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第十章 「ソーザイアの剣 前編」

 微凪は夢を見ていた。


 微凪が導いた、歴代のソーザイアたちが微凪の前に現れては消え、また現れては消えていく。まるでスローモーションの映像を見ているように。


 (みんな、みんな・・・。)


 霊峰ヒャレンの上空にある魔界の扉は、数百年から数千年に一度の周期で開き、そのときに微凪はソーザイアの候補者を見出す。


 緒帝ニョクマムが何万年も前に最初のソーザイアとしてエレクシスに現れてからこれまで、ソーザイアを名乗った者は三十人にも満たない。


 どのソーザイアのことも、よく覚えている。


 微凪が見出したソーザイアの候補は、みな必ずソーザイアとなった。微凪が見誤ったことは一度もない。


 (そう、間違えようもない・・・。)


 目を閉じて、微凪はわずかに唇を歪めて、自虐の笑みを漏らす。


 「は、はは、やった。見つけたぞ・・・これが、ソーザイアの剣・・・。」

 「ソーザイアの剣・・・何と美しい。こんなに軽いのか・・・。」

 「本当に・・・あったんだ。ソーザイアの剣。伝説の武器で、現実には無いと・・・。」

 「ほう、これが。こんな老いぼれがソーザイアに?まあ、最後のひと働きかの・・・。」

 「歴史に、伝説に、ソーザイアの英雄譚に、名を刻むの?私が・・・ウソ・・・。」


 剣をはじめて手にしたときのソーザイアたちの声が聞こえてくる。性別も年齢もばらばらだったが、みな、エレクシスを救う使命を十分に理解して、微凪の力となってくれた。


 どうすればソーザイアの候補者にソーザイアの剣をもたらすことができるかというと、それはとても単純なことで、要するに霊峰ヒャレンの山頂、守護神の待つ神殿に、微凪がソーザイアの候補者を連れて行く、それだけのことなのだ。


 そこで、何がソーザイアの剣であるか、候補者に宣言させる。正しければ、ソーザイアの剣が候補者の目の前に出現し、晴れて正式なソーザイアとなる。


 微凪が導いたものの中で、答えを外した者は誰一人いない。


 剣を手にしてから、何をすれば良いかというと、それもまた単純で、ちょうど霊峰ヒャレンの上空で開きかけようとしている魔界の扉に向かって、ソーザイアの剣を何度か振って、剣から飛び出す光弾で破壊すればオシマイで、やることはとても単純だった。


 (そう・・・フェルローナさえ出現しなければ大丈夫・・・。)


 魔界の扉を破壊した後は、多少の残務処理が残るだけとなる。魔界の扉が開きかけた時にチョロチョロ出てきてしまった魔物の討伐もその一つである。ほとんどが低級の魔物で、ソーザイアでなくともできる仕事だったが、中にはとんでもなく手強い魔物が出現してしまうこともあるので、依頼を受けたり、あるいは自発的にソーザイアが動いて討伐の任に当たることが多い。むろん、どのクラスの魔物でも『剣』を手に入れたソーザイアの敵ではなかった。


 ただ・・・魔物を倒し、その血を吸うたびに、ソーザイアの剣は内側から少しずつどす黒い色に染まる。


 外見は何の変化もないから、そのことには誰も気付かない。


 いずれにせよ、このような過程を経て世界を救うというソーザイアの使命はいともあっさりと成就するわけだが、問題はその後である。


 魔界の扉を閉ざす役目を終えた後も、ソーザイアの剣は消滅したり、元の姿に戻ることはなく、当代のソーザイアが死なない限り、剣のままあり続ける。


 最強の剣を手放そうとするソーザイアが一人もいないのは当然である。この剣さえあれば何でも叶うのだ。


 「今こそ、大陸全土を我が手に・・・。」

 「世界を統一する力・・・私が真の平和をもたらしてみせよう。」

 「役割だけはキッチリ果たしたのだから、あとは好きなようにさせてもらう。」

 「奴らに・・・復讐するときが来た。見てろ、生まれてきたことを後悔させてやる。」


 また、声が聞こえてくる。ソーザイアたちの心の声。


 (あ、ああ・・・。)


 ソーザイアと言えど、所詮は人間である。その使命を終えた後、歴代のソーザイアはみな一様に世界の支配を目指した。ソーザイアが持つ圧倒的な魔法の力、それは柊城伊識が示した『言葉一つでどうとでもできてしまう。』ような、周囲の者からみればタチの悪い力で、伊識ほどでは無いにせよ、どのソーザイアもそれなりの力を有していた。そこにソーザイアの持つ『剣』の圧倒的な武力が合わされば、世界の支配など簡単で、事実歴代のソーザイアは、それぞれに様々な方法を駆使したものの、結局はこのエレクシス世界の完全支配に成功した。軍隊など編成する必要もなかった。


 その頃になると魔物だけではなく、人間の血も無数に吸って、ソーザイアの剣は最初の光をまったく失い、暗黒の凶器ともいうべきオーラを発する邪悪なものに変貌してしまう。


 世界制覇が進む中で、ソーザイアにおもねる取り巻き連中も次第に増えていく。さすがにソーザイアと言えど統一後の全世界を一人で動かすことはできない。そうした取り巻きに各地を分け与えて統治させた。そのほとんどは民衆が疲弊するようなやり方で支配に臨む。ソーザイアのご機嫌さえ取っておけばあとはその後ろ盾で何でも出来るのだから、好き勝手に傲慢に搾取するだけだった。


