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第八章 「前世の人 後編」

 校舎屋上のやり取りがあってから三十分後。微凪と伊識の二人は、国道沿いのファミレスにいた。


 高校の最寄駅と真逆の道を歩いて行く微凪に、伊識は何度か話しかけたのだが、微凪はそれをすべて無視して、ファミレスに着くまでの間、日本語を一切話さず、道すがら色々なものを指さしては、それをエレクシスの言葉に翻訳し続けるということしかしなかった。


 「レウス、レゥッウ。リフファハァル。」


 微凪の身振りから、『リフファハァル』という言葉が『話せ』『繰り返せ』という意味らしいことは理解できたが、エレクシスの言葉は日本語よりも発音の微妙かつ厳格な差がけっこうあるようで、伊識は苦戦した。


 「レウス・・・レゥーウ?」

 「ネルゥ。レゥッウ。」

 「レ、ウッウ。」

 「レ、ラスエイ、オゥナ、ジェッリルン。」


 レゥッウ、はどうやら犬を指す言葉らしい。犬を散歩させている人が通るたび、微凪はこの『レゥッウ』を繰り返させた。


 微凪が今度は路上を走る自動車を指さす。


 「アエス、ウェンルーィル。」

 「ア、アエス・・・ウェンルール?」

 「ネルゥ。ウェン、ルーィル。」


 ネルゥは英語で言うところの『NO』という意味らしい。ネルゥと言うたびに微凪が指で小さなバツ印を作るので、そうと知れた。


 「ねぇ、ほんとにその微妙な発音の差、大切?それに車なんてエレクシスには・・・。」


 ちょっとは日本語で質問させてほしい。そう思って尋ねたが、凄まじい剣幕で


 「ネルラッリ!ロピピヒ、マヨッピルピ、エレクシッサレイ、レェラーサ、ヒュム、メルッロゥ!」


 と返され、仕方なく


 「・・・・ジェッリルン。」


 と小さくつぶやく。ジェッリルンが『YES』という意味だということも微凪の身振りでなんとなく理解できたので、もちろん微凪が何を言っているのかは全然分からなかったのだがとりあえず肯定しておくことにする。


 そんな感じで、ファミレスに着くまでの間、微凪は延々と、木(フェスト)や、花(ジェサ)や、ドア(ゲェンク)や、鳥(アガピン)、壁(ベルガ)、石(デインミア)、川(マプマ)、橋(フォンフナ)、雲(アルーン)、子供(マフィベウザン)、等々、目に付いたものをエレクシスの言葉に変換して、それを伊識にも復唱させた。レウスが近くにあるものを指すときの言葉で、アエスが遠く、ということも何となく理解できた。


 ファミレスに到着して、入口の自動ドアをくぐる。


 ファミレスの店内でも、現代日本にいる限りはまったく何の役にも立たないこのエレクシスの言語を使って会話することになるのだろうか、それはちょっと恥ずかしいなと伊識が思っていると、微凪は案内された席に着くなり


 「あなた、言葉覚えるの、けっこう得意みたいね。」


 とあっさり日本語で話しかけてきた。


 「何だよ!いきなり素に戻るなよ。」

 「何言ってるのよ。店内で謎の言語使ってたら怪しいでしょ。」

 「・・・ジェッリルン。」

 「やめなさい。」


 店員が注文を取りに来る。伊識はコーヒーを、微凪はロイヤルミルクティーを注文した。


 「この調子なら、何とか一週間くらいで日常会話くらいならできそうね。」


 微凪がこともなげにそう言った。


 「え、一週間も?ていうか、一週間で日常会話?いやいや、俺、何年も英語、勉強してるけど日常会話ですら・・・。」

 「それはあなたのこれまでの人生で英語がそれほどまでに必要じゃなかったからよ。いい?さっき屋上でも言ったけど、いつエレクシスに飛ばされるか分からないのよ、あなた。生きるために必要なら必死になれるでしょ?これからひたすら、エレクシス語漬けよ。」

