第十三章 「帰還」
(・・・ニョクマム様。)
(すまない。ソードラスティング。もう、ここまでのようだ・・・。)
(・・・はい・・・。)
(これから、長い、永遠とも思えるほど長い・・・。)
(・・・はい。)
(決して離れぬよう、お互いを繋いでおく・・・。)
(・・・はい、ニョクマム様。)
何だか変な夢を見ている。
(私にもすべてが見通せているわけではない・・・ない、が・・・。)
(・・・。)
(・・・。)
(ニョクマム様。)
(何だ?)
(・・・は、ずっと、ずっとお慕いして・・・。)
・
・
・
・
・
(・・・ああ、分かる。目覚めようとしてるんだ、俺。)
意識が自身の心の奥底からグッと浮かび上がろうとする感覚。
(そうか・・・戻って、きたのか・・・な、俺?)
目を閉じていても、肌に触れる空気の流れとか、何かはよく分からないけれどもかすかに聞こえてくる音などによって、自分が元の世界に戻ってきていることを予感させる。
(もしかして、学校の・・・屋上か、ここ?)
そこまで思い至ってから、柊城伊識はようやくのこと、静かにゆっくりと両のまぶたを開いた。
伊識の目と鼻の先に時築微凪の顔があった。
これまでの展開であれば伊識が
「うわぁっっっ!」
と叫んで、微凪が心底情けないものを見る視線を伊識に投げかけるところだろうが、微凪が膝枕をしているこの状況で伊識が驚いて飛び起きたりしたら確実に微凪の顔面に頭突きしていただろうし、そんな状況を許さないほど微凪は深刻な、切なそうな表情をしていたし、伊識は伊識で意識がはっきりする前から微凪に膝枕をされながら涙声で『柊城くん、柊城くん。』と呼びかけられているのを感じていたし、そもそも驚いて飛び起きようにも伊識の全身は金縛りにあったように自由が効かず、いくらエレクシス世界での諸々があった後とはいえ膝枕され続けるのも気が引けたのだが、動けないので仕方がなく、そうは言っても何も言わずに見つめあっているのも気まずいのでとりあえず
「え・・・と、おはよ、委員長。」
と言ってみる。
ただただ伊識を見つめて、泣くのをこらえていた微凪の両目に、みるみる涙が溢れてきた。
「良かった、柊城くん・・・。」
微凪はそれ以上何か言おうとして、口を動かすのだが言葉にならず、涙だけがどんどんこぼれて頬を伝う。
「ごめんな、委員長。身体が全然動かせないんだ。もう少しだけ。」
伊識が申し訳なさそうに言うと、微凪は何も言わずに伊識の髪を梳き、頭を撫でた。
「委員長みたいな美少女転校生に、膝枕してもらえるなんて、もう一生ないだろうからな。」
微凪は黙って首を横に振る。
「ハハ・・・調子狂うな。いつもみたいに『バカ!』って言ってよ。」
伊識のそんな軽口に、微凪はギュッと強く唇を噛みしめてから、また唇を開いて何か言いかけた。きっと、伊識が希望したように『バカ!』と言いたかったのかもしれない。しかし、唇は震えるだけで言葉にならず、また首を横に振って、伊識の頭に手を置いて、黙っていとおしむように何度も何度も上下に動かした。
「・・・。」
「・・・。」
しばらく、沈黙が続く。微凪の感情の波がある程度おさまるまで待ってから、伊識はまた口を開いた。
「本当に・・・本当にゴメンな、委員長。」
伊識の髪を自分の指に絡ませるようにして梳いていた微凪の手がピタッと止まる。
「委員長、て呼び方は間違いだったよな?クラスの委員は、あくまでクラス委員であって、『長』ではなかったような。」
「・・・。」
「知ってて、俺に好き勝手に呼ばせてくれてたんだろ?ありがと、ゴメン。」
伊識が無理に話を逸らしたのは明らかだったが、微凪は小さく首を横に振って、伊識の頭をなでていた手を、頬に移動させて、軽くつねる、というよりも優しくつまんで、まだ少し涙声のまま、小さく
「バカ・・・。」
とつぶやいた。
「ゴメン。」
「バカ。」
「うん・・・。」
「バカ。」
「分かってる。」
「バカ・・・バカ・・・。」
