土曜日、あの子の髪を結う
土曜日、学校は休みだ。けれど部活動がある。
といっても、咲咲音の部活は文化部で、コスプレ部という前衛的な部活だ。緩く活動しており、部活は休みの日の午後から。コスプレ部は衣装担当、ヘアメイク担当、メイク担当、撮影担当、モデルに分かれており、咲咲音はヘアメイク担当だった。アニメのキャラなどをモデルがやり、撮影したものをTik Tokなどに挙げて活動している。趣味的な部分の強い部活動だが、学校の名前を使って、Tik TokやYouTubeに撮影した動画などを挙げ、学校の宣伝活動をしているということで、一定の支持を得ているし、学校の公認が降りている。
ある意味、すごい部活なのだけれど、まだ活動内容は薄い。最近はコスプレ動画より、メイキング動画の方が伸びていて、ヘアメイク担当である咲咲音はわりと忙しかったりする。
「さざ姉! 髪やって!」
「土曜日なんだから自分でやりなさい」
咲咲音には三人の妹がいる。実愛子、二千翔、芭哉祢。かしまし娘たちの髪結いが咲咲音の朝の仕事である。が、今日は土曜日、休日だ。学校に行くわけでもないのにおめかしをする必要はない。
それに、今日は先約がある。制服を着た咲咲音は、鞄を持って玄関に向かう。そこへ、髪結いをせがんできた妹の実愛子が疑問符を投げた。
「さざ姉、部活は午後じゃなかった?」
「女子高生には色々あるんです。あと、部活の撮影の準備とか大変なんだからね」
「ああ! YouTubeのヘアスタイリング動画、滅茶苦茶伸びてるもんね! あたしも観た! ショートのやつで早送りにしているとはいえ、さざ姉の手さばきは控えめに言って神。こないだは手紙屋のやつの主人公のやつとか再現度マジで高くて、中学でも話題になったよ! ウチのお姉ちゃんですって思うと鼻高々!」
「褒めても髪は結わないよ。いい加減一人でできるようになりなさい。もう中学生のお姉ちゃんなんだから」
いってきます、と咲咲音は出ていく。
正直、動画の再生数とか、咲咲音はどうでもよかった。自分は好きなことをしているだけである。
咲咲音は三人も妹がいるためか、髪結いが好きだった。日常的に妹たちの髪を触っていて、共働きで忙しい両親の代わりに妹たちを迎えに保育園に行ったとき、先生たちに褒められたのを覚えている。嬉しかった。
今の学校にしたのも、髪結いが部活でできるなんて最高、と思ったからだ。YouTubeやTik Tokははっきり言ってどうでもいい。趣味として咲咲音の中で髪結いは昇華されていた。
けれど、部活はわりと虚しかった。
スタイルも顔もいい長身女子がモデル枠で入ってきて、ほえええ、と思っていたけれど、その人は冷たく、ウィッグを被るから自分の髪を触らないでほしい、と言ってきた。
「自分の髪の管理は自分でしてるの。あなたみたいなベリショにしないと自分の髪も管理できないような人には特に触ってほしくない」
痛いところを衝かれた。
咲咲音の数少ないコンプレックスの一つ。それは髪が短いことだ。仕方なく短くしている。
切れ毛や抜け毛がひどくただのショートヘアではなく、ベリーショートにしなければ、そこにいるだけで足元を髪の毛まみれにするような存在なのだ。
髪を結おうにも、髪の毛が脆く、すぐ切れて、ぼろぼろになってしまう。何か深刻な病気なのだろうか、と懸念した両親に大きな病院に連れて行かれたことがあったが、特に病院はなかった。
そういう髪質であるため、他人に迷惑をかけないよう、男の子と同じくらいのベリショにしている。本当は自分でだって、髪結いをしたい。けれど、それができない。その反りのように、咲咲音は妹たちの髪を結った。