 「・・・。」


 店員が注文の品を持ってきた。


 「明日からは、学校終わったら即、カラオケボックス直行ね。」

 「は?何でまた。」

 「誰にも邪魔されない場所として最適でしょ。高校生の男女が行っても怪しまれずに二人きりになれるし。」

 「ま、まぁそりゃそうだが・・・。」


 店員が、わざとゆっくり配膳して、聞き耳を立てている。明らかに二人の会話に興味を持ったようだが、ついでに壮大な勘違いもしているようである。


 伊識は動きの緩慢な店員が去るまで辛抱強く待ってから話を再開した。


 「本当に毎日カラオケボックスか?せっかくためてるバイト代が・・・。」


 伊識はパタパタと、手を力なく動かして、財布からお札がフワフワと羽を生やして飛んでいくさまを示した。


 「料金は私が出すわよ。」

 「は?え、いやいや・・・。」


 そうあっさり申し出られると、かえって慌ててしまう。微凪は、相変わらず真剣な表情で言葉を繋ぐ。


 「私は知っていた。あなたが私の・・・、」


 ここで微凪は伊識に顔を近づけ、声の大きさをかなり絞った。


 「あなたが私の『前世』で、こうして出会うことを。一度出会えば、そう遠くない未来にあなたがエレクシスに飛ばされるだろうこと。」


 微凪が、ミルクティーのカップを、ギュッと力を込めているのがありありと分かる感じで両手に包みこんでいる。


 「・・・。」


 屋上のときもそうだったが、エレクシスのことを話すとき、微凪はときに苦しそうな、悲しそうな、つらそうな表情になることがある。


 (委員長にとって、いったい何があるってんだ?あの世界に・・・って、まぁ俺の前世、というか俺のこの後の人生そのものが絡んでるからだよな・・・。)


 微凪が伊識の来世ということを全面的に信じるのなら、つまり両者は同一に近い間柄、とも言える。特に前世を知っている微凪にはそれが強いだろう。


 (それがどれほど委員長を・・・苦しめているのか?楽しませているのか・・・?まあ確実に前者だろうな・・・。)


 さすがの伊識もそこに無関心ではいられない。


 (・・・知らない方が幸せだよな、自分の前世なんて。)


 伊識の心も苦しくなる。


 「私はこのために準備してきた。お金のことも含めてね。だから心配しないで。あなたが心配しなくちゃいけないのは、もっと別なこと。」

 「別なこと?」

 「そう。分からない?また急に察しが悪くなるのね。」


 微凪はミルクティーに口をつけて、一呼吸置いた。


 「あなたが救うのよ、エレクシスを。」

 「俺が救う?あの世界を?どうやって?」


 さすがにちょっと本気で驚く伊識に、微凪はこともなげに言葉を続けた。


 「まずはエレクシス語を覚えること。それから、あなたが『ソーザイア』だということをファノームやバシュティン・・・あの世界の人々に認めさせること。」

 「ソーザイア・・・惣菜屋?・・・俺、あの世界でお惣菜屋さんになれば良いのか?」

 「それで済むならどれだけ良かったでしょうね。まさか本気でそうは思ってないわよね。」

 「・・・ハイ、すんません。」


 本気の時の微凪の声音や目つきの凶悪さは夏木の三日月目の比ではなかった。

 

 「ソーサリー、って英単語、知ってる?」


 やおら、微凪はテーブルに指でS・O・R・C・E・R・Yとアルファベットを綴った。


 「ソーサリー・・・確か、魔法とかいう意味だっけ?」

 「そう。魔法、魔術とか、そんな意味。ただ、エレクシスの世界でソーサリーと言うときは、それは単なる魔法を指す言葉ではなくて、それ以上。強力な魔法、って言うとすごく陳腐だけど、一人の人間が持つにはあまりに強大すぎる魔法の力。エレクシスに平穏をもたらすために、魔界に対抗できる唯一絶対の力のこと。そしてその力を持つ者を、マスター・オブ・ソーサリー・・・無理に日本語に訳せば『魔法の達人』てところかしら・・・そう呼んでいたみたい。」

 「マスター・オブ・ソーサリー・・・すごいな、神様みたいなものか?」

 「私にも分からないけど、そう呼んでも良いかもしれない。エレクシス世界で、未曾有の危機が起こるたびに現れて、魔物の侵攻を食い止めて、混乱に乗じた人々の争いを止める存在。それを最初はマスター・オブ・ソーサリーと呼んでいた。そして時が経つうちに、間にあったオブは抜け落ちて、マスター・ソーサリーという言葉になって、それが変化を重ねて、ファノームたちは今『マスダ・ソーザイア』・・・アタマの『マスダ』は省略して、普段は『ソーザイア』とだけ言っているわ。つまりそれはマスター・オブ・ソーサリーのこと。」