 一代で築き上げた統一世界は、しかし崩壊も早いものである。繰り返すが、ソーザイアといえども所詮は人間なので、年齢を重ねれば当然力も弱まる。特に魔法力は、魔界の扉を閉ざした後に急速に弱まる傾向にあった。そのことを周囲に悟られないためにどのソーザイアも力を失うことを恐れて肌身離さずソーザイアの剣を帯びていたのだが、皮肉にもそれはかえって魔物や人間の血を大量に吸い続けたソーザイアの剣の妖力、魔力、禁忌の力の前に、魂を吸い取られてしまうという結果に陥る。多くのソーザイアは、通常より早く老境に入ることが多く、そしてそれは周囲の、目端が利いた者にはすぐに悟られてしまうものでもある。国家崩壊の序曲がこの辺りから始まり、ソーザイアの統一国家も末期となると、各地で抵抗勢力が数多く生まれ、そうなってしまうと、もう力なきソーザイアではどうすることもできず、周囲の取り巻きも離反し、エレクシス統一の覇者の地位から簡単に転げ落ちていく。


 「余はどうすれば良かったのか。もう、答えてはくれないのか、我が剣よ・・・。」

 「救い、治め、死ぬ・・・別段どうということもない・・・ないが・・・なあ・・・。」

 「時間切れだ、くそっ・・・。」

 「もう何も望まないが、唯一つ・・・来世では、選ばれたくないものだな。」

 「好きに生きた。それが終わるだけ。」

 「良い、良い。こうなることは分かっていた。もう、要らぬ期待などしはせぬ。」


 統一した世界が崩壊し、死に赴くときのソーザイアたちの言葉が聞こえてくる。まだ、言葉を残すことができた者たちは救われたとも言える。最期にあっては言葉さえも失い、死んでいったソーザイアもいた。


 みな、一度は世界を制覇した者たちだから、人前ではそれほどみっともない姿を晒しはしなかったが、一人でいる時に、物言わぬ剣に向かって語りかけるその言葉は本音であり、そこには、最初に微凪に候補として選ばれたときの初心など微塵もなく、すべてを諦めつつも、死への恐怖や、多くの命を奪ったことへの耐え切れなさや、あまりにも力が強大に過ぎたため、誰とも心を通い合わせることのなかった自身の生涯に対する悔恨が渦を巻いている。


 そして、それらが微凪の心に容赦なく突き刺さる。


 彼らをソーザイアに押し上げたのが、他ならぬ微凪なのだ。


 誰も微凪を責めはしないが、それゆえに微凪の心はより一層押しつぶされる。むしろ罵倒の言葉を吐き出してくれた方がどれほど良かったことだろう。


 (ゴメン、ゴメンね・・・みんな・・・。)


 謝っても謝っても、もうどのソーザイアにも届かない。


 ともあれ、そうしてほとんどのソーザイアは処刑されたり、自死したり、戦争で殺されたり、運良く帝都を脱出してもその後の行方は知れずして、人生の幕を閉じていったのである。


 ソーザイアが死ぬと、剣は本来の姿を取り戻し、次に魔界の扉が開くときまで、その本来の姿のまま、また数百年から数千年の間、世界をさまよい続ける。ソーザイアの後継の座を射止めようと皆必死になって遺品からソーザイアの剣を探したものだが、それを見つけることができた者は一人もいない。


 ソーザイアでなければ、見つけられないのだ。


 そして・・・ソーザイアの事跡のうち後ろ暗い部分は長い年月を経てきれいさっぱり削り取られて、あとにはひたすらにソーザイアを褒め称える英雄譚だけが残される。


 これがエレクシス世界の歴史なのだ。数百年、数千年を一単位として、ソーザイアの世界統一と分裂が延々と繰り返されていく。


 進歩、と言うにはあまりに虚しい歴史が繰り返される。


 (ゴメン、ゴメンね・・・ああ・・・。)


 皆の声が聞こえる。ソーザイアの声だけではない。誰もそんなことは言っていないはずなのに、緒帝ニョクマムから数万年の間に生まれては消え、また生まれては消えていったエレクシス世界の無数の人々の声が、異様な怨嗟の叫びとなって微凪に襲い掛かる。


 「・・・ちょ・・・んちょ・・・。」


 また別な声も聞こえる。たくさんの混じり合う声にかき消されて判然としない。


 (ああ、ソーザイア・・・エレクシスの人々・・・許して・・・許して・・・私は・・・。)


 一人の人間が背負うには、それはあまりに重すぎるのだろう。


 何度も何度もうわごとのように叫ぶ微凪。


 「・・・ちょ・・・いい・・・・・・ちょ・・・。」


 かすかではあるが、何度も呼びかけてくる声が聞こえる。夢と現実がごっちゃになったまま、微凪は突然目覚め、起き上がった。


 「ごめんねっ・・・許してお願い!・・・あああっ。」


 絶叫と悲鳴。


 目の前にあった、触れたものにしがみつく。


 それは柊城伊識の腕だった。


 「いいんちょ、しっかりシテ!落ち着ク!」

 「怖いっ、痛いよ、痛いの・・・苦しいのもうイヤだよ・・・。」

 「いいんちょっ。」


 目の焦点が定まらず、半狂乱になって暴れる微凪を伊識は抱きしめて、背中をさする。


 「ああっ・・・あ、ああ・・・。」


 微凪の頭を二、三度ポンポンする。


 「ダイジョブ、ダイ、ジョーブ。いいんちょ、俺だヨ、分カル?柊城伊識。」

 「伊識・・・うう・・・柊城・・・く・・・ん?」


 まだ混乱は続いているらしいが、安心はしたのだろう。微凪は伊識を羽交い絞めにするようにギュウッと抱きつき、伊識は呼吸が苦しくグヘっとなる。


 「うぐはっ・・・と、とりあえズさ、モゥ日本語使う、ナシにしヨ。ここはモゥ、エレクシス・・・のはず。コトバ、切り替えル。」


 日本語で話し続けていた微凪に、伊識がエレクシス語で話しかける。


 「・・・ジェッリルン。デル・・・サ。」


 微凪がつぶやく。『デルサ』というのは、エレクシス語で『ゴメン』という意味である。


 つまりは日頃は冷静な微凪が、そのことに気付かないほど動転していたわけである。いきなり転移してしまって、伊識の方がオタオタするはずなのに、微凪のおかげでかえって冷静なままでいられた。


