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第三話 憎悪と復讐

 さっきゲートの前で分かれたはずのレイナと吉田の姿があった。

 逆さまに吊られて芋虫のように体をよじっている。逆さにされて頭に血が上っているのだろう。ふたりの顔は赤というのも恐ろしいほど赤い。

 もがくふたりと目が合った。

 なにか言っているようだが、アヤには全く聞こえない。


「どうしてそこに!? 古居さん! 大丈夫!?」


 目の前の鏡に手をついて、どんどんと叩く。

 が、鏡が割れてしまったらどうなるのか? と気づいて手を止めた。


「さ、サカイさん、これ、どういう……?」

「ねぇ、あなた、本当はこのふたりが嫌いでしょ? 殺してほしいと思わない? あなたが望むなら私がやってあげるわよ」

「だ、だめっ! やめて!! 殺してほしいなんて思ってないし。古居さんは大事な友だちだし、吉田さんは大事な友だちの彼だもの、やっぱり大事なの!」


 必死で叫ぶと、サカイさんの顔がねちょりと歪んだ。

 

「あら。嘘はいけないわ。嫌いでしょ? 嫌いでしょ? 嫌いよねぇ?」


 重ねて尋ねながらサカイさんの顔が、アヤに近づく。

 まるで薄いガラスを一枚隔てて向かい合うほど近い。


「ねぇ、嫌いでしょ?」

「ちが……」


 間近に迫ったサカイさんの顔は、すでに美少女の面影はない。落ちくぼんだ眼窩、緑とも茶ともつかぬ色に変色した肌。唇は醜く腫れ上がり、口の端からは黄色い膿のようなものが流れ出している。

 人が腐敗するとこんな風になるのかもしない。そんな姿だ。

 すがるように鏡についたアヤの手に、ぱんぱんに膨れたサカイさんの手が重ねられた。顔と同じ色に変色したその手には黒く腐った血のたまった血管が、細い網の目の筋を描いている。

 ガラス越し、いや、鏡越しだからその腐った手の感触も、腐臭もない。

 が、思わずアヤは手を引いた。


「ひあ……サ、サカイさ……おねが……っ」

「私ねぇ、嫌いよ。あなたも、この騒々しくて馬鹿な子たちも。みんなみぃんな嫌い」


 落ちくぼんだ眼窩の奥、まぶたも腐り落ちたのかむき出しの目が、アヤの目をのぞき込む。


「ねぇ、なんで私、あんな殺され方しなきゃいけなかったの? なんでこんなところに縛り付けられなきゃいけないの?」


 彼女の形相を見ていられず、アヤは視線を下へとそらしたが、今度は、ワンピースの裾からはみ出したながいものを目にしてしまった。

 形のよい両足の間で、ぶらぶらと揺れるそれは不格好で、一部はボコボコと柔らかい凹凸を描き、一部ではつるりと細長い。淡い光の中、黒ずんだそれらはぬめぬめと光っている。


 ――なに?


 そう思って凝視したが、次の瞬間それがなんであるかを悟り、喉の奥から嘔吐感がせり上がってきた。

 慌てて口元を抑え、吐きたいのをなんとかこらえた。


「狂った男に生きたままお腹を裂かれて、内臓を引きずり出されて……。ねぇ、私、そんなひどいことされるようなこと、した? ねぇ、ねぇ、ねぇ!!」


 アヤはただ無言で、ぎゅっと目をつぶった。今度こそ怖いものをなにも見ないように。


「逆さにされたの。顔に自分の血や臓物がかかる感触、わかる? どれだけおぞましいか、どれだけ怖いか、どれだけ気持ち悪いか、わかる? ねえ、わかる? ねぇ!!」


 アヤは勢いよくふるふると首を横に振った。

 そんな怖い目に遭いたくない。知りたくない。見たくない。だから、わからない。


「そう……そうよね。わからないわよね。ごめんね、変なこと聞いて」


 いままでの激高が嘘だったかのように、穏やかな声だった。

 落ち着きを取り戻した声につられて、アヤはそろそろと目を開けて鏡の中をのぞいた。

 元通り、美少女に戻ったサカイさんが、後ろで手をくみながら可愛らしい仕草で首をかしげた。


「わからなくても仕方ないわよね。だから、教えてあげる。よぉく見てて?」


 サカイさんはにたぁりと笑い、アヤに見せつけるように右腕を掲げた。


「これ、なぁーんだ?」


 きらりと銀色に光るものが握られていた。真新しいそれは硬質に輝き、薄汚れた廃墟に不釣り合いだ。


「メス……?」


 健康で病院とあまり縁がない生活を送っているが、テレビドラマや映画では何度も見かけている。

 

「当たりぃ。これで裂かれたノ。わぁたし、これで切られたノよォ? 痛かった、すごぉくイたくて叫んだわ。でもォあぁのクソ野郎は笑ってたァ」


 なにがおかしいのか、サカイさんはゲラゲラと、腹を抱えて笑った。

 固唾をのんで見守っていると、彼女はぴたりと笑いを納めた。途端、向こう側から勢いよく鏡に手をつく。


 バンッ!!