「ほんと、バカだよな、俺・・・せっかく委員長がお膳立てしてくれたのに、全部ぶち壊して、ゴメン。」
「・・・。」
微凪の目を見ることができず、虚空を見つめるように、目を逸らしながら、伊識はその言葉を口にした。
「委員長が・・・ソードラスティングが、あの世界・・・エレクシスを救うために、何万年も続けてきたこと・・・それを、ぽっと出の俺が何の断りもなくいきなり終わらせて、ゴメン。」
伊識の頬をつまんでいた微凪の指の力が弱まった。
「剣のこと・・・委員長が、剣になって、何度も何度も転生して、つまりそれは・・・。」
伊識も言葉に詰まる。微凪の涙の意味するところも分からず、それ以上口にするのが恐ろしかった。
(剣である限り、不死身の存在である委員長を、無限から有限の存在に・・・委員長に何の相談もしないで、寿命を与えたのだ、俺が・・・。)
霊峰ヒャレンの山頂で茫然自失の体だった微凪の姿が思い起こされる。気が遠くなるほど長い時間、続けてきたことが突然終わるということがどういうことか、心にどう影響するものか、十六年しか生きていない伊識には想像もつかない。
「俺の勝手で、委員長を・・・むぬ?」
必死に言葉を繋いでいた伊識の唇に微凪が指をあてる。
「違う・・・違うよ、柊城くん。」
微凪は首を横に振って答えた。
「柊城くんが、救ってくれたんだよ、私を。」
一度は収まりかけた微凪の双眸に、再び涙がいっぱいにたまっていく。
「本当に、本当に今まで苦しかった。ううん、もう自分が苦しいのかどうかさえ分からないほど・・・。」
「・・・。」
「ヒャレンでは、本当に何もできなかったよね、私。」
心からいとおしむような表情を浮かべる微凪に顔をのぞき込まれ、伊識の顔は赤くなる。
身動きもできないうえに、微凪が伊識の唇に指をあてているので話すこともできない。もっとも、話せたとしても、何と言えば良いのかも分からなかったが。
「こんな・・・こんなときが私に来るなんて、想像もしていなかったから・・・有限の存在になれるなんて、思っていなかった、私。」
微凪は伊識の口元にあてていた手を、頭部に移動させる。
伊識の前髪をかき上げて、手をおでこにそっとのせる。
「柊城くんが叶えてくれたんだね。私なんかより、ずっとずっといろんなこと、分かっていたんだね・・・。」
伊識の火照った身体に、微凪のひんやりした手が心地よかった。
「いやでも、委員長。俺は・・・前にも言ったっけか?うまくいってもいかなくても繰り返されるんじゃ、って言った、あれは・・・。」
微凪のようにすべての記憶を持ってはいないから、全貌は分からない。分からないが、きっと歴代のソーザイアは、すべて伊識のはずなのだ。
(そう、委員長と俺は、まるで螺旋のように・・・。)
この宇宙・・・宇宙に限定されるのかどうかも分からないほど広大な空間のあらゆる場所、あらゆる時代に伊識が転生する。姿かたちも、名前も、使う言語も、まるで異なっている。でもそれはすべて柊城伊識なのだ。
そしてそのすべての柊城伊識が、あとを追いかけるようにして時築微凪に生まれ変わる。同時代、同じ場所に存在する前世の伊識と来世の微凪とが、エレクシスを救う。エレクシスがこの宇宙でどれほど重要な場所なのかは知らないが、とにかく前世が来世を剣に変えることで救い続けてきたのだ。
(そしてその間のすべての記憶を、俺は持たず、委員長だけが持っている・・・どんだけ苦しいことだろうな・・・なんで委員長だけそんな目に?)
誰がこんなことを始めたのか、という憤りはすべて自分自身に跳ね返る。緒帝などと呼ばれて持ち上げられている初代のニョクマムがそのように定めてこの何万年も続くエレクシス救済の仕組みを作り上げたのだとしたら、そのニョクマムというのは、
(とどのつまり、俺ってことだ・・・。)
という帰結となって、伊識の心は暗くなる。微凪に恨まれこそすれ、感謝なんてされる立場にないのだ。
(しかも、まだこの螺旋って・・・本当に終わったのか、これで・・・?)
