第二十章 「ユールーの下ごしらえ」
伊識たちの通う高校の、屋上での、その出来事から数日後。
伊識と微凪にとっては三度目、広奏にとってはひとまず初めてと言える転移を果たした夜。
広奏は一人、フワフワと宙を彷徨っていた。
初めてだが、ユールーのもたらしてくれた力で、何となくだが理解できた。
要するに、ここは地球とエレクシスを結ぶ、いわば橋渡しのような場所なのだということを。
(もうすぐ、向こうの世界に・・・・。)
ほんのわずか、目を開けてみる。あたり一面真っ白な世界だった。白い光が目に痛い。
半ば眠ったような意識の中で、広奏は、ニヘラニヘラ、と、この物語のヒロインとしてはあまりに似つかわしくない微笑を浮かべた。
(・・・・うん・・・・伊識も、ここを通って、転移を果たしたんだね・・・・。)
無事に到着できるのかどうか、そんな心配はまったくない。ただただ、伊識がすでに二度も経験したこの不可思議を、ようやく自分も目の当たりにすることができた悦びしかなかった。
(きっと、伊識も僕のそばで、こんな感じでフヨフヨ浮いていて・・・・一緒に転移を・・・・って、一緒に?え、あれ?・・・・あんなにしっかり伊識に抱きついてたはずなのに・・・・転移するときは離れちゃうのかな・・・・?)
不安はない。ないはずだが、広奏は少しだけ眉間にしわを寄せて、またうっすらと目を開けて、宙に浮いたまま、純白の光の世界の中、そばに伊識がいないかどうか確かめようと、虚空に向けて制御のままならない身体をよじらせ、手をバタバタさせた。
「おらんよ、伊識は。ここには。」
唐突に聞こえてきた、よく知っているその声。
(え・・・・ユールー?)
「そう。久しぶりだな、前世の君。」
(・・・・。)
いつの間にか、広奏の足元から数歩のところに、見慣れた幼い姿を認めた。
広奏はユールーへと手を伸ばそうとしたが
「わたしの実体はここにはないぞ。触れることはできない・・・・。」
実際その通りで、広奏の伸ばした手は、3Dの映像に触れた時のように、ユールーの膝のあたりをスっとすり抜けてしまっていた。
「思念だけ、ここに飛ばしてきておる。目の前の姿は映像みたいなものだ。」
いろいろ力や知識を与えてやったのに少しは考えろ、という風情のため息をユールーはついた。
(どこにいるの、伊識は?いないって、どういうこと?まさかとは思うけど・・・・。)
たとえユールーであろうとも伊識をどうにかしようとするなら容赦は、という態のすごみを少しだけ言葉の端に見せる広奏に、ユールーは
「慌てるでない。」
と制した。
「そなたにだけ伝えるためにな。伊識はちょっと離しておいた。」
(伝える?伝えるって何を?何か問題があるの?だって全部ユールーがお膳立てして・・・・。)
「だから慌てるでない。」
ユールーは先ほどよりも欣然とした口調で広奏を遮った。
「まぁ・・・・今のそなたにこの問題に気付け、というのも難しいのかもしれんが。」
ユールーはそれからちょっとの間をおいてから、広奏の耳元で囁くかのように
「そなたの望み、それは何だったかのう?」
と聞いてきた。
(え・・・・なに今更・・・・そんなの決まって・・・・伊識とずっと一緒にいる、それだけだよ。)
ブレない広奏の一言。
「そうか。ではなぜ、私は、神としてヒャレンの神殿を一人で護っているのだ?」
神の冷静な一言。宙に浮く広奏の身体が硬直した。
(え、だってそれは・・・・。)