 激しい音に、アヤはびくりと飛び上がった。体をこわばらせる彼女をねめつけるように、サカイさんはゆっくりと視線を上げた。

 程なく、ふたりの視線が絡み合う――


「なんで私がこんな目に遭わないといけないの? なんで私なの? どうして他の人じゃないの? 痛い、痛い、痛イ、痛イ、いたイ、いたい、イタイ。私がこんな痛い目に遭ってるのに、世間の人は普通に生きてるのよ、馬鹿みたいなおしゃべりしたり、つまんない授業にあくびしたり、バイト先で走り回ったり。美味しいものを食べて、今日も一日つまんなかったなって眠るのよ! どうして? どうして!? ねぇ、どうしてよ!! だから私、全部呪うことにしたの。みぃんな呪うことにしたの。世の中の人が全員不幸せになったらいいのよ。私だけ不幸なのは不公平よ」


 一度始まった怨嗟は止まらない。耳を塞ぎたくても、腕すら動かない。

 ただ、震えながら彼女の告白を聞くしかできなかった。

 鏡の向こうでは相変わらず、レイナと吉田が蠢いているが、やはり彼女たちの声は届かない。長いこと逆さづりにされているせいか、ふたりの鼻からはタラタラと血があふれ、それが目に入り、額を汚し、ポタポタと床らしい場所へおちていく。

 このままでは危険だ。


「どぉこぉ見てるのぉ? そぉんなにお友だちが大事なんだァ? じゃ、こうしてあげるぅ」


 ぴょんと飛び退いたサカイさんが、右腕をすいっと振り下ろした。

 彼女の手の中にあった、銀色のメスがきれいな弧を描いてきらめいた。

 ぱっと血しぶきが散り、吉田の体が大きく揺らめいた。


「あらぁ、しっぱーい。じゃ、もう一回」


 銀の光がもう一閃。


「はぁい、うまくいきましたァ」


 弾んだサカイさんの声はアヤの耳に届かない。


「あ、……ああ、あ、う……よ、しださ……ん……」


 鏡の向こう、吉田は白目をむいて悶絶している。

 その顔にはピンクや紫色をしたものがまとわりつき、てらてらと生々しく、光を弾いている。


「どう? どう? 私の体験した痛みを、あなたの大切なお友だちに味わってもらったの。フフフ、大事なお友だちが苦しんでるのに、あなたは見てるしかできないのよ。辛い? 哀しい? 私が怖い? ねぇねぇねぇねえええええ?」


 アヤはサカイさんの声に答えることもできず、凄惨な光景ばかりが目につく。吉田はすでにもがく力も残っていないらしく、全身をピクピクと痙攣させている。

 その隣では、返り血を浴びたレイナがなんとか拘束から抜け出そうと、激しくあがいている。

 激しすぎて、隣の吉田の体にもぶつかるが、そんなことは構っていられないらしい。  涙と鼻血を飛び散らしながら、サカイさんとアヤを交互に見やり、なにかを叫んでいる。 口の動きや表情から、おそらく悪態と罵声と命乞いを交互に吐いているのだろうが、鏡のこちらにいるアヤにはどうすることもできない。