 ようやく理解できた。つまりファノームやバシュティンがさんざん『ソーザイア』と言っていたのは、惣菜屋のことではなくて、ソーサリー、『魔法』のことだったのだ。


 それにしても、である。


 「またずいぶんと発音、変化しちまったもんだな。」

 「そうかしら。何万年もの間、受け継がれてきた言葉にしては、変化していない方だと思うけど。」

 「へ?何万年も?」

 「そう。何万年も。」


 それはすごいことだと伊識も瞬時に理解できた。何しろ、千年前の日本語だって、今とずいぶん違うのだ。数万年前の言葉の名残がかろうじてにせよあることは、相当にすごいことだろう、とは思うのだが


 「・・・文明の発展度合いが遅いんだな、エレクシスは。」


 と、皮肉めいた言葉をつい口にしてしまう。


 「ああ、そのこと。そうね・・・魔法を使う世界の人間は、科学文明を発達させにくいのかもね。」


 逆に言えば地球人類の進歩が早すぎる、と独り言のように言って微凪はミルクティーを一口飲んだ。


 「なるほど・・・いやちょっと待て。マスダ・ソーザイアって言葉が、マスター・オブ・ソーサリーを元にした言葉ってことは・・・エレクシスは地球と関係ないんだろ?何で英語がもとになって・・・あ・・・。」


 自分で話していて、途中で気が付いた。微凪が、伊識が察したことを察したという表情を浮かべた。


 「そうね。はるか昔、マスター・オブ・ソーサリーという言葉をあの世界にもたらした者も、あなたと同じく地球からあの世界に飛ばされた者、なのかもしれないわね。」


 私にも分からないけど、と最後に微凪は付け足した。


 「とにかく、あなたがそのマスター・オブ・ソーサリー・・・マスダ・ソーザイアの候補なのよ。ファノームは、あなたがあの世界に現れた新たなソーザイアと信じている。バシュティンは、それを疑っている、というより信じたくない。ライナは、あなたがソーザイアとして目覚める前に、何とかして魔界の魔物をあの世界に解き放とうと画策している。」

 「俺が、ソーザイア・・・でもそんな力は・・・。」

 「この世界のあなたにはその力はないけど、あの世界ではあったでしょ。あなたは言葉一つでライナの軍を撤退させた。バシュティンのように認めなかったり、疑う者もまだいるけど、そのバシュティンだってあなたが次のソーザイアであることは分かっているのよ。バシュティンはただあなたに嫉妬しているだけ。」

 「俺の言葉の力で、あの世界を救うってこと?」

 「それだけじゃダメ。あなたがソーザイアであることを証明しないと。」

 「どうやって?」

 「・・・ソーザイアの剣。」

 「は?」

 「そうファノームたちは呼んでいる。ソーザイアしか身に着けることのできない、そしてソーザイアしかその真の力を解放できない、唯一絶対の武器。」


 店員が『コーヒーのおかわりいかがですか?』と聞いてくる。いえ、けっこうです、と言って、伊識は自分のカップに目を落とし、これまでまったく口をつけていなかったことに今更ながら気付いて、冷めたコーヒーを一口飲んだ。


 「ソーザイアの剣を見つけるのよ。それを示せれば、みなあなたがソーザイアだと納得する。」

 「どうやって見つける?どこにあるんだ?」

 「それは・・・私にも分からない。」


 微凪は目を伏せて、相変わらず両手で包み込んでいるカップをじっと見つめている。


 「これまでエレクシスに現れたソーザイアは、誰も皆、ソーザイアの剣を所持していた。例外なく。自分の力で、見つけ出したのよ。バシュティンも、あなたがその剣を手にすれば、認めざるをえない。それによって、ファノームはじめ、みんな希望を得るわ。期待しているし、信じてもいる。でももし・・・。」


 そこまで言って、微凪は静かに目を閉じる。


 「もし、今訪れているエレクシスのこの危機に、万一あなたがソーザイアの剣を見つけ出せなかったら、ファノームのような者ですら、きっとあなたに・・・背を向けることはなくても、失望はするでしょうね。あなたはあの世界で、すべての人々から、失意と怨嗟の目を向けられることになる。」