 「いいんちょ、ドーした?何か、すごイうなされた。」


 口に出して言うのもはばかられるほど、微凪の体は熱く火照ってもいた。


 「夢を・・・見ていたみたい。けど、もう大丈夫。」

 「・・・ソ・・・カ。」


 全然大丈夫そうでないのは、伊識にしがみついている微凪の腕の力が、多少緩くなりはしたものの、その緩め方がほんのちょっぴりで、かなりの力が伊識にかかっていることから察せられた。


 「ゴメん、いいんちょ。俺のせいダヨネ・・・俺、こっち移るトキ、いいんちょの手を取った・・・巻き込んで、ゴメ・・・。」


 微凪は伊識にしがみついたまま、首を横に振って、『違う』とだけ言って


 (違う、これで良いの。私は、あなたと一緒にこの世界に来なくてはいけなかった・・・それで良かったの。これは決められたこと。)


 というあとの言葉をすべて飲み込んだ。


 覚悟を決めた微凪は、今度こそ問題のない精神状態になったのか、それともそう思おうとしたか、とにかく強く抱きついていた伊識の体をようやく解放した。


 「ソレで・・・ここはエレクシス世界、なんだよな?どの辺なんだろう?前に来た、とコロとは全然雰囲気、チガう・・・。」


 伊識が立ち上がって、周囲を見渡す。草などもほとんど生えておらず、ゴツゴツした黒い岩肌ばかりが目立つ。


 「霧、濃いネ・・・。それに、やけに寒いヨ。」

 「それはそうよ。」


 微凪も伊識の助けを借りつつ立ち上がる。


 「ここは、もう頂上近くだもの。これでも多少は調整されてるから・・・実際には凍えるくらいの寒さのはず。」


 微凪は制服のスカートを手でパタパタとはたいた。


 「頂上・・・ここ、山ナノ?」

 「ええ、そうよ。」


 周囲をあらためて見渡す。伊識は山登りの趣味はないが、確かに、石と岩ばかりの、植物はほとんど生えていない、こんな武骨な山もまぁあるのかなと思えた。


 「ここが、霊峰ヒャレン。これは霧・・・というより、雲と言った方が良いわね。」

 「霊峰ヒャレンの頂上・・・てコトは・・・。」


 何のためにこのエレクシス世界にもう一度飛ばされたのか、その目的はさすがに忘れてはいない。


 「そうね。物語で言うなら、すべてを省略して、いきなりヤマ場に放り出されたみたいよ、私たち。」 


 そう言って微凪が指差した先に伊識も目を向ける。霧というか、雲というか、よく目を凝らして見ないと分からなかったが、そう遠くない場所に、人工の建造物のようなものが見える。


 「あれが、霊峰ヒャレンの頂上にある神殿。守護神がいるわ。一人で神殿を守っている。見えるかしら。」

 「神殿・・・守ゴ神?」

 「ええ、下級の神だけど。たいていは、罪を得た神が配置される。人間とじかに触れ合う立場に置かれることを、この世界の神は極端に嫌うから。」


 確かに、じ~っと目を凝らすと、すべてが石造りっぽい神殿の中央に、人影らしき姿が確認できて、それも気になったのだが、伊識はまず何よりも、その神殿が山頂の崖から少なくとも半分ははみ出ている、その立地が気になって仕方がなかった。


 「アノ、イインチョ。俺たちも、あそこ、行かなくてはいけない?」

 「ええ、そうよ。」


 いともあっさり微凪が答える。


 「あの、いいんちょ。」

 「何よ、二人しかいないんだからいちいち委員長、委員長、言わないで。」


 いつもの微凪にようやく戻ったようで、伊識はそのことでは安心したものの、それに反比例するように神殿のことが気になって仕方なかった。


 「あの神殿、半分、テいうか半分よりもっともっと、崖かラハみ出てるっポいんですが。」

 「ええ、そうよ。霊峰ヒャレンは、片側・・・私たちのいるこちら側はとてもなだらかなんだけど、もう片側は垂直の断崖だから。」


 重ねていともあっさり答える微凪。


 「あの、指で突いただけでもコロンて、崖下に落っこちていく、ソウ見えル、あの神殿。」

 「大丈夫よ。緒帝ニョクマムがここに神殿を築いてから、そんなこと一度もないから。」

 「・・・そう、デスか・・・。」


 そう答えるので精一杯だった。高い所が特段に苦手というわけではないが、目の前の神殿を見れば高所恐怖症でないものでも多少の恐怖は覚える、そんな光景だった。


 (あそこに行って・・・剣を・・・。)