「そうかな?」
何も答えていないが、ユールーは広奏の答えを知っているかのように返してきた。
「そなたの言う『ずっと』とはいつまでのことだ?そなたの来世はこの私、神なのだぞ?」
(・・・・。)
「つまりそれは『永遠』にも等しいこと、と言える。」
(・・・・。)
「今の私のそばに、伊識はいるか?」
(・・・・。)
「答えよ、広奏。私のそばに、伊識はおるのか?」
(・・・・いない・・・・いない・・・・ね・・・・。)
「そう、だな。」
神の声はちょっと苦し気になったが、今の広奏にはそのような神の機微に気づく余裕はなかった。
「確かにそなたはそなたの人生の中で、伊識と添い遂げる、であろうな。しかしそなたは来世では確実に私に生まれ変わる。そのときにはもう伊識はいない・・・・。」
ユールーとして転生して、そばに伊識がいなくて、ようやく会えた伊識は自分の存在などまったく気にもかけないソーザイアで、それを突き付けられたときの絶望感を広奏に『貴様のせいでこうなったのだ!』と洗いざらいぶちまけて一発ぶんなぐってやりたい衝動などはもうこの千年ですべてなくしてしまっていたから、ユールーは至極穏やかに
「要するに、今のまま転移してしまえば、そなたは来世で確実に伊識を失う、ということだ。だからいったん伊識を離したのだ・・・・この会話の席から外したのだ。」
と告げた。
「今の私の話を聞いたら、伊識は確実に『力』を使ってしまうだろう、そなたのためにな。」
(・・・・。)
広奏の背中を冷たいものが走る。
「そうなってしまえばどうなるか、のう?」
(どう・・・・どうすれば・・・・いいの?)
無意識下で宙を彷徨っていなかったらきっとすさまじい狼狽ぶりを示すことは確実だったろう。だからこそユールーも、この転移の時を待って広奏に告げたわけだが。
「もちろん、方法はある。」
(教えて。)
あまりの即答に、神は唇の端を少しだけ歪めた苦笑いを浮かべた。
「一つ目はな・・・・」
ユールーも何らもったいは付けずに言葉を継いだ。
「来世で私のそばに伊識がいれば問題ない。だからそなたが伊識を私に譲ることだ。」
(ありえない。)
ブァン、と凄まじい勢いの火弾が広奏からユールーに向けて発せられた。
「うわ、た!」
すんでのところで避ける神。
「何だ、動けない身なのに、凄いな、そなた。私の力でもそんなことは、」
まだ余裕を見せているユールーに
(うるっさい、死ね。)
と言って、再度の炎の弾丸がユールーに発せられる。
今度はそれを避けずに受け止めた。
火弾は、ユールーをすり抜けて虚空に飛び去っていった。
「思念しかこちらには持ってきていないと言ったろう?」
(関係ない。伊識を譲れなどという者は、神だろうが来世だろうが、消すだけだ。)
広奏は三度目の火球を右手に宿らせた。
「まあ落ち着くのだ。私は思念しかここに持ってきていない。本体はここにはないと、さっきも・・・・。」
(なら、持ってきてやろうか?その本体とやらを。)
動きがままならない中、広奏はもはや完全に目を見開いて、神を睨みつけた。
「いくらそなたでも、そんなことは・・・・。」
(そう思うか?来世の君よ。)
広奏の、その余裕たっぷりの皮肉めいた笑みに、ユールーの表情も一瞬だけピクリとひきつった。
広奏の右手がスーっと動く。
(本当に?ボクが貴様の本体をここに持ってくることが、本当にできないとでも?)