 「そんな・・・いきなり嫌われ者?」


 今の微凪には軽口もまったく通用しなかった。


 「仕方ないことよ。あなたと私、前世と来世が出会ってしまって、この状況が生まれてしまった。ここまでは、もう運命と思って。」


 微凪はこれまで以上に真剣な表情で身を乗り出してくる。


 「でも、ここからは運命とは違う。あなたが自分の力で何とかするの。あなたの判断が、行動が、見つけ出す答えが、エレクシスの人々の命を左右する。」

 「・・・。」


 微凪の言うことは、そのすべてを全面的に信じるのなら、いちいちもっともかもしれない。しかし無条件に受け入れるにはあまりに突飛すぎるのもまた事実だった。


 すべて真実なら、その責任の重さというものもある。


 「・・・剣ていうからには、やっぱりそういう形の物なのか、やっぱり。」

 「分からないわ。」

 「だって委員長、俺の来世なんだろ?前世である俺の・・・」


 自身を情けないなと思いつつも、どうしても微凪を頼るような言い方になってしまう。


 「言ったでしょ。あなたと私、出会ったことでもうあなたのこれからは私の知っているあなたのそれではないの。」

 「じゃあ・・・委員長の知っている前世の俺は、ソーザイアの剣を見つけ出したのか?」

 「・・・これ以上は何も言わない方が良いと思う。私の回答は、あなたをかえって迷わせる。」

 「・・・そんなぁ。」


 口ではそう言ったものの、それもまた、もっともだという気がする。


 「ちっくしょう・・・どうしたら。こういう試練には慣れてないよ、俺。」


 頭を抱え込む。


 「・・・ないのね。」


 微凪が小さくつぶやいたのを伊識は聞き逃さなかった。


 「は?いま何て・・・。」

 「・・・いい、何でもない。」

 「頼むよ、言いかけたんなら、最後まで言ってよ、委員長。」


 微凪はちょっとためらってから、ミルクティーにちょっとだけ口をつけてから、ほぅ、と一息入れて、意を決したように話し始めた。


 「一度エレクシスに行って、あなたは日本語で何か言うだけで、あの世界の人々を思いのままに行動させることができた。別にソーザイアの剣を見つけられなくたって、言葉の力だけで何とかできるって、そうは思わないのね。たとえば、あなたをソーザイアと信じているファノームが、剣を見つけられなかったあなたに失望したとしても、『俺を信じろ、忠誠を誓え』と日本語で命ずれば、すべてひっくり返し・・・。」

 「それは違うと思う、委員長。」


 伊識が、怖いくらいまっすぐに微凪を見つめて話を遮る。

 その視線に微凪が気圧されたようで、無意識だろうが、あとじさるように椅子の背もたれに背中をへばりつかせた。


 「俺みたいな平凡な人間にだって、それくらいは分かるよ。」


 今度は伊識が、コーヒーカップを脇にのけて、身を乗り出した。


 「言葉で・・・圧倒的な力であの世界の人間を服従させるようなことは、やっちゃいけない。誰にも否と言わせない、そんな独裁者みたいなやり方はダメだ。そんな支配の仕方をしたって、良いことは何もない・・・んじゃないかな・・・とまぁ、俺はそう思うよ。」


 話している途中でちょっと冷静になる。伊識はそこまで言うと、元の柔らかい表情に戻って、椅子の背もたれに浅く腰掛ける感じで、乗り出していたその身を戻した。


 「それに、それは俺自身にとっても良くないだろう?自分から自分を一人ぼっちにしてしまう、そんなやり方は。ただでさえ、よく分かんない別世界に行かされて、周りは知らない連中ばかりだってのに。実際、使ってみて思った。あれは怖い力だよ。」


 伊識は残りのコーヒーをひと息に飲みほした。


 「・・・そう、そうね。そこまで分かってるなら・・・。」

 「・・・。」


 その後の言葉を伊識は待ったが、微凪は伏し目がちに、何も言わず、しばらくお互いに黙ったままの時間が流れた。


 沈黙を破ったのは伊識の方だった。


 「前世のことで、一つ質問。」

 「まだ納得いかない?」

 「うん・・・そもそも何で前世の俺と、来世の委員長が同じ年齢・・・同じ時代に生きてるんだ?」

 「ああ、そのこと。そうね。簡単に言えば、生まれ変わりには時間概念はないのよ、きっと。」

 「?」

 「つまりね、あなたが死んで、」

 「また直球なたとえを。」

 「いいから聞いて。あなたが死んで、来世は数万年前に地球上に存在した原始の魚類のご先祖様みたいのに生まれ変わることもあり得るってこと。実際にはあなたの来世は私なんだけど。」