 「待って。誰かこっちに登ってくる。」


 微凪が指さした方向、雲の中に、いくつかの影が見える。


 「・・・。」


 靄がかっていて、まったく判別できないが、金属のこすれあう音がかすかに聞こえてくる。おそらくしっかりとした鎧と武器を装備しているのだろう。


 「本当に、ヤマ場一歩手前に放り込まれているみたいね、私たち。」

 「ソ、ソー、なの?・・・デモ俺、まだ剣を・・・。」


 伊識の言葉を手で制して、微凪が


 「彼らがライナ側か、ポトラ側かで、全然変わる。」


 と言うそばから、少しずつ、影が近づくにつれどんどん姿かたちがはっきりしてくる。


 「ポトラみたいね、あの軍旗。」

 「そうか。良かった。」


 伊識はふぃ~っと、安堵の吐息を漏らす。


 とりあえず、魔界の扉を閉ざそうとしている側ということであれば、ややこしさは軽減されるだろう。


 微凪も、ほんの少しではあるが肩でホッと息をついたようだったが、すぐに真剣な表情に戻って


「二人きりでいられるうちに聞いておくわ。簡潔に答えて。何で急に転移が始まったの?何をしたの?」


 と聞いてきたので


 「誕生日プレゼント、開けたンだヨ。広奏からの。」


 と、要求通りしごく簡潔に返答する。


 「・・・それだけ?」

 「そレダけ。俺の誕生日に、なッたら開けろ、広奏に言われた、その一日前、さっき、開けた。明日、俺の誕生日。」

 「あ、そう。他には?」

 「広奏のプレゼント、エレクシス語、書いてあたヨ。ハコに、ちょくせつ、彫ってあっ・・・。」

 「はあっ!?」


 微凪の絶叫が響く。すでに声の届くところまで近づいていた軍勢が、その絶叫に、ピクリと反応して立ち止まる。


 「それを先に言いなさいよバカ!」

 「今サラソレ先に言う、で、どうにかなる?」

 「そんなのは関係ない!・・・本当に?本当に氷岬さんがエレクシス語を?」

 「うん。」

 「何を?氷岬さんはあなたに何を伝えたの?」

 「ああ・・・っと、それワ・・・。」


 伊識が、興奮気味の微凪を手で制して、既に目と鼻の先に近づいてきている軍勢を指し示す。


 軍勢は、目深に兜やフードを被っていたが、みな口をポカンと開けて、唖然とした表情をしているのは容易に察することができた。前回のファノームたちのときと同様、主戦の兵と、その対となる兵、二人一組の形は変わらず、一人は重装備で、対のもう一人は軽装である。


 そもそも軍勢、と呼ぶには十数組程度しかおらず、遠目にはもう少し多いだろうと思っていた伊識は拍子抜けしたものの、少数精鋭でこの霊峰にやってきた、という感じの面々で、防具や武器なども、最初の転移で出会ったファノームやバシュティンたちには大変申し訳ないが、彼らのどこかくすんだ色合いのものとは違い、白く光り輝く、段違いの優れた装備を身に着けていた。


 彼らはみな、表情は窺い知れないが、突然現れた伊識と微凪への警戒は怠ってはおらず、めいめい武器を下ろさずに構えて、いかにもプロの戦闘集団という雰囲気は漂っている。その姿を見て、伊識はファノームやバシュティンたちのことに思いを馳せた。


 (彼らは、どうなったんだろうか・・・。)


 普段は農業に従事している、とファノームが言っていたように記憶している。こんな魔界の扉の開閉の争いなんぞに巻き込まれずに、元の平穏な生活に戻れているといいが・・・などと考えていると


 「・・・ソーザイア・・・イシル様!なぜ、ここに・・・。」


 と呼びかけられ、思わず


 「リフファハァル?」


 と、変に語尾を上げたマヌケな返事をしてしまう。


 声の主は集団の真ん中にいたリーダー格の兵から発せられたようで、その兵が手をかざして周囲の兵に武器を下ろすように指示し、一歩前に進み出て、兜を脱いで素顔をさらす。


 伊識はその顔に驚きを隠せない。


 「え・・・アナタは・・・。」


 それはファノームだった。


 伊識のことをまっすぐに見つめて、目を丸くして立ち尽くしている。


 一週間前に会ったときと比べると、少し大人っぽくなった感じがする。装いが全然違うからか、と伊識は思ったのだが、ファノームが


 「あれから、二年・・・あなたが突然消えてから、二年も経ちました・・・どこでどうされておられたので・・・?」


 と質問してきたことでなんとなく理解できた。


 (地球で一週間過ぎる間に、こっちでは二年経った・・・ということかな、きっと。)


 前世来世に時間概念は関係ない、と以前微凪が言っていたのが思い出される。


 (それともまたちがうんだろうか?よく分からんが・・・しかし、何ともまぁ都合の良い再会で・・・。)


 伊識の思いをよそに、ファノームの隣の兵も兜を脱ぐ。


 以前には見受けられなかった、頬に目立つ傷があること以外は、紛れも無く伊識の知っているバシュティンだった。


 「貴様・・・今まで何してやがった・・・いきなりこんなところに現れて、今度は何やらかそうってんだよ?」

 「バシュティン。」


 手で制して、ファノームが伊識の前に進み出る。もう一人、小柄なサポートの兵もファノームに続く。フードを外したその下の素顔はファノームの対の兵、セスだった。


 バシュティンのパートナーと思われる対の兵も兜を脱いで、セスの横に立つ。


 「覚えておられますか?ソーザイア。ファント・ボッス・フェネイエと申します。」


 バシュティンの対の兵が名乗る。


 「うン、オボえてるよ。」


 あの暖炉の部屋で伊識が目覚めたとき、ベッドの脇で眠っていた少女だった。


 (そうか、彼女はバシュティンの対の兵だったんだ。)


 フェネイエにしろセスにしろ、ベッドわきで見守ってくれていたこととか、食事の配膳をしてくれたことへのお礼をまずは言いたかったものの、何となく皆がファノームの次の言葉を待つ感じで立っているようで、割り込んで何か言える雰囲気でもなく、伊識も黙っているしかなかったのだが、当のファノームはファノームで


