第十九章② 「広奏と微凪その2」
伊識の視線が広奏にぶつかったのと、周囲の、三人以外の空間の時が止まったのと、それから広奏の立つ場所にだけ下から巻き上がるような風が起こったのはほぼ同時だった。
『これぞまさにお手本』と言わんばかりに、フワリと、広奏のスカートが見事に風にあおられて、ひるがえる。
「・・・」
風はまったく収まらず、スカートはずっとまくれ上がったまま、風はなびき続けて、つまりはすべてが見え続けてしまっている。
「・・・。」
はじめポカンとした表情で、下から見上げていた伊識が、網膜にうつった眼前の景色を脳で認識するのに、多少の時間がかかった。
「・・・!」
理解したあとは早い。あっという間に顔は耳まで赤くなる。
「な、な、なな・・・。」
読唇術など持ち合わせていなくても分かる、そんな唇の動きを見せて、伊識はその場に固まった。
あわてて左手で両目を覆い、右手を『ダメダメ、ヤメヤメ!』というように闇雲にブンブンと振り、顔を手で覆ったまま、ふらつきながら校門に向かう。
「伊識・・・・別にいいのに・・・・。」
その広奏のつぶやきが聞こえたかのように、伊識は今度は頭をブンブンと振った。
途中、地面の石畳の角でつまずいたり、校門の柱にぶつかりそうになったり、そのたびに広奏が左手で不思議な動きを示したり、それを微凪が見逃さなかったり、しつつ、伊識の姿は校門の陰に隠れて見えなくなった。
「いってらっしゃい、伊識。」
広奏の呼びかけが聞こえているわけはないのだが、伊識はその声に応えるように、校門の陰から手だけをピョコっと出して、手を振った。
その手までも、顔と同じく赤みを帯びていた。
手を引っ込めて、そそくさと歩いていく、その姿が木の影やフェンス越しにチラチラとまだ見えている。
「うん、お仕事がんばってね。」
まるで新妻のように、去っていく伊識に向かって、ずっとずっと手を振り続けている。
「・・・変態。」
微凪が冷たい声を突き刺してくる。それを完全に無視して、広奏は屈託のない笑顔で伊識を見送っている。微凪はため息をついて、頭を軽く左右に振って
「ド変態。」
と言い直した。
「何が変態なものか。」
それまでの笑顔を完全に封殺した、冷酷とも言える表情で、広奏がようやくのこと返答してくる。
「伊識だって年頃の男の子だ。これくらいの・・・・。」
「違うわよ、バカ!変態ってのはあなたのことよ!」
広奏の横顔に向かって微凪が大きな声を上げた。
「ス、スカートの中見せて、何が楽しいのよ!しかも・・・使ったでしょ、ユールーの力。」
睨み続ける微凪を見向きもせず、広奏は微凪に言わせたいだけ言わせ続けた。
「神様の力を、こんなことのために・・・風を起こしただけじゃないわよね。時まで止めて・・・それに、転びそうになった柊城くんのこと守ったのもあなたの力でしょ?何も気づかないとでも思ったの?」
「貴様じゃダメだろ?」
冷たくそう言って、広奏はゆっくりと、まるで機械のように顔だけを微凪の方に向ける。その視線に射抜かれて、微凪はかろうじて後じさりせずにいるのがやっとだった。
「呼びかけても振り向いてすらもらえない貴様では、何を見せようにも、無理だからな。」
「・・・。」
「力は・・・・色々使った。伊識以外の人間に見られるのは絶対イヤだから、時も止めた・・・・でも伊識をボクへと振り向かせたのはユールーの力ではない。そのことも気づいてる、だろう?」
自信満々の広奏の表情。
「・・・。」
そう、その通り。微凪にも分かっていた。
(何万年も知っているはずなのに。)
全然勝てない。これからどうにか努力して、勝てる気もしない。
「伊識も、喜んでた。ボクの・・・・を見て。」
「どこをどう見ればそう思えるの?柊城くん、顔を赤くしてただけじゃない。」
多少の言い返す気力ぐらいはまだ微凪にもあった。
「だから、貴様では無理だということだ。」
広奏の表情には、わずかに哀れみさえ浮かんでいる。微凪は唇を噛んで、広奏を睨みつけた。
「また、行くことになる。」
唐突に広奏がつぶやく。
「な・・・。」
「エレクシスに。」
広奏は再び視線を伊識の姿が見えなくなった辺りに向けた。
「ここからようやく本題だ、ソードラスティング。」
マフィアがビジネスの話をする時のような口調だった。
「伊識はエレクシスに行く、もう一度。ボクも行く、伊識と一緒に。」
「・・・そう・・・。」
微凪は我知らず、両手をギュッと握りしめた。
「伊識と、貴様の繋がりは全て切ってやったがな・・・・伊識がそう望んだからな。」
事もなげに広奏は言った。
「・・・。」
うつむく微凪。握ったこぶしが汗ばんでいくのが自分でもはっきりと分かった。
「ニョクマムの方が残っている。」
「・・・。」
分かっていたことだった。別に驚きもしない、と強がろうとしたところで、両手の拳はすでに血を流すのではないかというほど強く握り締められていたわけであるが。
「剣として留まる可能性はまだあるということ、だ。」
広奏はダメ押しのように冷たく言い放った。
「たが、それを決めるのは私でも、ましてや貴様でもない。」
広奏は、伊識の消えていったあたりをまぶしげに見やっている。
「すべては伊識が決める。」
「・・・。」
また、剣に戻されるのかもしれない。そのことに対するとてつもない緊張感。
そしてそれを、さも何でもないことのように口にする広奏。
(・・・。)
「貴様が一緒に行くかどうかは分からんがな・・・・まぁそれを決めるのも伊識だ。」
(また・・・!)