 「原始の魚類・・・。」

 「不満?まだ良い方だと思うけど。脊椎動物から脊椎動物に生まれ変われるなんて、ものすごい確率なんだけど。大半はね、そう、いわゆる微生物とか、良くてアリとか。」

 「微生物とアリ・・・。」

 「そう、微生物とアリ。数えたことはないけど、微生物とアリでこの地球上の生命体の大半を占めているんじゃないかしら。これまでも、これからもずっと。」

 「確かに、そうかも。えらい数いるだろうな。」

 「人間でも微生物でもアリでも、命を一つと数えるとしたなら、大半の生き物は微生物かアリに生まれ変わる。人間が人間に生まれ変わるなんて、まずありえない。そもそも、地球上の生き物から同じ地球上の生き物に生まれ変われること自体、相当低い確率じゃないかしら。」

 「地球上?」

 「そう。この宇宙には地球以外にも生命のいる星がたくさんある、はず。あのエレクシスも、その一つ。生命の数は、本当に膨大。宇宙誕生以来、存在した生命の数は、兆とか京とかいう単位をはるかに振り切っている。そんな中で、前世と来世の二人が同時に、しかも人間同士で、同じ場所に存在するってことがどれほどの確率か、分かる?」

 「・・・宝くじの一等に当たる確率より低そうなことは分かるけど・・・。」

 「圧倒的に桁が違うわ。宝くじの一等に、百万回連続で当たるよりも、低い確率。」

 「・・・そうか。そうだろうな。」

 「前世を覚えている人間なんて、まずいない。アリとか微生物とか、地球外の生き物とか、そういう生命体だった時のことなんて、覚えていたってしょうがないし、そうやって・・・微生物やアリには申し訳ない言い方だけど、人間レベルの知性を持たない生命体の転生を何度も何度も繰り返すうちに、そういう前世をみんな忘れていっちゃうのよ。でも、」


 そこまで一息に言って、グイッと、微凪が身を乗り出してくる。再び伊識があとじさるように椅子の背もたれに背中をへばりつかせた。


 「前世のあなたと来世の私が、本来は出会うはずがないのに、ものすごい確率で出会ってしまった。それはあってはならないことなのよ。だから排除しようとする力なのか、融合させようとするのか、よく分からないけど、何らかの力が生まれる。想像を絶するようなものすごい力・・・エネルギーが生じるのよ。」

 「・・・その謎のエネルギーで生じたのが、この性別転換なのか。」

 「分からないけど、たぶん。もちろん、あなたがエレクシスに飛ばされたことと、何らか関係しているんだと思うけど、それがなぜ起こったのかは、分からない。もしかしたら、前世と来世の生命を、同時に存在させることを許さないのかもしれない。だからあなたをこの地球上から弾こうとしたけど、失敗した。あなたは戻ってきてしまった。」

 「いったい、誰がそれを?」

 「分からない。」


 そこまで言うと、微凪は乗り出していた身体を戻して、椅子の背もたれに身を預けた。


 「委員長、俺の来世なんだろ?じゃ、俺がこれからどうなるかを知ってるんじゃ?」

 「前世『だった』と言ったでしょ、最初に。さっき屋上で会ってからこのファミレスに来て、こうして話している状況は、もうすでに私の知っているあなたの前世ではないのよ。来世である私が、前世のあなたに、今干渉しているんだから、当たり前なんだけど。」

 「うーん。」


 伊識の頭ではもはやついていくことができない領域だったが、それよりも、説明をしている微凪が、真面目くさった顔をしながらも、その表情の下に、今にも泣きだしそうな顔を併せ持っていて、それを必死に隠そうとしている、そのことの方が気になっていた。


 「・・・委員長?」


 微凪は、伊識から顔を逸らした。長い髪が、フワリとなびいて、微凪の顔を覆い隠す。


 (俺のせいなのか?)