そんな伊識のグルグルする思考を感じ取ったものかどうかは分からないが、時築微凪はまた首を横に振った。
「私が知ってる前世の柊城くんは、私を剣にして、世界を支配して、そして・・・。」
微凪の頬に涙が伝う。
(うん、知ってる・・・。)
伊識は頬を伝うその涙の軌跡を目で追いかけていた。さっきから、その涙がいつ自分の顔に落ちてくるか、それが多少気がかりではあった。
(委員長の夢にシンクロしたときに、ちょっとだけ見た、俺も。俺が世界を救って、世界を支配しようとして、結局破滅して、ソーザイアの剣に泣き言とか、恨み言を言いながら処刑されるか何かの最期だったんでしょ、きっと。)
まるで伊識の思いを理解したかのように、微凪がまた首を振った。
「あなたは私だし、私はあなた。自分だけを責めないで。それに・・・今の柊城くんは、そうしないで、私を救ってくれたよ?」
泣き笑いとはこういう表情をいうのか、と伊識が感想を抱いた次の瞬間『ポトン・・・』と、ついに微凪の涙が一滴、伊識のおでこに落ちた。
「いつも、私は剣になってしまうから・・・剣にならないで、ソーザイアのそばで・・・剣を手にしたソーザイアを・・・柊城くんを見たのは、今回が初めて。」
また一滴、伊識の頬に涙がかかる。
「カッコ・・・良かったよ。」
「お、おう・・・そうか。」
伊識は動揺を隠せない。
「あ、あっははー、今なら、委員長が俺の顔に鼻水垂らしても、オッケーだよ。いまだったら、許し・・・ふぎゅ?」
微凪は最後まで言わせずに、伊識の頭を・・・こめかみの辺りを両手でぎゅっと挟んだ。
ごめんね・・・小さくつぶやいて、微凪は伊識のおでこに唇を近づけて、そっと自身のこぼした涙を吸い取った。
「ちょ・・・いいんちょ・・・。」
一度顔を離して、潤んだ瞳でじっと伊識を見つめてくる。身動きが取れない身でなければ、恥ずかしさで地の果てまでも逃げていきたい気分だった。
「いいんちょ、顔、ち、近・・・。」
伊識の狼狽など意に介さずに、微凪はさも当然の順番という感じで、今度は頬に落ちた涙も吸い取った。小さくチュ、という音がする。
それからまた顔を離して、ジッと見つめてくる。
「いやいや、ちょ、ちょ・・・いい・・・。」
微凪は何も言わずに、目をそっと閉じた。
(え、いやウソだろマジで?)
微凪はゆっくりと、しかし確実に、伊識の唇に自身の唇を近づけてくる。
俺のファーストキスってまさかの委員長だったんか、てことは約六万歳と十六歳のキス?ギネス級?いやでも俺は・・・などと思考は千々に乱れ、伊識がギュッと目を閉じたそのとき、だった。
(え、なに?何か、来た?)
接近してくる得体のしれない何ものかを感じ取る。
その何ものかの速度は人間の力を超えた尋常ならざるものだったようで、気付いたときにはすでにものすごい風圧が横から伊識に襲い掛かり、その次の瞬間には、スローモーションの映像を見るように、吹き飛ばされて空中をユラユラ漂う自分自身を発見していたのである。
(うおぉ・・・な、何だ?何が起こって・・・。)
宙に浮かぶ寸前、微凪が『危ない!』と言って伊識を弾き飛ばしたような気もする。
(そっか。委員長が俺を宙に浮かせ・・・たんだとしたら、すげぇ力持ちなんだな、委員長。)
のんきにそんな感想を抱くが、もしかしたら微凪ではなく、その得体のしれない何ものかの風圧だけで飛ばされたのかも、と思い至り、とはいえ思い至ったところで自身をコントロールすることはまったくかなわずに宙を舞っている事実は変わらず、伊識は仕方なく飛ばされるがまま、特に抵抗もしなかった。
衝撃のおかげか、金縛りも解けたらしい。フワフワと浮かびながら、動かせるようになった首を回して左右を見やる。
(あ~やっぱ学校の屋上だったんか、ここ。)
宙を舞い始めてからそのことを確認するまで、おそらく一秒も経過していなかっただろう。いずれにせよ元の世界に戻ってきていることにとりあえず安堵した次の瞬間には、伊識の身体は屋上の金網にしたたかに叩きつけられていた。
(うぉっ・・・って、あれ?あんまり痛くない・・・?)
金網が多少のクッションにはなってくれたのかと思った。激しくぶつかった割にはそれほどの痛みはなかった。というより全然痛くなかった。
(委員長は大丈夫か?)
状況が分からないまま、微凪がどうなっているのか心配で起き上がりざまに振り返った伊識は、そこに微凪の他にもう一つの人影が躍動するのを見て、目を瞠った。
(え・・・ひ、広奏?)
月明かりに照らされて、スッと、美しく立つ氷岬広奏の姿をそこに認めたのである。
読了ありがとうございます。