ビク、とユールーは気圧されたように背中をのけぞらせた。
「いやだってそれは・・・・私にだってできないことが・・・・そなたに・・・・て、え?」
二人のいる空間に、得体のしれない、ユールーにすら分からない変化が生じていることを、ユールーも察した。
「え、あ、ちょっと・・・・ああっ!」
その変化は、はるかかなた、エレクシスの、ヒャレンの山頂にいるユールーの本体にまで影響を与えているようで、ユールーは、とてもエレクシスの民に見せられないほどの滑稽な狼狽ぶりを見せた。
(そうか。そうだな。)
広奏は悪魔のごとき微笑を浮かべた。
「あ・・・・だめ・・・・広奏・・・・やめてお願い!ここにわたしの実体が来たら・・・・。」
(そう、実体をここに呼び寄せたら、確実に貴様死ぬな。殺してやる。ボクから伊識を奪おうとした。万死に値する。)
「うあ・・・・あ・・・・。」
次元を超えて、この転移の空間に実体が引っぱられている。
「いや・・・・神が・・・・死ぬ、の?」
とてつもない不快感。吐き気がこみあげてくるが、もう止めるすべはなかった。
(そういうことだろ?そうだ、これは私に好都合だろう。)
慌てふためいている神をよそに、広奏は一人合点したかのように頷く。
(貴様をここで消し去れば、ボクは貴様に生まれ変わらない、ってことは。)
「あ、そうじゃない・・・・ダメ・・・・だめ・・・・。」
その次の言葉は聞きたくなかった。耳をふさぐが、それを通り越して、広奏は無慈悲に
(そうだよ、お前さえいなければ、伊識とずっと一緒にいられるってことだ。)
「いや!・・・・違う、いや!」
顔面蒼白の神に一瞥をくれて、広奏は左手で指をパチン、と鳴らした。
それを合図に、すべてが元に戻る。
ユールーの実体は元あった場所に固定され、思念だけが広奏の前にあって、広奏は目を閉じて、相も変わらずフヨフヨと転移の空間に浮かんでいた。
「はぁ・・・・はぁ~。」
神の深いため息。
(いいか、ユールー。二度と言うなよ。)
広奏が思念を飛ばしてくる。
肩で息をつくユールー。
(聞いてるのか?二度と、伊識を我がものにしようなどと。)
「・・・・はい。」
(よろしい。)
神は、思念体の方も、ヒャレンの実体の方も、小刻みに震えていた。
「・・・・しかし・・・・なぜなのだ?私はそなたに私の力のほんの一部しか分け与えなんだ・・・・。」
そこまで言ってから、ユールーはハッとした表情を浮かべた。
「まさか・・・・伊識か?伊識の力を・・・・そなた。」
(黙れ。)
広奏はまた右手をス・・・と動かした。
(さっきから、それも癇に障って仕方なかったのだ。)
「あ・・・・。」
またしても、急速に実体が引っ張られる感覚。ヒャレンの神殿の、石畳の中心にいるユールーの身体がビクンビクンと震える。
(伊識を伊識と呼んで良いのは、ボクだけだ。)
「ああぁあぁっ・・・・ダメダメ・・・・。」
もう、本当に実体が広奏の元に転移してしまう。あまりの恐怖に身体をこわばらせたところで、広奏は神の実体を解放した。
ガクン、とヒャレンの山頂にいたユールーは身体をのけぞらせた。
「はぁ・・・・あああ・・・・!」
体の震えが止まらなかった。
(いいな、分かったか?)
まだ空中をフヨフヨと浮いたまま、広奏は神を見下ろした。
「う・・・・あ・・・・。」
「分かったな?」
凄まじい眼力で迫る広奏の念押しに、もう声も出すことが出来ず、ユールーは目を閉じたまま、コクンと一つ頷いて答えた。
(では、別案だね。)
広奏の声音が、その表情とともにいきなり元に戻る。その落差はユールーは背筋をまた凍らせた。
(安心してよ。ユールーを消すなんて、そんなことしたら伊識が悲しむ。)
広奏の目は全然笑っていなかった。
(あるんでしょ?プランB、教えてよ。)
有無を言わさぬ広奏の問いかけ。ユールーは観念したかのように静かに目を閉じた。
「・・・・それは・・・・それはな。」
(うん、うん。それは?)
「そなたが剣に・・・・ソードラスティングに代わって、そなたが剣になることだ。」
多少、神の威厳を取り戻しつつ、ユールーがそう答えた。
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