 「ソーザイア・・・イシル様・・・。」


 とだけ言葉を発するのが精一杯で、みるみるうちに目にいっぱい涙が溜まって、今にも伊識に抱きつかんばかりの勢いで、それを見ているバシュティンが何とかして阻止しようとアワアワ動揺している姿が見えたが、状況を素早く察したセスが誰よりも先に膝をついて、目立たないようにこっそりとマントの裾を引っ張って、目でファノームに合図し、ファノームも我に返らざるをえず、渋々思いとどまってセスの横で膝をつき、例の拳を鎖骨にあてがってからフワっと三本の指を開いて肩に乗せる『最敬礼』の挨拶をする。


 バシュティンは二人の後ろからその姿を苦々しく見つめながらも、手で合図を出すと、その場にいる全員がファノーム、セスと同じ姿勢を取って最敬礼をした。


 バシュティンは、ふてくされて横を向きながらも、さすがに今回は最敬礼の姿勢を取った。


 「あ・・・イや。顔、上げてくダサイ、みんな。」

 「お久しぶりでございます、ソーザイア。エレクシス語も、だいぶお上手になったのですね。」


 膝立ちでうつむいているファノームは、そう言いながら、何とかして明るい声音を作ろうとしているのだろうが、涙は相変わらず地面にぽたぽたと落ちていたし、声も震えていた。


 「二年ぶりです。二年もの間、どちらへ。」

 「え、ト・・・ソノ~・・・。」


 なんと説明したものか、言い淀んでいると


 「あれは、魔界の扉か?」


 良く通る声が響いて、全員が声の主の方向に視線を向けると、それは時築微凪だった。


 「もう、だいぶ開いているのではないか。」


 微凪が見つめている上空を、伊識も見やる。


 空全体が、どんよりとどす黒い雲に覆われている。ほんのわずかの隙間から漏れる陽光から、恐らく今は夜ではなく日中なのだろうとは推測できた。


 そしてそこにただ一点、霊峰ヒャレンの上空に不気味に浮かぶ、周囲のどす黒い空よりもさらに深く黒く淀んだブラックホールのような得体の知れない何か。


 「はい・・・扉は、日に日に大きくなっています。魔物も、下級のものが主ではありますが、出現してしまっております・・・えっと、あの・・・失礼。あなたは・・・。」

 「申し遅れました。私はシヅキ・シュー・ミナギ。イシルの対の兵です。」


 それを聞いて伊識が怪訝な表情を浮かべる。


 (シュー?委員長の対の名はシューなのか?中にカスタードかホイップクリーム詰めたくなる名前だな。)

 (バカ、あなたの名前からとっさに思いついたのよ。『柊』の音読みは『シュウ』でしょ、確か。対の名なんて私が持ってるわけないでしょ!)

 (さすがは委員長。いろいろ知ってるね。)

 (少し黙ってて!)


 「おお、この二年で、対の兵を得たのですな、ソーザイア。」


 ファノームは、微凪の対の名の由来よりも、伊識の対の兵としての微凪に強く興味を持ったようだった。


 (ほら、話、合わせて!)


 微凪が皆に見えないところで伊識を小突く。


 「・・・ジェッリルン。」


 伊識は小さな声で答えた。


 「ソーザイアの対の兵・・・さぞかしお強いのでしょうね。」


 微凪はそんなファノームの言葉を無視して


 「余計なお世話かもしれませんが、時間が惜しいのではないですか。再会の喜びもあるでしょうが、もはや、一刻の猶予も。」


 と言って、上方の魔界の扉を指さす。


 「だいぶ、下りてきているのでは?」


 真下から見上げているので捉えづらかったが、確かに言われてみれば、それはかなり低い位置にあるように見えた。


 「再会なんて俺は喜んでないぜ。」


 バシュティンがボソリと言って立ち上がる。


 「ただ、一刻の猶予もないのはその通りだな。たしかに魔界の扉、かなり低くなっちまってる・・・今になってノコノコ現れた奴のせいでな。」

 「!・・・バシュティ・・・。」


 振り返ったバシュティンの顔を見て、たしなめようとしていたファノームも口を噤んだ。


 バシュティンは、何とも形容のしがたい、単なる怒りとも、苦しみとも、悲しみとも違う、見ているのが辛い表情を浮かべていた。


 「大体、こいつはまだソーザイアじゃない。」


 バシュティンは伊識の目の前に立つと、グイ、と顔を近づけた。


 バシュティンは伊識より少し背が低かったが、その剣幕はすさまじく、気圧されて伊識は少しあとずさった。


 「ここまで来てるってことは、ソーザイアの剣、見つけてるんでしょうねぇ?」


 皮肉をたっぷり込めた言い方というのは、どこの世界も同じのようである。


 「ア、いエ・・・。」

 「見つけてるんですよねぇ!世界の命運が、貴方様にかかっておりますのでね!」


 それだけ言うと、バシュティンはクルリと背を向けた。


 「山頂の神殿はすぐそこなんだぜ。」


 大丈夫なのかよお前ホントに、と小さく捨て台詞を吐いて、バシュティンはスタスタと先に歩いて行ってしまった。フェネイエがその後を追いかけ、他の者もゾロゾロとついていく。伊識と微凪も、最後尾から付き従う。


 先頭をバシュティンに任せて、ファノームは伊識と微凪に歩調を合わせて最後方からついて行く。そばにはセスもいる。


 「すまない、ソーザイア。バシュティンは・・・。」


 ファノームが心底申し訳なさそうな表情で伊識に詫びる。


 「いエ。俺、ノ方こそ・・・彼に申し訳ナク・・・。」


 本心だった。


 ボロクソにけなされても、何だか伊識はバシュティンのことが憎めずにいた。彼の心は一言では言い表せない複雑な感情でコーティングされていると思う。


 ファノームはまっすぐな人だ、と伊識は思う。ただまっすぐに、国を思い、人々のことを思い、ソーザイアを信じている。


 (バシュティンも同じ、まっすぐでいたいはずなんだろうが。)