 分からない。でもこの流れから言うと、微凪の言う『進む道が変わる前の』自分の行く末に、何か良くないことが起こったであろうことと、進むべき道が変わってもそれは簡単には覆らないのではないか、だからソーザイアの剣を必死で見つけなくてはならないのだ、ということに繋がり、とにかくこれからえらい大変なことが起こりそうだということは容易に想像できて、でもそれを今あれこれ考えてもどうしようもないことも分かってはいて、目の前で委員長が泣きそうになっていて・・・と堂々巡りを繰り返すうちに、微凪が


 「何でもない。本当に、何でもない。」


 と言って、また伊識の方に向き直って、無理矢理に平然とした表情を浮かべようとしているようだが、それはますます微凪の表情を複雑にしただけだった。


 「私の知っているあなたの前世を話しても、意味のないこと。さっき言ったわよね。今のあなたはもう違う。」

 「・・・。」

 「ただ、あなたはこれからきっと、エレクシスに行く。それだけは絶対。その前にあなたがしなくてはいけないことが・・・。」

 「エレクシスの言葉を覚える、ってことね。」

 「そういうこと。」


 微凪は、おもむろにかばんから大層な分厚さの紙の束を取り出した。


 「これは・・・それか。」

 「そう、それ。」


 ぱっと見、地球のどこかの国で使用されている文字のように見えるが、それが地球上のどこにも存在しない文字であることはもはやこれまでの話の流れから自明だった。


 「エレクシス文字。発音は文字の下に書いておいたわ。書き順も、矢印を参考に。」

 「の、ようだな。」


 至れり尽くせりである。小さい子の平仮名のお稽古と同じである。


 「発音を完全にカタカナで表現し切れないのは、アルファベットと一緒。明日までに、何度も書いて、ちょっとは読んで、練習しておいて。明日からカラオケボックスで、本格的に。いいわね?」


 ためらうような表情を浮かべる伊識に、微凪が


 「いいわね?」


 と念押しして迫る。


 「分かった、分かったよ。やる、やるよ。」

 「いい?エレクシスの命運がかかってる。あなたに。さっきのあなたの言葉・・・『独裁者にはなりたくない。』その言葉・・・その言葉を・・・。」


 うつむいて固まる微凪。伊識は微凪の次の言葉を待ったが、やっぱり最後まで言わずに、微凪は、会計の伝票をヒョイ、と手に取った。


 「自分の分は払うよ。」


 微凪がしようとしていることをすぐに察して、伊識も立ち上がって伝票を取り返そうとするが


 「いいの。」


 と言って、微凪が片手を突き出しながらうつむいて、伊識を遠ざける身振りをした。


 「その代わり、約束。」


 うつむいたままの微凪。表情は分からないが、声はやはり辛く、哀しげだった。


 「本当に、本当に、お願い。エレクシスの何百万、何千万という人々のために。」

 「・・・。」


 この、時築微凪という女の子は、伊識にまだ話していない隠し事がある、それは分かっていたが『もう今夜は野暮なことは言うまい。』と思って、伊識はただ


 「全力は尽くすよ。」


 とだけ言った。


 しばらくしてから


 「・・・うん。」


 という返事があって、それから微凪は早足でレジに向かい、伊識もその後を追いかけた。


 微凪が会計を手早く済ませて、二人でファミレスを後にする。


 「明日から、放課後は、あそこね。」


 店を出てすぐに、微凪が道路の反対側を指さす。その先には、カラオケ屋があった。


 「放課後だけじゃなく、学校での休み時間も、昼休みも、あなたの自由時間は全部私に頂戴。」

 「お、おう・・・おトイレには行かせていただけるので?」

 「バカ!勝手に行けばいいでしょ!」

 「ありがとうごぜぇます。」


 はあ・・・と微凪は大きなため息をついた。


 「じゃあ、私の家はここから近いから、歩いて帰るわ。」

 「送ろうか?」

 「平気。」


 じゃあね、と言って、早くもスタスタと歩き始めた微凪の背中に、伊識は声をかけるか一瞬ためらいはしたものの、やはり黙っていることはできず、


 「なあ、委員長。」


 と呼びかけた。


 「何?」


 微凪が伊識から数歩のところで振り返る。


 「俺がいつ、あっちの世界・・・エレクシスに召還されちまうかは、分からないから、早く言葉を覚えろって、言ってたよな?」

 「ええ、そうよ。」

 「もし、それが今夜だったらどうするんだ?俺はあっちでどうすれば・・・。」


 自分でも情けないことは重々承知だが、もう今夜は散々情けなかった気もするし、ついでに聞いておきたかった。


 「・・・そうなったら、もう仕方ない。あとはあなたの機転に任せるしか。YESはジェッリルン、NOはネル、強めの否定はネルラッリ、だけでも覚えておいて。あ、あともう一度言ってほしいとき、聞き返すときはリフファハァル、ね。」

