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第九章 「転移再び」

 翌日から本格的に微凪の言語特訓が始まった。休み時間に微凪特製のエレクシス語検定プリントを渡され、次の休み時間には回収され、添削されたプリントと次の課題を渡される、の繰り返しが続いた。授業中に隠れてこっそり片付けていくしかなかった。


 (中間テストが終わった直後で、ホント助かったよ・・・。)


 実際にその目で確かめるまでは半信半疑だったが、広奏は宣言通り本当に学校を休んでいた。

 驚いたのは、夏木も一緒に休んでいたことだ。朝のホームルームで、担任が


 「今日から氷岬・・・と夏木は一週間ほど休みだ。」


 と、特に理由などは言わず、事実のみを伝えていた。


 それはそれで助かったとも言える。たとえ広奏が休みだったとしても、夏木がいては微凪とのことであれこれすさまじい眼力でプレッシャーをかけてきて、場合によっては微凪と二人でいるところに乗り込まれるのではないかとまで思い、身構えていた伊識は拍子抜けして、それと同時に広奏がなぜ休んでいるのか、夏木もなぜ同時に休んでいるのか、その疑問が再度ムクムク頭をもたげてきて、枕井に


 「なあ、何で広奏と夏木は同時に休んでるんだ?二人で一緒の用事なのか?」


 と聞いてみたが


 「何でお前が知らない氷岬の情報を俺が知ってると思うんだ?」


 と返されて、何も言い返せずにそれで終わってしまった。


 そうして、あっという間に六日間が過ぎた。


 時間が経つにつれ、エレクシスに行っていたときの記憶もだんだんと薄れてくる。


 「なァ、本当俺召還モウ一度?されルのか?」


 多少、単語の順番がおかしかったり、カタコトな感じは残るものの、ほぼ日常会話では問題なく微凪とエレクシス語で会話できるようになっていた。


 「そうよ。それは絶対。気を緩めないで。」


 フリードリンクのジュースをストローで飲みながら、微凪もエレクシス語で返す。


 このカラオケボックスの雰囲気にもだいぶ慣れてきた。二人とも一度も歌いはしなかったが。


 「とにかく良かタ。言葉、大体オボれた。」

 「『オボえられた』ね。」

 「そう、そレ。」

 「今日は、少しエレクシスの歴史、教えておくわ。」


 微凪はペンを取り出して、テーブルの上のメモを一枚破った。


 「・・・。」


 微凪は、サラサラと紙にエレクシスの大陸を簡略化して描いた。歴史を教わるのは今日が初めてだが、地図は以前にも何回か微凪が描いて説明していたので、大体のところは伊識も分かっていた。


 「この二重丸が、霊峰ヒャレン・ザッンク・デルラス・マスダ・ソーザイア・ショテイ・ニョクマム・レッフ・ヘン・ミッアース。『魔法の達人こと緒帝ニョクマムのおさえし山』という意味。たぶん、次回召還されたら、ここを目指すことになる、と思う。」


 微凪はメモに書いた地図の、だいぶ内陸に入った辺りに○印をつけ、わきに『霊峰ヒャレン』と記す。

もちろん、エレクシス文字で、である。


 「そんなとこ、イクの、疲れて、大変そう。なぜそんな交通ガ不便デノところに?」


 地理関係については、二日前に集中講義を受けたばかりである。そのときから気になっていた。


 「仕方がない。ここがエレクシスの魔法発祥の地だから。」


 微凪は、トントンと、自身がつけた○をペンでつついた。


 「遥か昔に、この地に魔法使いたちが住み始めて、人間を支配していた。人間も、この霊峰からは遠く離れずに、魔法使いたちに支配されていた。」

 「支ハイ?魔法使イたちは人間を奴隷ナように扱ったカ?」

 「・・・原始の魔法使いというのは、神と同じ意味合いと思って良いけど、奴隷というのはどうかしら。実のところ、魔法使いと人間がどういう関係であったかは、よく分かっていない。いないんだけど、それなりに友好は保たれていたみたい。でも、時が経つにつれ、魔法使い自身か、人間か、分からないけど、良からぬことを考える者が出てきた。」


 微凪は、まだペンでつつき続けている。つつかれた○は、すでにただの○ではなく、不味そうなゴマ団子のような図柄になってしまっていた。


 「この霊峰ヒャレンを、魔界と繋いでしまった者たちがいたの。霊峰ヒャレンの上空に、魔界の入り口・・・エレクシスにとっては出口だけど、とにかく穴がぽっかり開いて、そこからウジャウジャ魔物がエレクシスに侵入してきた。」


