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追憶の探偵  作者: 兎束作哉
第1章 売れない探偵
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case10 知らない恋人の顔



 俺は不味いと神津の方を見たが、彼はニコニコと笑顔を浮べていた。それが嘘なのか本物なのかは今の俺には判断できない。

 神津がどう答えるのだろうと待っていれば、依頼人は聞いてはいけないないようだったと悟ったのか、すみません。と神津が何かを言う前に謝罪の言葉を述べた。



「いいえ、別に気にしていませんよ」



 そう神津は言うと事務所の奥の方にあるグランドピアノを遠目で眺める。

 それからゆっくりと依頼人に視線を戻す。



「僕の母親はプロのヴァイオリニストです。今も現役で。そんな母と海外出張の多い父の間に生れた僕は、中学校に上がるときには既に海外にいました。そこでピアノの腕を磨いて、二十前半までピアノを続けていたんです。でも――」



 神津は息を継ぐ。

 そして、一度目を閉じてから再び口を開いた。

 それはまるで、懺悔をしているように。

 そうして再び開かれた若竹色の瞳はちらりと俺の方に向けられる。たった一瞬目が合っただけなのにドキリと心臓が跳ねてしまうのは何故だろうか。



(話したがらなかったくせに、俺以外には言うのかよ……)



 そう思いつつ、神津の家庭の事を、神津がどんなふうに十年過ごしてきたのか少しでも知れるチャンスだと、俺は耳を傾けた。

 神津はプロのヴァイオリニストの母の影響からか、音楽に興味を持った。そうして、その才能を開花させ幼い頃よりピアニストになるのではないかともてはやされていた。本人がそれを良い風に思っていたかは定かではないが、同年齢の子供からは憧れの的だった。また、父は海外出張、転勤の多い人だった。音楽と勉学の両方が突出していた神津はそれはもう目立っていたが、悪く言えば浮いていた。

 そんな神津は、彼の父の仕事の都合と、母の海外での演奏の多さから海外に引っ越すことになった。

 その十年、神津はますますピアノの腕を上げて、コンサートホールや大会にも出場するようになったらしい。将来それだけで食っていけるような才能がありながら、彼はそれを捨てて日本に帰ってきた。



「約束してたんです。そして、置いてきてしまった。大切な幼馴染みを……それを思い出したら、才能を捨ててでも日本に戻ってこようと思ったんです」



と、神津は話をくくる。


 依頼人、安護さんは魅入ったように聞いていて、「その幼馴染みさんは、恋人なんですか?」と質問をした。神津はそれに対して苦笑しつつ口を開く。



「そうですね、僕にとってとても大切な人で、全てをなげうってでも一緒にいたい恋人なんです」



と答えた。


 安護さんはそれに納得したようで、「そうですか」と呟いた。

 まさか、その神津が思っている幼馴染みが隣にいるとは安護さんは想像できないだろう。

 俺は、赤くなった顔を必死に隠すように手で顔を仰いだ。



(んなこと、依頼人の前で言わなくてもいいだろ……)



 顔から火が出そうだった。いや、もしかしたら出ていたのかも知れない。そんな俺の様子に気がついたのか、神津はにこりと笑った。俺はその笑顔を見て、ブワッと体中の体温がさらに上がるのを感じ、慌てて咳払いをした。



「明智さんどうなさったんですか?」

「い、いえ……少し喉の調子が悪くてですね……ああ、それで依頼の件承りました。見つかり次第連絡を入れさせていただきます」



 そう俺が言えば、安護さんはありがとうございます。と目尻をさらに下げて微笑んだ。

 それから、少し雑談をし、猫の情報を聞きながら時間が過ぎていき、安護さんは時間だと、事務所を出て行った。ようやく、二人きりになり事務所の中に静寂が訪れる。

 とても息がつまるような、緊張した空気。理由は言わずもがなだ。



「春ちゃん」

「……っ、な、何だよ。神津」



 そっ……と、手が触れただけなのに、俺の身体は過剰に反応し、挙動不審になってしまう。それを見た神津は「そんな露骨に……」と少し呆れたように言葉を漏らす。でも、嫌がっている感じではなく、先ほどの自分の言葉が俺に響いたのだと確信しているような、少し余裕のある表情だった。いや、こいつに余裕じゃないときがあっただろうか、あるとするならベッドの上……


 そこまで思って俺は首を横に振った。



「何だかさっきの恥ずかしかったなあ」

「さっきのって……お前、自分で言い出したくせに」

「だって、聞かれたら答えなきゃ」



と、神津はいって昨日とは違い、俺と向かいの席に座る。隣に座られなかったことに少し寂しさを感じつつも、俺はわざと足を横に広げる。



「俺が聞いても答えてくれないだろ」

「うーん、春ちゃんと面と向かって言うのは恥ずかしいって言うか……」



 そう、言葉を濁す神津。

 俺が怪しむように見つめれば、神津ははぐらかすように微笑む。



「僕だけ言うのは不公平じゃん」

「……」

「春ちゃんの空白の十年を教えてくれたら、僕の十年分教えてあげる。これなら、公平でしょ?」



 そうでしょ? と繰り返し、神津は俺を見る。


 何が公平なのかと文句を言いたかったが、確かに一理あると思った。俺が神津の立場だったら同じ条件を突きつけていただろう。

 だが、俺は話す気がない。

 口をギュッと閉じていれば、神津は巫山戯たように「キス待ち?」などといってきたため、俺は神津を睨み付けてやった。神津はそんな俺を見ながら怖ーいとほざいていたが、急に冷静になったように目を伏せると、ため息をついた。それから神津は、絞り出すように口を開いた。



「……春ちゃんは僕のこと知りたくないの?」



と、いった彼の表情は暗くて少し見えなかった。




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