 「・・・ジェッリルン。」


 本当はもっと微凪に泣き言を言いたかったが、彼女だって伊識の来世というだけで、しかもそれからも少しそれつつある存在なのだ。神ではない。伊識はぐっとこらえた。


 「ただね、召喚されてしまうきっかけ・・・鍵になる出来事が必ずあるはずなの。昨夜、あなたが召喚されたのにも、何かきっかけがあったはず。」

 「きっかけ・・・。」


 何だろう。別にこれといったことは思い浮かばなかった。


 「できる限り普段通り生活して。それくらいしか助言できない。何か特別なことをしてしまうと、それが鍵になって、召喚される可能性が高くなる。」

 「この性別反転してる世界で、今まで通りにと言われましてもね・・・。」


 伊識は肩をすくめた。


 「まあ、分かった・・・普段通りね。」

 「うん・・・お願い。」


 また微凪が辛そうな表情になる。そのまま、微凪は引き返してきて、伊識の服の両袖を両手でギュッと掴んだ。


 「・・・委員長?」

 「信じてくれて、ありがとう。それだけでも。」


 顔を上げて伊識ににっこりほほ笑もうとするが、かなり無理に作った笑顔なのは相変わらずで、この時築微凪という女の子は、もしかして本当の笑い方を知らないのかな、と伊識は思った。


 「ゴメン、あと一つだけ聞きたい。」

 「いいわ、何?」

 「『ニョクマム』って、何?もちろん、この世界の魚醤の意味じゃなくて、あっちの世界での意味。」

 「ニョクマム・・・あぁ、ニョクマム・・・。」


 微凪は、一瞬遠い目をした。


 「『ニョクマム』は、歴代のマスダ・ソーザイアの名前よ。マスダ・ソーザイア・ニョクマム。歴代のソーザイアはみな『ニョクマム』を名乗った。でも単に『ニョクマム』と言うときは、初代を指すわ。初代は、特別なの。『緒帝』とも呼ばれている。何万年も前の、伝説上の人物。」

 「初帝・・・。」


 伊識は微凪とは違う漢字を思い浮かべた。


 「あのさ、俺が女に産まれてたら『にょくまむ』って名づけられ・・・。」

 「知ってるわ。」

 「あ、そうか。そりゃ知ってるよな・・・つまりそういうことならさ、俺の名付け親・・・両親は、何かこの一連に関係してるの?」

 「してなかったと思う。」

 「でもこんな偶然・・・。」

 「違うわ、関係『してなかった』と言ったのよ。今は『してる』・・・どう関係『してる』のか、関係するようになったのかは、分からないけど。」


 通り過ぎる車のライトが微凪の表情を照らし出す。それはやはりどこか辛く、悲しげだった。


 「無かったものから何か生まれたのよ。でもそれをあなたのご両親が知っているかはまた別。たぶん、知らないと思う。」

 「・・・。」


 前世と来世が出会うって、すげえことなんだな、と伊識はあらためて思い知らされた。

 つまり、さっぱり分からない、ということである。


 「簡単に言えば、いろんなことが都合よく収まるような力が働いている、ということ。」

 「やっぱり『ご都合主義』なんだな。ドラマやアニメでよくある。」

 「そう言いたいのなら言っても良いわ。でもテレビの向こう側で描かれてる世界と、現実は違う。そうでしょう?これは現実。」

 「・・・。」


 確かにそうだ。あまりにも都合よく進んでしまうことの恐怖、みたいなものは伊識も感じる。

 掴んでいた伊識の袖口を放して、微凪はあとずさって、伊識と距離を置いた。


 「あなたの言う通り、本当に、いろんなこと、たしかに都合がよすぎるわよね・・・ニョクマムのこともそうだし、歴史までは性別転換が干渉していないこととか。それから・・・氷岬広奏さんが明日から一週間、学校に来ないことも。」

 「・・・やっぱり、そうだよな。」


 伊識もそのことには気付いていた。微凪としばらくエレクシス言語を学ばねばいけないとなったときも、真っ先に思い浮かんだのは『微凪とばかり一緒にいたら、広奏がどう思うだろうか?』ということで、その後すぐ『そうだ、しばらくいないんだった。』と安堵したが、それは、裏を返せば微凪の言う通り、すべて都合よく進んでいるからとも言える。