 話し振りは冷静だったが、気が昂ぶっているようで、微凪は、今度はグリグリと○を塗りつぶし始め、黒丸に変えようとしていく。


 「魔物の大量出現で、しばらく世界は混乱し続けた。それを数万年前に、初代ソーザイアである『緒帝』ニョクマムが、魔界とをつなぐ上空の穴を塞いで、混乱を終結させた。」


 『緒帝ニョクマム』のところを微凪は『ショテイ・ニョクマム』と発音した。恐らくそれがエレクシス語訳、なのだろうが、日本語の発音そのままでもある。


 (霊峰ヒャレンの正式名にも『ショテイ』って言葉が含まれていたような、そういや。)


 伊識は先ほどの長ったらしい霊峰の正式名を思い返した。


 「そ・・・そカ・・・それで、そのしょていにょくまむが頑張る、ソレで平和に・・・なたわけじゃない、ヨネ?」

 「そう、残念ながら。」


 微凪がペンでグリグリしすぎて、黒丸にはもう穴が開き始めている。


 「緒帝ニョクマムがしたのは、封印。封印はいつか破られる時が来る。ニョクマムもそう予言していた。魔界の側からもエレクシスに侵攻しようとたくらむ魔物もいたし、エレクシスの側からも魔界をまた繋いで混乱をもたらそうとする者もいた。ニョクマムの封印の力はしばらくは効果があったけど・・・。」


 今の二人の会話はすべてエレクシス語である。第三者が聞いても、何を言っているかは分からない。分からない上に、ここはカラオケボックスの個室なのだから誰にも聞こえないはずだが、重要なところを話すときには微凪は少し声を潜めて話した。


 「しバラく?十年クライカ?」

 「いえ、三千年くらい。」

 「・・・そカ・・・。」


 時間のスケールの凄まじさにはそれほど驚かなくなっていたが、さすがに三千年は長いなと思う。


 ようやく、微凪は穴のあいた黒丸からペンを離して、その脇に『緒帝ニョクマム』と日本語で書いて、その下にエレクシス言語をサラサラと書いた。これまでに習ったエレクシス文字ではない。はじめて見る文字だった。


 「何て読ム?全然読む、できない。」

 「ショテイ・ニョクマムと書いたのよ。これはエレクシスの古代語。」

 「古代語・・・。」


 この言葉も覚えなくちゃならないのかなと思った次の瞬間に


 「明日から、この古代語も少し勉強するから。」


 と言われ、微凪の『少し』は全然少しではないことを知っている伊識は心底『うへぇ・・・。』という表情になりながらも


 「ナゼ、それの字、使ウか?」


 と疑問を口にする。


 「え?・・・古代語なのは、遥か昔にいたニョクマムの・・・。」

 「ソじゃない、ソじゃない。」


 伊識も胸ポケットからペンを出して、微凪が日本語で書いた『緒帝』の『緒』の字を指し示す。


 「一番めの、サイショてことは、この字と違うカ?」


 伊識は『初』という漢字を記した。


 「ああ、それは・・・えと、そうね。あれ、何でかしら。」


 自分で書いておきながら、微凪も首を傾げる


 「うぅん、そうね・・・はじめから『緒帝』だったとしか言いようが。それに・・・。」



 微凪は『匿』の文字を書いた。


 「エレクシスには、古代語よりももっともっと古い時代の、ソーザイアの神文字がいくつか伝わっている。つまり、それが漢字に酷似している、というより漢字そのもののことなんだけど。この文字、あなたもエレクシスで書いたでしょ?」

 「・・・ジェッリルン・・・。」


 そう、確かに書いた。書いて、大変なことになったのだ。


 「その神文字の中に『緒帝』という語もあるけど、どの文献にも必ずこの文字が使われている。『初帝』とは決して書かない。」

 「そカ・・・。」


 そう答えるに留めた。別に言葉の意味に大したことはないのかもしれない。ただ、何か引っかかる。


 (『緒帝』は単に一番目ということではない・・・ってことを示している・・・?)


 『緒』という文字には、繋がりのある一連の出来事の途中での始まり、つまり『端緒』というような意味があるのではないだろうか。


 (『へその緒』の『緒』のような・・・何かから生まれ出るのだから原初ではない、何かの連環の中で、再び始まるもの?)


