第1話 憧れは恋心か
長かった学校の一日に終わりを告げるチャイムが鳴った。志波 勇人は一つ欠伸を消化してから、座席で背伸びをした後、席を立った。ちょうど夏至を通り過ぎてから日が長くなっていくように感じ、二階の窓から外に目をやると、時刻は四時頃になるのだが太陽はまだまだとばかりに燦々と光っていた
「勇人、一緒に帰ろ!」
本庄 咲良が背後から揚々と声を掛けてきた。夏だというのに血管も浮くような白い肌、艶やかな長い髪に、向日葵が咲くような笑顔が自然と人を引き寄せるくらいに魅力的だ
「今日、部活はないの?」と特に興味もなさそうに勇人は訊いた
「うん。今日はチサト先生、家庭訪問らしくて休みになった」
荷物取ってくるから少し待ってて、と言い残して、咲良は部室棟の方へ走っていった
咲良は一年生ながら水泳部のエースだ。水泳部三年生エースと勝負をして、エースの座を勝ち取ったと自慢げに話をしてきたのは、つい先日の話だった
やっぱりすごいな、と素直にそう思った
自分には出来もしないようなことを咲良は簡単にやってのけてしまう。昔からそうだった。咲良とは家が隣同士の幼なじみだ。小さい頃から、習い事を一緒にする機会があったのだが、ピアノだって、空手だって、何だって咲良は僕よりすごい
そんな咲良の凄さを目の当たりにする度に、自分には何も無いと悲観してしまう
だから、咲良とは同じ事はしないようにした
僕じゃなくて咲良が凄過ぎるのだ、と自分に言い聞かせれば、針を刺すような胸の痛みもいつしか忘れてしまった
部活動が開始され、快活な声がグラウンドを満たすようになっていた。すると廊下から、声が響いて聞こえた
「あっ、渡部くん。部活頑張れー!」
咲良の声だ
渡部は咲良の彼氏だ
咲良が渡部と一緒にいるのを見たり、聞いたりすると少し自分の心持ちに雲がかかる気がした。ただ当たり前だった僕の隣の女の子をかっさらわれた気になって、渡部と咲良が二人で笑いあっていたりすると、多少なりとも不愉快になる。もしこれを恋と呼ぶなら、その通りなのかも知れない
けれど、どうだってよいのだ
咲良は僕とはかけ離れた存在だ。僕が手の届かない遠い雲のような「恋愛」だってするさ、と思えば勇人はまたいつも通り痛みを忘れられた。なにより渡部と咲良の仲を崩すようなことをする意気地は、僕にはない
渡部はいい奴だ。サッカー部のキャプテンでみんなに慕われている。渡部なら任せられるな、と思う。なんて咲良の父親目線で思ったりする自分は何なんだと、ふと我に返った
「おまたせー、待った?」
咲良は水泳バックを肩にかけて、教室内に入って自席からスクールバックを手に取った
「三分ってとこかな、少し待ったよ」
「あらら、だから彼女出来ないんだよ。そこは定番、今来たところって返さなきゃね」
少し上目遣いでからかうように咲良はいう
「次からそうするよ」
「やっぱり勇人は素直だね、そーいうところは素敵だね」
うはは、と無邪気に咲良は笑う。人の気も知らないで、と怒ってやりたい。けれど、咲良の笑顔で全部かき消された
「じゃあ、帰ろっか」