 「広奏も、もしかして何か知っている?無かったものから何か生まれて・・・。」

 「それはないと思う。彼女が性別反転に逆らえていないのがその証拠。無かったものから何かが生まれてはいると思うけど、でもそれを氷岬さんが知りうるはずはない。あなたのご両親と一緒。」

 「・・・。」


 果たして本当にそうだろうか。


 『忘れないでね。』とつぶやいた広奏の姿が思い出される。


 「じゃあ、今度こそもう行くね。」


 また明日、と言って、微凪は伊識に背を向けて、歩き出した。


 「あ・・・ああ、また明日。」


 ある程度遠ざかるまで背中を見送ってから、伊識も駅に向かう道を歩く。


 (また高校前を通るのか・・・今日はホント、よく歩いたな、疲れた。)


 歩きながら、また色々と考えを巡らせる。微凪に聞きたいことはまだいろいろあった。あるはずだった。


 (もう、メモにでもまとめておかないと、頭からこぼれ落ちてしまうな・・・。)


 通っている高校が見えてきた。校門は既に閉まっていて、校舎の明かりも職員室以外は消えていた。そのまま通過して、しばらく歩くと、昨日広奏とギリギリさんを食べた公園が見えてきた。道路を挟んで反対側にはギリギリさんを買った例の惣菜店。もうはるか昔のことのように思える。


 (こんな時間まで開いてるんだ・・・。)


 店内の明かりはまだついていた。こんな遅い時間に、この惣菜店の前を歩くのは初めてだった。


 (あれ?)


 ふと、これまで一度も注目してみたことのなかった店の看板に、伊識は今日初めて気付いた。


 (真須田惣菜店・・・。)


 ペンキもところどころ剥げ落ちていて、全体に古ぼけた、昭和の薫りがプンプンする看板だったが、確かにそう書いてあった。


 (ますだそうざいてん・・・マスダ・ソーザイア?)


 まさかね、と一人、店先で苦笑しながら、もう一度看板を見上げる。


 じっと、看板を見つめる。


 「・・・・・・。」


 『すべてが都合よく収まる力が働いている。』


 微凪の言葉。


 伊識は、吸い込まれるように店内に入っていった。


 「おや~いらっしゃい。」


 レジのあるカウンターで書き物をしていた老人が声をかけてくる。


 (左利きだったんだ、このおば・・・おじいちゃん。)


 広奏が男子だった頃に『おばあちゃん』と呼んで仲良くしていたその老人も、他と同様に性別反転していて、今は『おじいちゃん』になっていた。


 「こ、こんばんは。」


 背を丸めて、季節に関係なく目深に毛糸の帽子をかぶっているところなど、装いはおばあちゃんだった頃とそっくりである。


 「こんばんは。おや~今日は一人?広奏・・・ちゃんだっけ?一緒じゃないのかね?しかもこんな時間に、まあ。」


 目元まで帽子がずり下がっていて、表情も良く分からないが、温和な感じは以前のおばあちゃんそのままだった。


 「え、ええ、ちょっと学校のそばで用事があって・・・あ、あの・・・。」


 顔が紅潮する。


 こんなバカなことを聞くのは本当にバカだと思ったが、伊識は思い切ってたずねてみた。


 「あの、ここに剣、ありますか?」

 「はい~?ケン・・・券とな?」


 早くも口に出してしまったことを後悔したが、もう遅い。慌てて『いえ、何でもないです。』という伊識に、老人は


 「無料券かの?割引券?どちらにしても、もう配り終わっとるよ~。そうそう、この前広奏ちゃんにはあげたから、もらうといいね~。」


 と、相変わらずのノンビリした口調で返してきた。


 「あ、あはは。ですよね~ハイではどうも~。」


 顔を真っ赤にして、そそくさと店を出ていく伊識。老人は、レジ前に腰かけたまま、膝の上に座った猫のあごの下あたりを指でくすぐりながら、じっと伊識の姿を見送る。猫は、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしている。


 双眸は目深に被った帽子に隠れて、口元で何かをブツブツつぶやいている。何を語っているかは分からない。分からないが、フッと、猫は急に真剣な表情を浮かべて、老人を見上げた。


 「ケン、は・・・あり・・・。」


 猫がさっと、老人の膝から飛び出していく。


 「・・・広奏・・・ちゃんに・・・。」


 暗く静まった住宅街に、ポツンと明かりを灯している惣菜屋が一軒。店主は、微動だにせず、すでに遠くに消え去った伊識の姿をずっと見送っていた。

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