 頭の中では色々な考えが浮かぶ。ただ、そんな小難しいことをエレクシス語で表現することは今の伊識にはできなかったし、ここでは日本語で何か言っても微凪に無視されるだけだし、これ以上この話題をして脱線し続けるのも微凪に申し訳ない気がして、ここも伊識は黙っていることにした。


 微凪は『緒帝ニョクマム』の下に、さらに『ニョクマム』と書いた。


 「とにかく、その緒帝ニョクマムから三千年後くらいに、また魔界の扉が開きかけて、次のニョクマムがその扉を封印した。それから四百年後に、また扉が開いて、その次のニョクマム。」

 「三千と四ヒャク、かなり違ウ・・・。」

 「そう。魔界の扉がいつ開くかは、完全にランダム。エレクシスの人間には誰も分からない。最短だと二百年くらいで開いたこともある。」

 「そカ。アと、名前はみんなにょくまむ?」


 伊識は緒帝ニョクマムの下に書かれたニョクマムを指差す。


 「そう。みんな自分の名前を持っていたはずだけど、数百年から数千年に一度しか現れないから、その時代々々のソーザイアを人々はみなソーザイア・ニョクマムと呼んで、その名だけが伝わっている・・・。」


 何か思い出すことがあったのだろうか、また微凪が苦しそうな表情を浮かべた。


 「いつもニョクマムが閉メた?魔界の扉?何度モ?全部?」


 伊識は少し話題を変えた・・・つもりだったが、微凪の表情はますます曇った。


 「・・・。」

 「いいんチョ?」

 「え、ああ・・・・・・うん。いつも、ニョクマムがソーザイアの剣で、封印し続けた。」


 微凪はトントンと、ペンで紙をつつきながら


 「失敗は、ない。」


 と付け加えた。


 「・・・そカ。」


 失敗したことがあるのかなと、伊識は悟った。


 (封印が間に合わないってことは、魔物が扉からウジャウジャ、現れたってことか?たしかにあの世界、エレクシスにはどこか不安定なところがある・・・。)


 はじめは今の伊識自身がエレクシスにとっての異世界人だからなのかと思っていたが、その理由だけでは説明しきれない何かがあると感じていた。


 (そう・・・そうだよ、委員長個人のことだって。)


 微凪自身からしてかなり精神が不安定なように伊識には映る。時に激しやすく、かと思えば悲しそうな顔をして沈み込む、その落差が激しい。


 「・・・ファノームたちの生きているあの時代では、六百年前ね。そのときに、魔界の扉が開かれようとした。」


 微凪の説明は続く。が、半分も頭に入ってこない。


 (それはつまり、委員長の前世である俺が、何かやっちまったからってコト、だよなぁ・・・。)


 きっと微凪は伊識にもっとストレートに言いたいことがあるのではないか。エレクシス言語の習得にしても、ソーザイアの剣の探索にしても。『最善を尽くすよ。』とまでしか言わなかったことだって、きっと微凪には不満だったはずだ。


 『最善では、ダメ。絶対に成し遂げなくてはいけない。』そういう心の奥底に吐き出したい思いがいろいろあって、でもそれをグッと堪えて伊識に接しているのが、コレまでの人生、いろんなことに流され続けてきた伊識にだって、ありありと分かる。


 「・・・。」


 黙り込む伊識に気づかずに、微凪は


 「・・・先代ニョクマムが魔界の扉を封印してからも混乱は続いたの・・・魔物の力を利用しようとしていた西のライナ国と、それを阻止しようとする東のポトラ国が興って争った。先代ニョクマムは、それをヒャレンを境に分断したの・・・。」


 と言って、漢字で『両帝暦』と記し、その脇にエレクシス文字でそれに対応する文字を記した。


 「先代ニョクマムは、いがみ合っていた東西の帝国を、ヒャレンを境に不可侵として争いを終結させた。なぜこの時代を両帝暦と呼ぶのかというと、そういうこと。」


 (もともと正義感強そうな、根っからの真面目な委員長気質っぽいしなあ、委員長。だから、すぐにばれるウソしかつかないし、つけない・・・。)


 もしかして、とも思う。


 (もしかして、委員長の知る前世の俺が、失敗した?俺が、ソーザイアの剣を見つけられなかった?)


 思いは千々に乱れ飛ぶ。


 (失敗した場合、俺は来世に委員長として生まれない?いや違うんじゃ・・・既に委員長はルートの変わっている俺の前世を、これからのことも含めて知っていて、その上で今を生きていて、もう俺のこの先がどうなるか分からないって言ってるんだから、えとつまり、俺が委員長にこれから生まれ変わったら、この先のルートをその俺イコール委員長は・・・知っていることになるのか?あれ?そうなのか?)


 「でも、その両帝国の時代も、とっくに争いの時代に突入している・・・し、ヒャレンの封印も、破られようとしている・・・。」


 微凪の説明は続いているが、もはや全然頭に入っていなかった。


 (同時代に前世来世が出会うって、やっぱりおかしい。矛盾する・・・干渉するぞやっぱ。タイムトラベルよりタチ悪くないか?)