「あぁあ、もう、うるさいなぁ。ねね、あなたのお友だち、すごぉぅくうるさくて嫌いだわぁ。もうちょっと遊ぶつもりだったけど……やっちゃお」


 語尾に音符マークか、ハートマークがつきそうな軽い口調で言うと、サカイさんは血に濡れた右腕をまた振り下ろした。


「あぁら、私、すごいわぁ。服だけきれいに切れたぁ」


 サカイさんの言うとおり、レイナの体には傷一つついていない。一直線に裂かれた衣服の間から、白い肌がのぞいている。

 形のよい腹が、胸が、上下に大きく動いているのが遠くからでも見て取れた。いまにも彼女の荒い息が聞こえてきそうだ。

 じっとりと冷や汗をかきつややかに光る白い肌を、死人色の指がつつ、と撫でた。


「きれいな色の、きれいな肌ね。フフ、私もこんな肌してたのよ」


 サカイさんの指をよけようと、レイナは陸に上げられた魚のように跳ねた。が、そのくらいでは抵抗にもならない。


「お腹の中はァ、私と同じ色かなァアア?」


 レイナの下腹に、銀色の刃が突き立った。

 サカイさんはそれを十センチほど下へ向かって滑らせる。

 と、赤々しい傷口から、プツッと赤い玉しずくが溢れ、ダラダラと流れ落ちはじめる。 白い肌に赤い筋が一筋、胸の膨らみを這い、首筋を舐め、頬からこめかみ、髪を濡らして落ちる。

 レイナの抵抗が一段と激しくなり、それがよほどおかしいのか、サカイさんはケタケタと笑い声をあげた。


「あ……ふる、い……さんっ……あ、も、やめて……」

「だぁめぇ、やめなァーい。もっともぉっと苦しんでぇ? 苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで私の痛みをわかってくれなきゃア、ユルさなァい」


 そう言ってまたメスを十センチほど滑らせた。

 レイナは口をパクパクと開け閉めし、こぼれるほどに目を見開いている。


「あははっ。大丈夫。このぐらいじゃ死なないからァ。もっともっと遊べるわ」

「だ、だめ、人を……殺したら……ダメ。だ、だから、古居さんとっ、吉田さんを……助」

「嫌よ。人を殺したらダメ? ならなんで私は殺されたの? 私は殺されたの、殺された、殺された殺された殺された殺された、あんなクソ男に殺された。誰も助けてくれなかった助けてくれなかったのよ、あんなに助けてって言ったのに!!」


 腹につき立っていたメスを、彼女は一気に引き下ろした。

 途端、腹圧も手伝ってか、どろりとはらわたが飛び出した。

 ずるずるという音が聞こえそうな態で臓物は白い肌を滑り落ち、レイナの頬を撫でた。


「あははははァ! そうよ、そうよ、みんなこうなればいいのよ。痛いって泣いて泣いて泣いて啼いて啼いて啼いて? 命乞いをシてシてシてシて、うつろな目で。ああ、楽しいわァ、あははあははあははははあアアアアアアアアアアアアあっ」


 高笑いをする傍ら、レイナの見開かれた目からどんどんと生気が消えてゆく。

 隣の吉田の体はもうピクリとも動かない。


「ねぇ、悲しい? 友だちが死んで悲しい? ねぇねぇねぇねぇ、友だちのお腹の中を見た気持ちはどう? きれい? 気持ち悪い? それとももっと違う感想? あああああああああああああああああああああああははははははははは」

「あ……あ……あ…………」


 いまにも膝から崩れ落ちそうだった。

 次は自分が、ふたりと同じ目に遭うかもしれない。

 だって、サカイさんはすべての人を憎んでいるのだから。


  ――逃げないと!


 ようやくそのことに思い至った。

 逃げて、逃げて、警察に知らせないと。

 アヤは鏡から一歩遠ざかった。


「アらぁ、逃げるゥの? 友だちをおいて? あらあらあら、薄情ね。でも、いいわぁ、逃がしてあげるゥ。あなたは一生苦しむのよぉ。友だちを見捨てて逃げたこと、ひとりだけ助かったこと。ずっとずっとずぅううっとォ、後悔するのヨォ」


 離しがたい視線を無理矢理引き剥がして、アヤはかけだした。

 すぐそこにあるはずの出口を目指して。


「一生苦しんでェ、後悔してェ、あはははははっ。きっと辛いわよォ、苦しいわァ、苦しくて苦しくて苦しくて苦しくてきっとあなたはもがくの、悪夢も見るわ、いぃっぱい見るわ死にたくなルくらい後悔して後悔して後悔すルの、はははっ、はあははははははははははっ、ああああははははっ」


 高笑いを振り切り、薄明かりの入るホールを駆け抜けた。

 外にまろび出れば、あっけらかんと明るい日ざし。

 むっとする湿った空気、死んだように横たわる廃墟廃墟廃墟の群れ。

 それらを一目散に駆け抜けて、薄く開いたゲートをくぐり、まるで追いかけてくるなにかを遮るかのように、ゲートを元に戻す。

 錆び付いたそれは、嫌なきしみを上げて閉まった。

 と、アヤはその場にずるずると座り込んだ。


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