第一話 メインゲート前
裏野ドリームランド
錆びたゲートの上にかかった看板には、そう書かれているはずだ。
だが、廃園になりメンテナンスもされないせいで文字は色あせ、読めないほどに白んでいる。
鉄柵に沿って作られた植え込みはもはや見る影もなく、勢いよくぼうぼうと伸びた雑草が、やや傾きはじめた午後の日差しにてらてらと光っている。
風はなく、草の蒸れる匂いがあたりに立ちこめていて、ひどく息苦しい。
鉄柵の向こうには、ひび割れ、あちこちから雑草が顔を出しているアスファルトと、半ば朽ちたアトラクションの姿が見える。
当然、動いているものはひとつもない。
往時は人と嬌声で賑わっていたのだろうが、いまはしんと静まりかえり、どこかで遠くから聞こえるアブラゼミの鳴き声だけが騒々しい。
――まるで白昼に見る悪夢のようだ。
目の前の光景をじっと眺めながら、アヤはそんなことを思った。
彼女の感じたのはあながち的外れでもない。
なぜなら、この廃墟、裏野ドリームランド跡には怖い噂がたくさんあるのだから。
「じゃ、アヤ、よろしくぅ~」
日原綾をここに呼び出した古居玲奈がクスクスと笑いながら、振り向いた。
妙に間延びした語尾が耳につく。
彼女が動くたび、茶色に染めた髪の下からピアスがのぞく。
染髪もピアスも校則違反だが、誰も彼女に注意したりしない。言うだけ無駄どころか、彼女のいじめの標的になってしまう。
教師もまたしかり。レイナの父は学校に巨額な寄付をしてくれるのだ。有力なスポンサーの機嫌を損ねてはならないとばかりに、見て見ぬふりをする。
「う、うん……行ってくる、ね」
アヤは、元は白く塗られていたであろうゲートを押し開けた。赤黒く錆び付いたそれは日差しに照らされて熱く焼けていた。
ゲートの鍵はとうの昔に壊され、代わりにつけられたはずの南京錠も切断されチェーンとともに足下に転がっている。無造作に放置されたチェーンはまるで蛇の亡骸のようだ。
「あー、クッソあちい。おい、おまえ。早く帰って来いよ。俺とレイナを待たせんじゃねぇぞ」
「あ、は、はい。急いで行ってきます……」
不機嫌そうな声でアヤを追い立てるのは、レイナと付き合っている吉田という男で、親の金で遊びほうけ、派手な車を乗り回している男で、地元ではいささか有名な人物だ。
レイナの細い腰を抱き寄せながら、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべてアヤを見ている。
出ると噂の廃墟に、ひとりで入らねばならないアヤの、恐怖に青ざめた顔がよほど面白いらしい。
一方、腰を抱かれているほうのレイナも同じような笑みを浮かべている。
レイナと吉田は人をいびることに喜びを覚える質で、非常によく似ている。ふたりがつるんでいるのを見かけると、みなそそくさと姿を隠すほどに、悪巧みばかりしている。
そんな人物を野放しにしていいのかと言う話だが、ふたりの親が地元の有力者なのがいけない。おいそれと手をだせないのだ。
「アヤ、くれぐれもよろしくね。私の大事なブレスレット、必ず見つけてね」
「う、うん。頑張るね。……ミラーハウスで落としたんだよね?」
「そうそう、ミラーハウス」
レイナは、つけまつげやアイラインでくっきりと縁取られた大きな目に喜色を浮かべて頷いた。
「どの辺だか、覚えてる? 入り口付近だとか、奥の方だとか」
「そんなの覚えてるわけないじゃん。この前は暗かったしぃ?」
ミラーハウスは方向感覚を狂わせて、その不安を楽しむアトラクションだ。確かにレイナの言うとおり、どこで落としたかわからなくても仕方ないと、アヤは思った。
「オラ、うだうだ言ってねぇで行ってこいよ! 早くっ!!」
暑さにいらついたらしい吉田の罵声にアヤは飛び上がり、慌ててゲートの隙間に身を滑らせた。
瞬間、耳鳴りのような圧迫感を感じたが、それは瞬く間に消えた。
「おい、レイナ。さっさと車、戻ろーぜ」
「そぉねぇ、行こっかあ~」
「どーせ、しばらくかかんだろ。ガンガンに冷房つけて……なぁ?」
「ちょ、やーだぁ。なに考えてんのぉ~? エッチぃ」