 もはや平凡な一地方高校生の理解できるところではなかった。


 (俺が来世、アリに生まれ変わるなら・・・まあそれならそれでも良い。でもそうすると俺がこれからやろうとしているソーザイアの剣の探索は?剣を見つけて、あるいは見つけられなくて、そして俺が死んで、アリになっちまったら?誰が俺にソーザイアの剣のことを伝える?アリか?いやアリ無理だろ。いくら働き者でも・・・委員長は委員長自身がエレクシス人かどうか分からないと言っていたけど、でも常に委員長の前世が俺で、完全固定だとしたら?そうだよ・・・そうだ、委員長に出会わなければ剣の探索なんてそもそも始まらないんじゃ。え?だとしたら、歴代のニョクマムって・・・。)


 「・・・柊城くん?」


 さすがに微凪も伊識の心がどこか遠くに行っていることに気付いたが、その声も伊識は届いていない。


 (それなら分かる・・・そうだよ。なぜ、自分とは無関係な世界に、そこまでするのか・・・委員長の正義感だけからくるものなわけ、ないよな・・・。)


 急に、答えが見えた気もした。しかし、その答えは確実に伊識を恐怖に陥れる類の物のような気がしたし、現にいま、伊識の背筋は凍りついていた。


 (もしかしてこれ、成功も失敗も関係ない無限の・・・。)


