出る時に忘れ物をしちゃって。それを取りに来てたの」
見れば、彼女は左腕の脇に何かを抱えている。
金属製の筒のように見えるそれは、望遠鏡だろうか。
「この屋上、私の思い出の場所でさ。もう二度とここに来ることは無いだろうから、最後にちょっと寄ってたんだ」
「そうだったんですか」
「じゃあ、部外者だし、私はそろそろ帰ろうかな。幽霊見つかるといいね」
そう言って立ち去る彼女の背中を、僕は静かに見送った。
その背中を見ながら「名前を聞いてなかった」とか「やっぱり不審者だったのでは」などと考えたが、下手なことを聞けない雰囲気が彼女の背中から感じられた。静かに見送ることしかできなかった。
そう思ったのだが。
階段へと続くドアを開けようとした彼女が急に振り返り、再び声をかけてきた。
「そういえばさ、さっき言ってた幽霊の話。それって、この学校の生徒に刺された女の子が幽霊になって出てくる……みたいな話だったりする?」
「え? あ、はい。数年前の事件で……」
「ふふ。だったら、その幽霊は出てこないよ。だってその刺された子、まだ生きてるし」
「へ……?」
話の内容をすぐには呑み込めず唖然とする僕を尻目に、今度こそ彼女は立ち去った。
◆
その日のうちに、私は回収した望遠鏡を、然るべき場所に供養した。
次の日。
私は現在、仙台駅の片隅にある喫茶店にいる。
一人用の席に座り、注文した商品を待っているところだ。
私は生きていた。
あれだけメッタ刺しにされたのに、奇跡的に一命を取り留めたのだ。
とはいえ、やはり無傷とはいかない。身体には今でも無数の傷跡が残っているし、激しい運動などはもう二度と出来ないくらいには後遺症も残っている。
サチはきっとまだ、私が死んだものだと思い込んでいるだろう。
実際、新聞やテレビなどでは、あの事件で私は死んだと報道された。
慰謝料などはいらない。示談も謝罪も必要ない。
再び顔を合わせれば、きっと私たちは再びこじれる。
だから私は死んだことにして、もう二度とサチとは顔を合わせないようにしたい。意識を取り戻した後で、警察の人にそう伝えた。
世間一般には公表されていないが、そういう話はよくあるらしい。トラブルで殺されかけた人が、ニュースでは死んだと報道されて、加害者にも死亡したと報告して、被害者が加害者とこれ以降の接触を避けられるよう取り計らうケースが。
だから、あの刺された日からずっとサチには会っていない。
サチが今どこで何をしているのかも私は知らない。
療養中のベッドの上で、私はずっと考えていた。
サチと友達になりたかっただけだった。
それがどうして、あんな結末になったのだろう。
当時の私は家族を喪ったばかりで、心が不安定だった。
でも、だからって、どうしてあんな方向に暴走しちゃったのだろう。
考えるほどに、虚しくなった。
サチと朔君……いや、真部君が付き合いを始めると聞いた時、真部君にサチを取られたような……二人が勝手にどこか遠くへ行って私を置いていってしまうような……そんな気持ちになった。
私は大きなショックを受けて学校にも行けなくなったのに、二人は私を忘れようとするように付き合いを続けていた。そんな二人のことを考えると、昏い感情が当時の私の中に渦巻いた。
そういった苦い気持ちを抑えて、私が二人を祝福すれば、私たちは今もまだ友達だっただろうか。
仲直りのチャンスは、いくらでもあったのに。
私たちは甘かった。
私たちは青かった。
ああいった苦味を飲み込むには、私たちはまだ若すぎたのだろう。
注文していた紅茶とザッハトルテが運ばれてきた。
まだサチと仲が良かったころに聞いたが、この店のザッハトルテは彼女のお気に入りらしい。
まずは紅茶で舌を潤し、それから彼女が愛したザッハトルテを口の中へと運ぶ。
苦い……。
こんなに苦いザッハトルテというのも珍しい。
けれど。
今は、この苦さが身に染みる。