でも、モデルの子には拒絶されてしまったので、咲咲音はウィッグ相手に髪を結うことになった。その寂しさと来たらない。人の温もりがそこにないのだ。今日の髪質は滑らかとか、パサついているとか、そういう生き物だからこその変化がない。編み込み動画を撮影しても、コメント欄で「別にウィッグ相手にやるだけなら誰でもできるくね?」といった心無い言葉をもらうこともある。
まあでも、咲咲音は別に髪結いは趣味で、髪結いで有名になりたいわけではない。コメントに思うところはあるけれど、割り切れる。
ただ、やはり、ウィッグよりは直接人の髪を触りたかった。あんな化学合成繊維みたいなやつではなく。
咲咲音はそう思いを馳せながら、一軒家の前に立った。少し住宅街から外れているその家は少し物寂しげだ。そんなことを思うのも、咲咲音が感傷的な気分だからだろうけど。
インターホンを押す。
「由比ヶ浜さん、早くにどうも」
「美紅璃さん、おはようございます」
訪れたのは同級生の家だ。髪を雑多に一つに括っているスウェット姿の少女の名前は美紅璃。咲咲音と同じ学校の生徒だ。
中に上げてもらうと、家は雑然としていた。美紅璃は一人っ子な上に片親で、その母親は風俗をやっているらしく、ほとんど家にいないという。
雑然とした印象はあるが、見ていられないほど散らかっているわけではない絶妙な加減。咲咲音は見慣れてきたものの、目を細めてしまう。
「すみません、散らかってて……」
「い、いえ。散らかってるってほどじゃないですし。朝ごはんは食べました?」
「いえ……由比ヶ浜さんは制服ってことは、部活あるんですか?」
「はい。でも、午後からなので、時間はたっぷりありますよ」
「はは、それはよかった」
「まずは朝ごはんを食べましょうか」
美紅璃の家には食材がほとんどない。美紅璃は食事のほとんどをカップ麺で済ませているからだ。美紅璃の母も同様。
ただ、咲咲音が来るときに合わせて、材料を用意するようになった。
「簡単なものですけど」
「いや、主菜副菜おみおつけなんて、豪華ですよ」
焼き鮭、おひたし、味噌汁、白米。まあなんとも日本らしい朝食である。これくらいで喜んでもらえるのなら、という思いと、普段からもっとちゃんと食べてほしい、という思いが咲咲音の中で渦巻いた。
「お母様の分も作っておいたので、食べてくださるといいんですけど」
「母、いつも由比ヶ浜さんが来るの楽しみにしてますよ。おみおつけなんて『酒飲みの体に染みる~!!』って感謝のメモ残していきますから」
「それはよかった」
美紅璃との交流はひょんなことからだった。
体育の授業でクラス合同になったとき、美紅璃は髪の毛がばさくさとしていて大変そうだった。体格もいいし、運動神経もいいのに、髪の毛の量がたくさんあるせいで実力を発揮できていない。そんな風に見えた。
それで、声をかけてみたのだ。髪の毛をすっきりまとめる方法、試してみたいから、髪の毛を弄らせてほしい、と。
美紅璃は自分の容姿や髪型に頓着がなかったようで、声をかけられて驚いていたが、頓着がないために、どうとでも好きにどうぞ、としたのが始まりである。
始めは学校でやっていたのだが、美紅璃の髪の毛の量が凄まじいので目立ち、咲咲音もコスプレ部の活動で有名になりつつあったので、目立ちに目立った。画面越しだとどうとも思わない人の言葉や視線が気になり、ひっそりやろう、ということで、土曜の朝、咲咲音が美紅璃の家に訪ねるようになった。
で、家を訪ねたら、毎日カップ麺だというし、健康に悪いということで、咲咲音は簡素ではあるが、ごはんを作るようになった。
美紅璃は手入れさえちゃんとすれば、美しい髪の持ち主である。みどりの黒髪、というのだろうか。剛毛というと響きがあまり可愛くないが、太くしっかりとした毛質は咲咲音からすれば羨ましいくらいで、編み込みも飾り編みもしやすい。きっと美紅璃の母も綺麗な髪をしているのだろう。そういう仕事だから手入れをしているのもあるだろうが、元々の髪が良ければ、いくらでも女の人は綺麗になれる。髪は女の命というのはそういうことだ。美紅璃の母に直接会ったことはないけれど。