 「聞いてる?柊城くん!」


 フッと、我に返ると、伊識の顔の前で、手をひらひらと振っている微凪がいた。


 「あ、ああ。聞いてマス、聞いてタ。」

 「嘘。」

 「ウソじゃないよ。両帝暦。両帝暦、分カリマス、分カリマス。」

 「それは私が紙に書いたのを読んだだけでしょう?」


 微凪はフウ、とため息をついて


 「ちょっと休憩しましょうか。」


 と言って自分の飲み物に口をつけた。


 「あ、アのサ、いいんちょ。」


 おそるおそる、切り出してみる。


 「何?」

 「え・・・と・・・。」


 とは言ったものの、どう聞けば良いのだろうか。エレクシス語であまり複雑な内容のことは言えない。

 伊識は少し逡巡してから


 「もし俺、ソーザイアの剣、見つける、できなかったら、ナニが起キル?」


 と切り出した。


 「それは、前に言ったでしょ。エレクシスの、すべての人々の身に・・・。」

 「ソじゃない。ソじゃなくて。」

 「そうじゃないって・・・じゃ、どういうこと?」


 微凪は、伊識の意図が心底分からない表情を浮かべている。


 「イインチョ自身のこと。俺、剣、見つからない、それだと、イインチョ、俺の前世。だからイインチョ、どうなる?」

 「え・・・っと、それは・・・。」


 微凪は明らかに動揺の色を見せた。


 「今まで・・・歴代のニョクマムが失敗したことはないから・・・分からない。」

 「じゃ、ウマくいったら?」

 「え・・・?」


 もうこれ以上は控えるべきだろう。


 でも止められなかった。


 「剣、見つける、それナラどうなる?いいんチョは、どうなるの?」

 「・・・。」


 黙ってうつむく微凪。伊識はさらに言葉を継いだ。


 「剣のこと話すときのいいんチョ、悲しい顔シテルヨ。」


 伊識がまっすぐに微凪を見つめる。


 「すごク、悲しイ顔してル。」


 その目を見返すことができずに、微凪は目を伏せる。


 「剣、見つけたら、その悲しい顔、ナくなる?」

 「・・・て・・・。」

 「エレクシスのミンナ救う。救いたいヨ。でもイインチョが悲しいまま、ダメ。」

 「・・・めて・・・おねが・・・。」

 「ホントに、俺たちは前世ト来世だけの関係な・・・。」

 「やめてって!言ってるでしょう!」


 急にギアを数段飛ばしたような微凪の叫び。これまで逸らし続けてきた瞳を見開いて、微凪が伊識をまっすぐに見つめてくる。


 その目からは、涙がポロポロとこぼれていた。


 「あなたの役割は何?分かってるの?いい?」


 肩を掴まれて、揺すぶられる。


 「・・・お願い・・・一生のお願い。あなたはエレクシスを救うことだけを考えて・・・考えてよ。」

 「あ、いや・・・ごメ・・・でも、俺、いいんちょが・・・。」

 「それ以上は!もう何も言わないで!」


 微凪の絶叫。手で自分の顔を覆う。


 「私は別に悲しくなんかなってない!何も辛いことなんか、ない!」


 何度も何度も首を横に振る。


 「何も・・・ない・・・ない・・・よ・・・ないの、お願い・・・。」


 伊識は何を言うこともできずに、微凪に伸ばしかけた手を力なく下ろした。


 目を閉じて、ソファに身を沈める。


 「・・・。」


 気まずい、とても気まずい時間が流れる。


 隣室では、カラオケボックスの正当な使い方をしている集団が陽気な歌を大勢で陽気に歌っていて、その歌が微かに二人のいる個室にも聞こえてくる。


 それに重なる微凪の押し殺したようなすすり泣き。


 だがその時間は長く続かず、多少落ち着きを取り戻すとすぐに微凪は


 「今日はここまで。もう出ましょう。」


 と言って立ち上がった。


 「今日は、俺ガ払うヨ。」


 伝票を微凪の手から受け取ろうとするが、微凪は伊識と目も合わせず、身をヒラリとかわして伝票をつかんで、そのままズンズンと扉に向かう。


 「いいんちょ、上着・・・。」


 伊識が壁にかかっていた微凪のコートをハンガーから外す。


 ドアノブに手をかけていた微凪は、綺麗に回れ右をすると、うつむき加減でそれまでと同じようにズンズンと伊識の元に来て、手からコートをひったくるように受け取ると、再び綺麗に回れ右して、ズンズン一人歩いて、通路へと出て行ってしまった。


 「待っテ、いいんチョ」


 伊識も慌てて追いかけた。


 「・・・。」

 「・・・。」


 無言のまま、早足で歩く微凪の後ろをついていく。

カラオケ屋の受付の雰囲気は、二人のこれまでのやり取りを真っ向否定するかのように、あっけらかんと明るかった。うるさいくらいに音楽も鳴り響いている。


 「・・・あざっす。」


 受付にいる、口調がいかにも、見た目もいかにもなアルバイトに微凪が伝票を渡す。


 どのアルバイトも、みな一様に長時間一緒に個室にいて、しかもまったく歌を歌わない二人の関係をあれこれ勝手に詮索した結果、伊識に敵意むき出しの視線を向け、しかも会計はすべて微凪に任せているのを見るにつけ追い打ちをかけるように三倍増の敵意の視線を向けるのが常だった。のだが、今日は明らかに二人の様子がおかしく、勘の鈍い者でも『ああ、ケンカしたんだな。』と分かるオーラを醸し出していたから、受付のアルバイトもさすがに気付いて『マジザマァ。』というニヤついた目つきで伊識を見ているところに


 「さっきは・・・ごめんなさい。」


 と微凪がしぼり出すようにして謝罪の言葉を口にする。


 もちろん、日本語で、である。


 「あ、いや。俺こそ。」

 「ううん、私が悪いの。ごめんね、柊城くん。」


 その会話を聞いて、受付のアルバイトの口からあからさまに『チッ』という舌打ちの音が聞こえてくる。


 (ホントもう、勘弁してほしいよ・・・エレクシス行く前に、こっちの世界で命を落とすよ・・・。)


 会計を済ませて、出口に向かう。また明日もここで二人きりにならなくちゃいけないのか、と気分が沈んでいるところに


 「明日は、学校の屋上で練習しましょうか。」


 まるで伊識の思いを察したかのように、微凪が口を開いた。


 「え、いいの?委員長。」

 「明日は振替休日でしょう?部活の生徒くらいしかいないだろうから、学校。」

 「うん。それがいい。これ以上いたら、針のムシロだよ。」

 「え?・・・う、うん。」


 全然、気付いていないらしい。微凪は曖昧な返事をした。


 外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。


 「それじゃ、明日は午後、お昼をすませてから、屋上で。それまでに、こなしておいてほしい課題がコレで・・・あれ?・・・っと、課題・・・課題・・・。」


 しばらくかばんをガサゴソしていた微凪に、伊識が


 「もしかして、バッグと別に持ってた、分厚い紙袋探してる?忘れたんじゃない?個室に。」


 と指摘し、微凪はハッと気付いた表情になる。


 「取ってくる。待ってて。」


 微凪が慌ててカラオケ屋に戻る、その後ろ姿を見送って、伊識はカラオケ屋の隣にあるコンビニの店先まで移動して、店先に置かれたベンチに腰を下ろした。


 「あ~どっこいしょっと・・・ふぃ~。」


 周囲に誰もいないのを良いことに、疲れ切った中年サラリーマンのような言葉とため息をこぼす。顔を上げて、夜空に向かって再度ため息をつきつつ


 「あ~あ、銭湯、行きてえなあ・・・。」


 と、ついでの願望を口にする。バイト帰りにたまによる銭湯が、伊識にとっては最高の息抜きだったのだが、それも最近は全然かなわない。


 それに、微凪と一緒にいるときは、どうしてだか緊張してしまう。


 (やっぱり、前世の、俺のこれまでを全部知られているから・・・なのかな・・・。)


