休息のために
「重篤な損傷は強い治癒魔法で修復すると体に障るな……」
馬体を眺めながらレミィが呟く。
エルフの使う強い治癒魔法であれば、あっという間に傷が塞がり、荒れた蹄なども元通りになるだろう。折れた骨だってその場でくっつき、瀕死の重症でさえ一瞬で治療が完了するような魔法だ。
しかし、その代わりに強い治癒魔法をかけられた側には強い体力的な負担がかかることになる。一瞬ではあるが、死ぬかと思うほどの激痛に苛まれ、これから回復するだろう体力まで前借りするように利用してしまう。そのうえ、しばらくはなんとなぬ疲労が回復しないという状態が続く。
無理矢理折れた骨を魔法でその場でえいっ! とくっつけていくようなものだ。そんなことをすれば激痛が走るのは当然。エルフ御用達の強い治癒魔法は、体が丈夫で痛みに強い者にしか使うことができない。
弱った動物にそんな魔法を使用するのは酷だろう。だから、先ほどから彼女は「治癒香」という治癒魔法を馬にかけ続けているのだ、
治癒香という魔法は対象の自然治癒力を活性化させる魔法である。魔法の香りでリラックスさせ、心の疲労にもわずかに効果があるため、今の馬にはピッタリな応急処置だった。
「ここが洗い場か、しっかりしているな。広くて使いやすそうだ」
店主に言われるがまま洗い場にやってきたレミィは、グリフォンやヒッポグリフ用の無口頭絡を掴むと、馬からハミと手綱のついた頭絡を外して無口のほうを取り付ける。
無口は犬猫につける首輪のようなもので、中型動物に分類される馬には顔にそれを取り付け、横に持ち主が曳いて歩くためのロープ。『引き手』を金具でつけるのだ。
両側に引き手をつけてから、狭い洗い場の両端にある金属の輪にロープを固定。馬が立ったまま、落ちついた様子を見せていることを確認してレミィは頷いた。
「よしよし、いい子だね。全身が痛いだろう? けれど、強い魔法は君に負担がかかる。自己治癒能力を高めてゆっくりと治していこうな」
声をかけてから、レミィは馬を安心させるように撫でると、かたわらに置いていたバケツに向かって手のひらをかざした。
「火球、青嵐、転じて熱風」
彼女の手のひらを中心に赤いオーラを纏った魔法陣が展開し、小さな火球が現れ、今度は緑色の魔法陣が重なるように現れて強い風が吹く。
出力の調整されたそれらがあたたかい風となって彼女の腕に渦巻き、まとわりついた。
「水球」
赤、緑に続いて今度は青色の魔法陣が三つ重なり合い、バケツの中へと水の球がたっぷりと入る。
バケツになみなみと入った水を見てレミィは魔法陣を消し、頷いてバケツの水に手を差し入れた。
「うん、いいぬるま湯」
彼女はひじょうに嬉しそうだが、それを見ていた馬は目をむいて一連の光景を眺めていた。ドン引きである。この馬にとっては魔法を使う場面など、催眠魔法を行使されるときにしかお目にかかることはできず、すなわちトラウマでしかない。
よって、彼女がいい感じだと言ったぬるま湯をバケツごと差し出されても首をピンと上に伸ばして拒否をする姿勢になった。仕方のないことである。
「ありゃ?」
しかしこの女、まったくそうとは気づかずに首を傾げる。
その拍子に、バケツの中に入っているぬるま湯もたぷんと揺れた。