そんなやりとりを背中に聞きながら、アヤは小さなため息をついた。
アヤの背よりも大きい園内地図は、入り口の看板と同じにひどく色あせており、また所々塗料が剥げ落ちて赤錆をのぞかせていたが、どうにかミラーハウスの位置は確認できた。
中央ゲート――いまアヤが入ってきたところだ――の正面にそびえるのがドリームキャッスル。西洋の城を模したそれは、比較的在りし日の姿をとどめているが、薄汚れた外観が否応なしに凋落を見せつける。
ゲート前の広場の真ん中に立ち左手に目をやれば……そこに目当てのミラーハウスらしき建物が見えた。
「あれね。急いで探さないと。暗くなったら困るし」
アヤは独りごちて足早に歩き出した。
捜し物は、レイナの落としたブレスレット。どうやら数日前の晩、肝試しにやってきた際、ミラーハウスあたりで落としたというのだ。
「私も運が悪いなぁ。まさか、古居さんたちに捕まっちゃうなんて」
独り言が次から次に出てくるのは恐怖心を紛らわすためか。
アヤの首筋をつぅ、と汗がしたたり落ち、制服のブラウスを濡らした。
「早く帰ってシャワー浴びたい……」
すでに夏休みに入っていたが、彼女は、所属する文芸部が秋の文化祭で発行する部誌の編集作業のために登校していたのだ。
昼過ぎに区切りがつき下校したところ、運悪くクラスメートのレイナに捕まってしまったのだ。
そうしてもっと運の悪いことに、廃墟に落としたものを拾ってこいと『お願い』されてしまった。
逆らえばどんな嫌がらせを受けるかわからない。
おとなしいアヤはそれでなくても標的になりやすかったし、快く請け合うしかなかったのだ。
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車内のエアコンは轟々と音を立て冷たい風を吐き出している。
「なー、レイナ。この前の肝試しで落とし物したとか、あれ嘘だろ」
ひんやりと冷えたハンドルにもたれながら、吉田は気のない口調で助手席のレイナに尋ねた。
「あー……バレた?」
「おまえ、ヤなやつだなー。こーんな暑い中、とりにいかされてよぉ、あの子がかわいそうだと思わねぇの?」
かわいそうという割に、彼の目に浮かんでいるのはサディスティックな光だ。
「は? かわいそう? なに言ってんのぉ?」
レイナは独特の間延びした口調で答え、ケラケラと笑った。
笑いすぎて乱れた髪を手でなでつけて、運転席の吉田に向き直った。
「私、すーっごい友達思いだよぉ? ねね、ミラーハウスの噂知ってるでしょ?」
「んー? あー、あれか。ミラーハウスに入ると性格が別人みたいに変わっちまうってやつ。中身がそっくり入れ替わったみてぇだとか……」
「あいつ、すげえ暗いじゃん? 中身入れ替わったらさぁ、少しは明るくなんじゃね? ああ、あたし、なんて友だち思いなんだろ」
自画自賛するレイナの口元には嫌な笑みが広がっている。
ありもしないブレスレットを必死で探すアヤの姿を浮かべると楽しくて仕方ないのだ。実際にその姿を見られたらもっと愉快だろうが、暑い中、そんな労力は使いたくない。
涼しい車内で待って、日が暮れた頃、悄然とした姿で戻ってくるアヤを見るだけでも、胸はすっとするだろう。
想像すればするほど、口の笑みは深くつり上がる。
「あー……、そっすか」
「ええーっ、なにその適当な返事ぃ。ひどくなーい?」
「見つかんなかったら、弁償しろとか言って金まき上げるつもりだろ。なにが友だち思いだよ。悪いやつだなー。ま、そーゆーとこが可愛いんだけど」
「やだぁ、可愛いとか当然のこと言わないでよぉ」
きゃはは、と甲高く笑うレイナの声に、吉田の低い笑い声も重なる。
同じ嗜好を持つもの同士、弱者をいたぶる心地よさにふたりは異常なほど上機嫌だ。
――帰ってきたら、なんて言って遊んでやろう?
ふたりは同じことを思っていた。
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※本日中に完結いたします。
【投稿予定時間】
第二話 21時
第三話 22時
最終話 23時