 そんな伊識の疲労困憊気味の気分とは裏腹に、秋の夜風が心地よい。見上げれば、おそらく満月ではないのだろうが、それに近い形の月が煌々と伊識の座るベンチを照らしている。


 (そういや、こんな感じのところだったよな・・・広奏と一緒に。ベンチも、こんな感じじゃなかったろうか。)


 広奏とは幼い頃からずっと一緒だったからいろいろな思い出があるが、中学一年だったときに二人で家出めいたことをした時のことは特によく覚えている。


 当時の広奏は、女の子そのものの外見のことでいろいろ言われ続けるのがピークに達していた時期で、伊識がことあるごとにかばい、守ってはいたが、広奏は本当につらそうで、それでも伊識と二人きりでいるときは本当に嬉しそうで、そういう広奏を見ていると伊識も胸の辺りが苦しくなる、そんなときに


 「誰もいないところに行きたい・・・・知っている人が誰もいない、遠いところ。」


 などと広奏に言われてしまって、反射的に


 「おう!じゃ、行こうぜ!今から!」


 と勢いだけで返したら、広奏が目を輝かせてコクンとうなずいたので、もうあとには引けず、その後は伊識が必死にひねり出したアイデアで、お互いの自宅に


 「今日は、伊識の家にお泊まりするから。」

 「氷岬が泊まっていけっていうから、今夜は泊まるわ。」


 と大ウソの連絡をして、そのまま本当に遠くに行ったことがあった。

とは言っても、中一の考える『遠く』だから、場所の記憶は曖昧だが、今思い返せばそれほどの遠くではなかっただろう。しかし、終電近くの電車の中でも、そして終電の終着駅にたどり着いて、そこから、車通りはそこそこあるものの人通りはほとんどない、暗くて広い道を二人であてどなく歩いているだけのときでさえも『伊識さえいてくれれば』という表情を広奏は隠さずに見せ、伊識の服のすそをムンズと掴んでついて歩き、伊識は伊識でそんな広奏にずっとドキドキしっぱなしだったのだ。


 (それで、疲れてコンビニに・・・。)


 どこのコンビニだっただろうか。これまたよく覚えていないが、やけに駐車場の広いコンビニだった。深夜は店を閉めてしまう、チェーン店などではない、地方の個人経営に近いようなコンビニで、それでも駐車場だけは開放されていて、車中で仮眠しているのだろう、大型のトラックが何台も停まっていた。


 店先に無造作に置かれた、冷たいベンチに座った。

二人並んで月明かりの下、色んな話をした。どんな話をしたのかは今となってはまったく覚えていない。他愛もない話をしたのだろう。けれども広奏は、これまで伊識が見たことのある、どの広奏よりも楽しそうに、うれしそうに話していたし、話すこともなくなって、黙って二人で月を見上げているだけの時も、とても満足そうだった。


 やがてウトウトし始めた広奏がトン、と伊識の肩に頭を乗せて、すぐにスウスウ寝息を立て、伊識は自分の上着を広奏にかけてやり、そしてその後は眠る広奏を気遣いながら、朝まで一睡もしなかったのだった。


 今思えば、それなりに目立つあんな場所で、夜中に中学生がフラフラしていて、よく誰にもとがめられずに過ごせたものである。


 夜はそうやって乗り切ることができたが、ただ、親には子供のウソというものは簡単に見破られるのは当然で、翌朝に伊識が広奏を家まで送ったときに、広奏の自宅前に氷岬家、柊城家の親がズラリと勢ぞろいして仁王立ちしているのが遠くに見えた段階で、早くも伊識は観念し、広奏を自分の背中につかせた。