 彼もファノームと気持ちは同じだろう。そうでなければ将軍ファノームの脇にいる立場は到底つとまらないはずだ。


 (でも、まっすぐなだけではいられない・・・。)


 微凪の言うようにバシュティンはファノームに特別な感情を抱いているのだろう。『こんな時代でなかったら。』と、何百万回も思ったかもしれない。


 (好きだけど、かなわない。でも、全身全霊、力いっぱい、守る・・・。)


 全然立場も世界も違うが、その思いは伊識自身の広奏への思いにも重なって、何となく理解もできるような気がするのだ。


 (ま、『お前に理解されたところで。』と返されるのがオチだろうケド・・・。)


 「それにしても、二年前にお会いしたときとはずいぶん格好が違いますね。」


 伊識の思いなどには及ぶべくもなく、隣を歩くファノームが、チラチラと見つつ、伊識に向かって話しかけてくる。


 「ああ、うン。これ、俺の世界で、え、と、フク、服・・・デ。」


 言葉が出ずに良いよどんでいると、脇から微凪が


 「制服、みたいなもの。」


 と助け舟を出してくれた。


 「ソソ、ソレ。制服。」


 以前の転移のときはパジャマ姿だったから、だいぶ格好が違う、というのはもっともである。


 「そうでしたか。そちらは、女性用?」


 ファノームが微凪の制服を指さして尋ねる。


 「ええ。動きやすいし、対の兵であることが分かりやすいから、同種の物をあつらえて、着ているのです。」


 転移のことなど説明してもややこしくなるだけだし、その辺は適当にごまかしているようで、伊識は余計なことを言わないよう黙っていた。


 微凪は、真実の部分はもちろん、適当にウソをついている部分も、ごくごく自然な感じで口にしている。


 「そうでしたか。」


 姿格好の話題が出たついでに今度は伊識が質問をする。


 「あナタたちも、以前のときとはトテモ雰囲気、違います。マエよりも・・・その・・・。」


 こういうとき、失礼でないエレクシスでの言い方は・・・と逡巡していると、クスリとファノームが笑った。


 「お気になさらず。以前よりもずいぶん立派な格好だとお思いなのでしょう?」


 ファノームが伊識によく見えるように、誇らしげに胸をそらす。


 「あなたのおかげなのですよ、ソーザイア。」

 「え、俺、ノ?」

 「そうですよ。分かりませんか?」


 ファノームはニコニコと笑顔で言葉を続けた。


 「私たちは、この時代にソーザイアと接触した、唯一の人間です。二年前、偶然あなたに出会えた。そのことで、農民の中から徴用されただけだった我々は、帝都に呼ばれ、いきなり高位任官の勅命を今のポトラ帝より受けました。すべてが特別待遇です。この装備も、すべて帝都より直接支給された物なのです」


 そう言って、ファノームは、自身の剣をスッと抜いた。


 「あなたに接触して、あなたに声をかけてもらった、ただそれだけのことで、我々自身も不思議な力を得ました。」


 ファノームの抜いた剣は、さやから引き抜くと同時に鈍い炎に包まれた。


 「この剣自体は、帝国支給の、上級兵装用ではありますが、まぁただの剣です。ですが、何もしていなくとも、このような力が付加されるように。ここにいる者たち全員の装備が、こんな感じです。ポトラも、ライナも、両帝国は今、あなたを躍起になって探しています。ヒャレンの麓も国境線を挟んでポトラ、ライナの帝国兵が常駐していますが、よく気付かれずに入山できましたね?」


 何と答えるか、迷っているうちに、今度は横にいたセスが言葉を継いだ。


 「あなたに言葉をかけられ、あなたの加護を得たおかげです。やはりあなたは、本物のソーザイアです。あなたがそうでなければ、この時代にソーザイアを期待することはもうできないでしょう・・・。」


 そう言ってからセスは小さく何事かをつぶやいてファノームの剣に指を近づけると、剣を覆っていた鈍い炎がより強い、目を開けていられないほどの鮮やかな黄色い光に変わった。


 「すゴ、い・・・デスネ・・・。」

 「これですごい?ご冗談を。ソーザイアの剣は、この比ではありません。」


 ファノームの目がキラキラと輝いて、まっすぐに伊識を見つめてくる。


 「緒帝ニョクマムより続くソーザイアたちが世界を救う英雄譚はそのすべてを読みましたが、どのソーザイアもその奇跡の力は本当にすばらしく・・・それをこれから目のあたりにできるとは・・・本当に、ソーザイア・イシル・・・様。」


 すでにまた涙ぐみはじめている。どう応じたら良いかと逡巡していると


 「そういえば、あなたがたはなぜここに来たのです?ソーザイアが来ているとは知らなかったのでしょう?」


 と、微凪がうまく話を逸らす感じで疑問を口にした。


 「それは、帝都より急ぎヒャレンに向かうよう、指示を受けたのです。行けば分かると言われ・・・帝都の魔術師が予見したのでしょうか・・・魔界の扉が開く前に、お会いできて本当に・・・間に合って良かった。」

 「間に合ってないだろうが!」


 それまでも先頭からチラチラと振り返りつつ伊識とファノームたちのやり取りを苦々しい顔を浮かべて見ていたバシュティンが、周囲の者の制止を振り切って、ズカズカ伊識たちに近づいてくる。