美紅璃が朝食を食べているうちに、咲咲音は鞄から数種類の櫛を取り出す。美紅璃は毛量が多いが、母から髪を切るな、と命じられ、散髪代もないため、今のもさもさとした髪をそのままに受け入れなくてはならない。それを毎日整えるのはかなりの苦労だろう。
その割、母親が手入れの仕方を教えないので大変なのだ。その手入れの仕方を咲咲音が教えながら髪を結う。土曜日はそういう日と二人で決めていた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
雑多に束ねられた髪も、初めて会ったときより整って見える。美紅璃も美紅璃なりに手入れを頑張っているのだろう。
食器を片付けた美紅璃と向き合って、よろしくお願いいたします、と頭を下げる。
「じゃあ、ほどきますね」
「はい」
美紅璃の髪をほどくと、もさあっと広がって、相変わらず羨ましい、と咲咲音は思った。その髪をまずは大きな櫛でといていく。
「おっ引っかかりないですよ。すごい」
「由比ヶ浜さんに毎週教えてもらっているからです。本当にありがとうございます」
大きな櫛でざっくりとかしたら、今度は少し目の細かい櫛。全体をとかして、段々目の細かい櫛にしていくのを繰り返すと、不思議なことにそれだけで髪が艶めきを出してくるのだ。
「びっくりしました。母が櫛を何個もお下がりしてくれたんですけど、こんなにいるかって思ってたんですよね」
「使い方がわかるまで大変ですよね。動画とか調べたって、自分でやるといまいちわからないですし。それに髪が長いと絡まりやすいから、一つの櫛でやりきるだけで一苦労でしょう?」
「ええ。だから疲れる分に見合った効果がないって匙投げてたんですけど。由比ヶ浜さんが声かけてくれて、本当、嬉しかったです」
会話しながら、すー、すー、と髪をとかしていく。初めて会ったときよりも一人で随分滑らかにできるようになったんだな、と咲咲音は実感して、少し寂しい気持ちになった。
妹たちも未だに甘えてくるけれど、一人でできるようにはなっている。いずれ、コスプレ部のモデルみたいに、自分以外に髪を触らせないようになるのかもしれない。それを思うと、この寂しさが、親離れしていく子どもを見る気持ちか、なんて理解できてしまったり。
そのうち、美紅璃にとっても、自分は必要なくなるのだろうな、と思うと、胸がつきん、と痛んだ。
髪結いをして、ありがとうって言われるだけで、嬉しいのに。
「でも、だいぶ、一人で問題なくできるようになりましたね。そろそろ私に頼らなくても、一人でお手入れできるんじゃないですか?」
「それはそうですね」
美紅璃の淡白な答えに、咲咲音はなんだか傷ついた。
そんなのはおかしい。妹には自分でやりなさい、というようになったのに、これでは美紅璃の髪結いは自分がやりたいみたいではないか。
「けど」
美紅璃が続ける。
「由比ヶ浜さんにやってもらうのが、一番好きです」
美紅璃の言葉に、驚きすぎて、櫛を取り落としそうになる。
「まだ編み込みの技術はないですし、っていうか編み込み以前にまだ三つ編みもできませんし。ネットで調べたんですけど、ヘアアレンジって私の想像の十倍くらいあって。学校の公式チャンネルでヘアメイクのメイキング映像出してる由比ヶ浜さん、すごいなーって。だから、これからも色々教えてください。私の髪を結ってください。そりゃ、自分でも頑張りますけども」
美紅璃の飾り気のない言葉に、咲咲音は微笑んだ。
「喜んで」
なんだか、晴れやかな気持ちだ。
そうして、咲咲音は美紅璃の髪を編み始めるのだった。