 その後はもうこういうときの定番の流れだった。伊識は父親に


 「お前が広奏ちゃんをそそのかしたんだろ!」


 と、こっぴどくどやされた。


 広奏の父親は良くできた人で、そんな伊識の両親に


 「まあ、まあ。正直ちょっと見直しましたよ。広奏もこういうことをするんだなって。伊識くんのおかげですよ。」


 と、妙な弁護をしてくれた。


 こうして楽しい夜の二人旅はさんざんに怒られて終わったわけだが、氷岬家からの帰り道、伊識はムスッとしてズンズン前を歩く父親には聞けず、横を歩く母親に向かって


 「何で氷岬の家の前で勢ぞろいして待っていたのか?」


 と尋ね、母親が


 「ああ、それはね・・・。」


 と答えようとするのを父親が無理やり間に割って入って引き継いで


 「お前は広奏ちゃんを責任持ってちゃんと自宅に送り届けると踏んだからだ。もしそうしてなかったら、お前をぶん殴ってた、かもしれん。」


 と、ムスッとしたままの口調で、振り向きもせずそう答えたのだった。


 母親が、あとでこっそり


 「お父さんはあれでもあなたのそういうところ、信じてるのよ。」


 と伊識に耳打ちした。


 「・・・。」


 高校生になった今、思い返しても、しでかしたことに対する後悔は微塵もない。むしろその選択は間違いのないものだったという思いのほうが強い。広奏と二人だけで遠出して過ごした初めての夜。


 (まぁ、いろいろあったけど楽しかったよなぁ、ホント。広奏覚えてるかな、このときのこと・・・。)


 本当に懐かしく、今でも思い出すたびにドキドキしてしまう。


 それにしても、である。


 (あのおっかない親父が、母親になってるわけか・・・想像できん。)


 頭をブンブン振って、夜空を見上げる。


 今、見えている月は、あの晩広奏と二人で見上げた月に似ている気もする。


 (広奏、どこにいるんだろ・・・。)


 探し物がなかなか見つからないのか、微凪はまだ戻らない。


 「・・・広奏に、会いたいな・・・。」


 小さくそうつぶやいて、伊識はカバンから小さな包みを取り出す。


 広奏から受け取った、誕生日のプレゼントだった。


 「誕生日まで、開けちゃダメ。広奏の見るなのタブー、ね。」


 毎日何度も手に取って飽かず眺めては、また律儀にカバンにしまう、それを繰り返してきた。


 (明日が、その誕生日か・・・。)


 じっと、包みを見つめていた伊識は、意気込んだ風情などまったく見せず、しごくアッサリと、その包みを解いてしまった。


 「・・・。」


 中に入っていたのは、予想通りの四角い箱だった。


 (何だろう。どんな素材でできているんだ?)


 漆塗り、というのとも違うが、何かで例えるならそれが一番近い。『ウネウネ』という表現がぴったりくるような、光の当たり方によって様々な表情を見せる不思議な箱だった。


 そして・・・ここが一番気になっていたのだが・・・あまりにも軽すぎるのだ。箱の重さしかないような感じで、軽く振ってみても中からは何の音もしない。


 (中身を入れ忘れたわけじゃないよな、広奏・・・。)


 ユラユラと、箱を振り続ける。


 (明日が、誕生日・・・。)


 じっと箱を見つめていた伊識は、包み紙を剥がしたときと同じように、まだ一日あるというのに、何のためらいもなく、これまたアッサリと箱の蓋を開けてしまった。


 「うおっ、眩し・・・。」


 中に何が入っているかどうかなど、確認する暇もなかった。箱を開けた瞬間、中からすさまじい光が広がって、伊識の目を眩ませる。


 「何なんだ?」


 腕で顔を覆って、光から目を守る。しばらくすると、光は収まった。


 「広奏、お前・・・。」


 いわゆるビックリ箱的なものをプレゼントされたのかと思ったが、箱の中身を見て、そうではないということを悟らされた。


 伊識が予測した通り、箱の中には何も入っていなかった。


 ただ、箱の内側の底面に、メッセージが彫られていた。


 そしてその文字は、どう見てもエレクシス文字だったのである。


 「・・・そうか・・・。」


 それ以外に言いようがあるだろうに、自分でも不思議な、ただその一言の感想を伊識は漏らした。


 微凪の特訓のおかげで、文章もある程度は読める。月明かりと、コンビニの外灯の力を借りて、とりあえず文面に目を通してみた。


 「親愛なる伊識。ソーザイアの剣、それは『選びて選ばざるもの、選ばずして選びしもの』だよ。じゃ、エレクシスに、気を付けて行ってきてね。大好きで大切な・・・・私だけの伊識。あなたの広奏。」


 ・

 ・

 ・


 「・・・そうか・・・。」


 再び同じ言葉が口をついて出る。驚きがほとんど生じない自分がいることにすら驚かない。それよりも、うれしさと言うか、安堵の方が先に来る。『選びて・・・』という何だか重要そうなところよりも、むしろそれ以外の文面の方が伊識にとっては大事なことだった。