 「バシュティン、いい加減に・・・え、ソーザイア?」

ほとほと弱りきった表情でバシュティンをたしなめようとするファノームの脇をすり抜けて、伊識の方からもバシュティンに近づいて行く。


 バシュティンに負けず劣らず、ズカズカと大股で向かってくる伊識を見て、バシュティンは一瞬ひるんだ色を見せたが、またすぐに強気な顔を取り戻す。


 「何だよ、ソーザイアの候補だからって、俺はなあ・・・。」


 伊識はバシュティンの前まで来ると、膝に手をついて、深々と頭を下げて


 「ゴメ、なサイ」


 と言った。


 「な・・・。」


 固まって動けなくなってしまったバシュティンに、伊識はたどたどしく言葉を続けた。


 「二年マエ、いきなリ来て、急にいなくなリ、ゴメナサイ。」

 「おい、ソー・・・。」


 泣きそうな顔を見られたくなくて、頭を下げたまま、伊識は言葉を継いだ。


 「きみの顔、見た・・・悲しい、ツラい、きっときみ、これまで苦しい思いたくさんした・・・仲間をウしなった、違う?ゴメナサイ。俺、弱いケドきみたちの力になりたい。」

 「な、何だよ、急に。何なんだよ急に!今、そのカタコトのしゃべり方はずるいんだよ!」


 完全に調子を狂わされて、バシュティンは狼狽の色を隠せない。

 それは伊識も同じだった。何で急にこんなにこみあげてきたのか。


 (何か・・・思い出せそうで思い出せない何かが・・・。)


 自身が思っている以上にこのエレクシスに深く関わっているのだろう。胸の奥底に、深く突き刺さって、抜けそうで抜けない記憶がよみがえろうとしている。


 きっとバシュティンとも、今の自分が覚えていないだけで、何かがあるのだろう。


 「それにな、何が『弱い』だよ?恐ろしく強いだろ、お前。あの言葉を使えば最強なんだし。」

 「あの力、使いたクナい。剣、見つけるマデワ。」

 「はっ。言うことだけは一人前だな、お前。それで?剣の目星はついてるのか?お前の言うとおり、どれほどの強さを示しても、剣がなければソーザイアは名乗れないぜ。魔界の扉も閉ざせない。」

 「・・・ジェッリルン・・・。」

 「その返事はどういう意味だ?もう、見つけていると、期待して良いんだな?」


 伊識は頭を下げたまま、微動だにしなかった。


 (今、チラリとでもそっちを見たら、すべてが知れてしまう・・・。)


 伊識の中ですでに答えは出ていた。


 (委員長自身がソーザイアの剣だ・・・。)


 頬を脂汗が伝う。


 『選びて選ばざりしもの、選ばずして選びしもの。』・・・転移寸前に広奏が伊識に残した言葉。


 (どう考えても、転移の時に俺がこの世界に連れて行こうと選んだ、そしてそれしか選択肢がなかったんだから選びようもなかった・・・その委員長以外、答えなんてないじゃないか・・・。)


 そしてあの、ソーザイアの剣を本人が語り、また別な誰かが語るたびに見せる微凪の表情。


 最後の決定打は、転移の直後、気絶していた微凪に触れたときだった。


 (緒帝ニョクマム以来の、数万年の、微凪の記憶が、俺にも一瞬見えた・・・。)


 ほんの少し、垣間見ただけの伊識ですら、意識が飛びそうになるほどの膨大な時間。そしてこの世界の主軸たるソーザイアの数々の事跡。次のソーザイアの出現を待つ間の数百年から数千年もの間のぞっとするような微凪の孤独な放浪の日々が一気に伊識の心の中に流れ込んできたのである。


 (いくらなんでも・・・一人の人間が背負うには、あまりに重過ぎる・・・剣になるって、辛いんだろうな・・・誰だよ、こんな運命を委員長に押し付けたのは・・・。俺は、本当に委員長を剣として選んで良いのか、広奏?もしかして、このエレクシスのどこに・・・どこかにいるのか?広奏・・・いるのなら・・・。)


 「あーまあ何だ、俺も言い過ぎた。」


 バシュティンの言葉に、伊識が我に返る。顔を上げると、バシュティンが決まり悪そうに、横を向いて頭をかいていた。


 「何回も謝られるより、一度のチャンスでソーザイアの剣を手に入れてもらう方がありがたいぜ、俺は。」


 そう言ってバシュティンがアゴで示した先に、目指す神殿があった。先を行っていたファノームの部下たちが、両脇に退いて、まるでそこを通れと言わんばかりに道を作る。


 その先に見える、石造りの神殿。近くで見ると断崖からはみ出ているさまがよく理解できて、より一層の恐怖を伊識に植えつける。本当に、人が一人でも断崖の側に立てば、その重みでシーソーが傾くようにグラリとかしぐのではないかと思われた。


 「ここまで来た以上、もう後戻りはできない。神殿の守護神も、待ってるぜ、ソーザ・・・お前をな。」


 伊識をソーザイアと呼ぶのはまだためらわれるらしい。バシュティンが神殿をまっすぐに見つめて言う。


 「行きましょう、ソーザイア。」


 ファノーム、セス、そして微凪も伊識をじっと見ている。


 「ちょ、ちょっと待って。あソコに本当に行くカ?」


 高いところがとてつもなく苦手というわけではないが、あんな断崖絶壁みたいなところには、行かなくてすむなら行きたくはない。


 「行きましょう、ソーザイア。」


 満面の笑みを浮かべるファノームとセスに背中をトン、と押され、伊識は無理やり、最初の一歩を踏み出させられた。


 (えい、まあ、もうしゃあないな・・・。)