広奏は、微凪の心情に気づいているのか、気づいていても無視しているのか、滔々と話し続けた。
「今夜、風呂屋に来ると良い。知ってるだろ?伊識の行きつけの銭湯だ。」
もう、半分も聞こえてはいなかった。
「いつも・・・いつもいつもいつも・・・!」
両手を震わせながら、微凪は絞り出すように言わでもの言葉を発した。
「いつも!そうやってあなたは柊城くんのことばかり・・・!」
さっきは口にするのを堪えたが、今度はもう止められなかった。
「柊城くんが言うことなら、何でも従うわけ?あなたは?」
答えなぞ聞かなくても明白だから何を言っても無駄と思って言わなかったのだが、実際その通りで、広奏は涼しい顔で
「当たり前だ。」
と、予想通りの返事をした。
「何なのよ、あなたは!自分ていうものがないの?は!かわいそうなことね!」
精一杯の皮肉のつもりだったが、広奏には全然通じず、返ってきたのは
「伊識がいなければボクはボクではない。」
という、これまでの、そしてこれからの成り行きを思えばこれほど奥深い答えはないというものだったのだが、微凪にはもう何も聞こえてはいなかったし、見えてもいなかった。
それを口にした広奏の横顔に多少の影が浮かんでいることにも。
「じゃ何?柊城くんが『死ね』って言えば、あなた喜んで死ぬの?」
広奏は、角度にしてほんの二、三度ほど、少しだけ微凪から顔を背けた。
「空っぽの自分は楽で良いわよね!すべて柊城くんに任せておけば良いんですものね!」
「ボクは・・・・。」
広奏が唇を噛んだ。
(・・・え、あれ?)
広奏の変化に、ようやく気付く。
奥深いところにある何かに触れてしまったことを瞬時に感じ取って、微凪の言葉は完全に勢いを失ってしまった。
「ユー・・・ルー・・・?」
広奏の横顔は、驚くほどユールーのそれに似ていて、微凪は思わずその名を呼んでしまう。
「ボクは・・・・伊識が、ボクの・・・・命を・・・・。」
スッと、広奏は力無い表情を微凪に向けた。
「伊識が求めるのなら、ボクは、喜んで差し出す。」
「・・・。」
「ボクの命をね。」
「・・・。」
「あと、伊識が貴様を殺せと命じたら、確実に殺す。」
「あっ・・・そ。」
口では強気に返したものの、広奏が、いつもの感じに戻りつつあることに安堵している自分がいた。
「・・・・十分に苦しめてから絶命させろと言われれば、そうする。何にも躊躇わない。」
「・・・。」
「・・・・。」
「・・・悪かった、わよ。」
「・・・・いや、貴様は別に何も悪くない。」
「・・・。」
「伝えるべきことは伝えた。いいか、今夜、例の銭湯に来い。来なければ、貴様にとってすべてが終わる。そのことが、どういうことか、分かるか?」
ぐ・・・と、また全身に力が入ってしまう。
「分かる・・・わよ。」
「なら、来る意味も分かるな?」
「・・・。」
「伊識のことをどれだけ信じられるか、だ。」
ことも無げにそれだけ言って、広奏はス、と金網から離れた。
「あぁ、そうだ、最後に一つ。」
鞄を拾い上げて、階下にに通じる屋上の扉に向かいかけていた微凪が振り返る。
「大切なことだ。」
そう前置きされて、微凪もちょっとだけあらたまったカオになる。
「伊識はな、優しくてド変態な女の子が好みだぞ。」
身構えた微凪にそれだけ言って、広奏はフフン、と得意満面の笑みを浮かべる。
『それはつまり私』と言わんばかりに、広奏はちょっとだけ胸をそらした。
「だからボクに『変態』って言うのは、全然、ほめ言葉だ。」
「あっそっ!」
バカじゃないの、と言って立ち去ろうとする微凪に追い打ちをかけるように
「あーそうそう、あとな、」
と広奏が呼びかける。
何よ、と言わんばかりにキッとなって振り返る微凪に、こんどこそ広奏は真顔を崩さずに
「時間の流れに惑わされるな、ソードラスティング。」
と、いつか誰かに言った言葉をまた口にした。
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