 「親愛なる伊識、か。大好きで大切な伊識・・・しかも『私だけの伊識』『あなたの広奏』だって・・・。」


 ニヘラ、と気持ち悪い笑みもこぼれてしまう。


 もう二度と広奏に会えないかもしれない、というのが一番の心配だった。広奏の謎に包まれた一週間の不在、そして自分自身がもう一度エレクシスに行かなくてはいけないこと・・・行って、戻れるのかどうかだって、分からないのだ。


 何が何だかよく分からないものの、広奏が何らか関係しているということは、ともあれまた会えるということだ。広奏がいないことと自身の置かれた状況に何か繋がりがあるのだとしか思えない。


 「良かった・・・ホント良かった。」

 「良かないわよ、バカ。」


 背後から突然のボソリとしたささやき。


 「うわあぁぁぁっ!」


 叫びながらベンチから飛び上がって、その後地面にヘナヘナと座り込んでしまった。


 「フン、情けない。」


 いつか見た光景である。


 「俺の背後に忍び寄るのがそんなに好きなのか、委員長。」

 「忍び寄ってないわよ。先に声もかけたのに、気付かなかったのはそっちでしょ。それより、あなた何をしたの?」


 微凪が、伊識の足元を指さす。


 「・・・!え、これ・・・。」

 「始まったわ。」


 伊識の足元が、青白く光っている。


 「行くわ、あなた。今からエレクシスに飛ばされる。何をしたの?こんなに急に状況が変わるなんて、ありえない。」


 青白い光は、伊識を中心としてどんどん広がっていく。と同時に、不思議な共鳴音が周囲を徐々に満たしていく。


 「何って、俺はただ広奏からのプレゼ・・・手紙を・・・。」

 「え、な・・・?聞こえ・・・。」


 キーンという甲高い不思議な共鳴音が響き渡って、互いの言葉が聞き取りづらい。


 地面から発した青白い光は、最初はただ伊識を包み込むだけのぼんやりしたものだったが、その中から突如五つの光の柱が生まれ、伊識を囲むように林立した。その光の柱の一つ一つに刻み込まれるように、浮かび上がる文字。


 エレクシスの文字だった。


 『伊識は忘れっぽいから、もう一度ここに書いておくね。』

 『選んだようでいて、実は全然選んでいないもの。』

 『選んでいないようでいて、実はしっかり選んでいるもの。』

 『それがソーザイアの剣。忘れないで、伊識。』

 『気をつけてね。大好きな、大切な、私の伊識。』


 伊識を取り囲んで静止していた五本の光の柱は、まるで待っていたかのように、伊識が文面を読み終えると、最初はゆっくりとした速度で伊識の周りを回り始め、次第に少しずつ、ほんのわずかではあるが速度を上げて回転し始める。


 (広奏・・・あっちの世界で会えるのかな?)


 光柱の回転に合わせるかのように、高音だった共鳴音が、さらに高い共鳴音と、重く低い轟音の合わさったような、これまでに経験したことのないような音響に変わっていく。


 何も抵抗しようがない。あっという間の展開だった。


 「もう限界!転移が始まるわ、柊城くん!」


 微凪の必死の叫びが遠くに聞こえる。


 (・・・ああ、そうか。この前は、寝てるときにあっちの世界に行ったから知らないんだ。前もこんな感じのことが、寝てる俺の部屋で起こってたのかな?)


 とてつもない状況に置かれていることとは裏腹に、そんな感想しか浮かんでこない。


 (広奏がこの状況を分かってるなら、安心。)


 その一点で、伊識の不安は全部消し飛んでいた。


 「いい?霊・・・レンに向かって。山頂に、・・・神殿・・・護神が・・・。」


 最後に何かを伝えようと必死に叫ぶ微凪。光の柱が超高速で回っていて、伊識の周囲は丸い光の壁のようなものに包まれていて、微凪の姿はその光ごしにぼんやりと映るだけだったが、その微凪に向かって、伊識はやおら手を伸ばした。


 伊識の手はあっさりと光の壁を越えた。

微凪に手を差し出す。


 「え!・・・な、何?」

 「こうかな?」


 とっさの思い付きだった。


 (委員長に触れていれば、さわれれば、一緒に転移できるかも・・・。)


 伊識の指が微凪の指先にかろうじて触れた次の瞬間、フォン・・・という最後の甲高い音響とともに、コンビニのベンチで展開されていた光の祭典のごときものは一瞬で幕を閉じて、あとには何事もなかったかのような静寂だけが残された。


 もし見ている者がいたとすれば、何だかものすごい街角イルミネーションが突然現れて消えた、と思ったことだろう。


 ともあれ、静寂が訪れたとき、伊識と微凪、二人の姿はどこにもなくなっていたのである。


読了ありがとうございます。

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