 覚悟を決めて、一歩一歩、踏みしめるように歩く。

ほどなく、神殿にたどり着く。山頂の、ほんの少しの平坦な場所に作られた、小さな神殿である。着いてしまえばどうということもないかと思ったがそんなことは全然なくて、ヒュオオオ・・・と風が吹き抜けるときの響き渡る音などもすさまじく、やはり居心地の良いものではなかった。

 (しばらく、ここにいなくちゃいけないのか・・・。)


 神殿は、下から見たときは円形かと思っていたが、実際には一辺が十メートル程度の正五角形で、一枚の巨大な石を切り出して作られているのでどこにも継ぎ目はなく、とても無機質で冷たく、正五角形の五つの頂点に同じく高さ十メートル程度の石の柱が立っている。柱だけであり、壁も屋根もない。そして断崖側は奈落の底である。


 正五角形の中央に、膝立ちになり、祈りのポーズなのか、胸の前で両の手首を交叉させて、手のひらを上に向け、目を閉じて静かに座っている者がいる。


 (あれが、神?見た目ずいぶん若く・・・というか、若いなんていうレベルを振り切っているような。)


 どう見ても、幼い女の子にしか見えなかった。


 「見た目にごまかされぬように、ソーザイア。」


 心中を見透かしたようにファノームが言う。


 「下級神とはいえ、神は神です。過去のニョクマムを実際に知っているほどの年齢のはずです。最敬礼を、お忘れなく。」

 「最敬礼・・・例ノ、コレ?」


 伊識は拳を鎖骨の辺りに乗せる。


 「そう、それです。」


 いつの間にか、戦士とその対の兵たちは、めいめいが、断崖側の方を避けて、五角形の各辺に整然と立ち並んでいた。


 皆、被り物を脱いで、直立の姿勢で伊識を見ている。


 微凪も、皆に混じって、縁に立っている。


 「我々は、守護神の元までは・・・この先はお一人で・・・ソーザイア。」


 ファノームが促す。


 「・・・。」


 ソーザイアの候補者である自分しか、神殿の中心には行けないのだろう。この段階まで来て、やれ高いところは苦手だの、一人で行くのは嫌だのと駄々をこねるつもりはない。


 (ただ・・・。)


 伊識の位置からは、守護神は背中を向けて相変わらず祈りの姿勢を崩さずにいる。その背中に向かって、伊識は最初の一歩を踏み出す。


 (ただ・・・剣を・・・俺は答えをどうするんだ?)


 チラと振り返ると、微凪はファノームとセスの間で、胸の前に立っている。


 (委員長、あんなに小さかったっけ・・・。)


 隣にいるファノームが長身のせいもあり、また距離を置いて見ているせいもあるかもしれない。そして、それにもましてその表情・・・伊識の方は見ておらず、今にも泣き出しそうな表情でうつむいて立ち尽くしているばかりである。


 これから何十年かの、ソーザイアが生きている間はずっと物言わぬ剣として存在しなくてはいけない運命と、その後訪れるソーザイアの破局と、さらに何百年、何千年かの放浪を続け、魔界の扉が開けばまた次代のソーザイアを求めるという、自身の逃れようもない運命に対する、諦めと表裏一体となった覚悟の表情が読み取れた。


 (いいのか、いいのか?)


 そう思いつつも、歩みを止めることはできない。守護神が、祈りの姿勢を解いて立ち上がって、伊識の方に向き直る。

神が具現化した姿を見るのはもちろん初めてで、そんな特異な状況に放り込まれている中で、何をどう選択するかなど、思考をまとめることができない。でも。


 (それで・・・いい、わけが・・・。)


 神殿はそれほどの広さもない。なるべくゆっくり歩いたつもりだが、守護神とあっという間に半歩程度の距離で、対峙してしまう。


 (ないだろうがよ。)


 目の前の神は、近くで見てもやっぱり幼い少女の姿をしていた。伊識の半分ほどの身長しかなく、黙って伊識を見上げている。


 杖をついて、ひげボーボーで、白い服を着た老人の姿みたいなのを想像していた伊識はあまりにかけ離れたその姿にただボーっとなってしばらく見つめてしまい、ふと我に返って


 (・・・そうだ、最敬礼だ。)


 と思い出す。伊識はひざまずいて右手の拳を胸に当てる。


 (・・・こうだったっけ・・・?)


 ファノームが『違う、心臓に手を当てるんじゃない、鎖骨、鎖骨!』と、大仰にジェスチャーしてくる。


 (あ、そっか・・・。)


 伊識は拳を上方にずらして、鎖骨に拳を当てて、ひと呼吸置いてから、指を三本伸ばして肩にフワリと乗せた。


 守護神がやおら口を開く。


 「ヒイラギ、ニョクマム、イシル・・・・次代のソーザイア・・・・。」


 見た目通りの、舌足らずではあるが、やはりそこは神というべきか、どこか荘厳でありかつ無機質な声。だがそれよりもいきなり自分の名を、対の名まで含めてフルネームで言われたことの方に面食らう。


 (まあ、神ならば名乗らずとも俺の名くらいは知っているものか。)


 神に聞き返してはいけないとまでは言われていなかったと思うが、とりあえず黙っていることにした。


 「我が名はユールー・・・・緒帝ニョクマムの押さえし神殿の守護者。神の末席に座する罪せられし小さき者なり。」


 (ユールー・・・。)


 微凪のエレクシス史講義にも、その名は出てこなかったはずである。


 (まぁ、下級神の名前まではな・・・。)


 守護神は、スッ・・・っと、さも当たり前のように手を差し出し、伊識もごく自然にその手を取って、立ち上がる。


 神の体温とはいかほどのものかと思ったが、拍子抜けするほど人間の手と何ら変わりない、温かい手だった。


 (後編へ続く)


読了ありがとうございます。

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