自己紹介
俺たちは入り口から離れて店の中央に戻っていく。
「まずは今の状況なんだが」
「状況って言っても外はゾンビでいっぱいだよ……」
「籠城するにも今なにがあるかを知っておかなければな」
「ちょっと、籠城とか縁起でもない。籠城戦は外部からの援軍が期待できて初めて意味があるものでしょ」
俺と神月の会話に店の奥からヒステリックな声が割り込んできた。
「期待してもいいだろう。この国には警察も自衛隊もいるんだ。こんな大事件がそのままほったらかしになっていること自体あり得ねえって」
奥から出てきたのは金色に近い茶髪のショートカット。
右耳だけにピアスが光る。
どこかの高校の制服だろうか。グレーのブレザーを着た女の子だ。
「どうだか。その戦力も機能していればいいわね。私も見ていたけど、警察官だってあのザマ」
「んだとこのアマっ!」
「よしなよ鉄心!」
神月が俺にしがみついた。
俺が本気になれば神月のような体重だけのオタメガネなんかには力負けすることはないんだが、深呼吸して冷静になる。
「鋼流健康体操零の型。手のひらを上に腕を真横に広げて大きく息をぉ、吸ってぇ……吐くぅ。ゆっくりぃ……」
大深呼吸離。整理運動の一つで気を落ち着かせることもできる。
「ふーっ。だいたいあんた誰なんだ。えらそうに言うだけのことはあるんだろうな」
「ふん、人に名前を尋ねる時はまず自分からって言うでしょ」
金髪ショートが言い放つ。
なっ、こいつ。よくある定番のセリフだけど、マジで言われると超ムカつく。
「……俺は鋼鉄心。南条高三年だ」
「僕は神月って言います。鉄心と同じ南条高三年です」
「なにあんたら南条高ってあの進学校の……ちっ、私は江楠。江楠牧奈。北工業高二年よ」
「なんだお前年下かよ。生意気だな」
「こんな時に年上も年下もないでしょ。見識が狭いやつね」
いちいち言葉の端々に棘がある。嫌な女だ。
「江楠さん、北工業っていうことは機械に強かったりする?」
「えっと神月さん、だっけ? そう学校で判断されても困りますけど。まあ嫌いじゃないです」
お前だって南条高のことを進学校とかなんとかでひとくくりにしてたくせに。
「テーブルで寝ているのは俺たちのクラスメイトの鈴本有希音。そこのエプロン姿はこの店のマスター。確か刈谷さん」
マスターのおっちゃんがうなずく。
大柄でがたいのいい男だ。
「マスターの刈谷です」
「あとの人は?」
さっき勝手口から入ってきた男たちが前に出る。
「私は相田。IT関係の仕事をしてる。さっきは助かったよ。ありがとう」
年の頃は三〇歳くらいか。黒系のスーツを着ていてサラリーマン風。中肉中背だけど不健康そうな色白なやつ。薄いあごひげが特徴的。
「重森です。いったいなにが起こったのかわからないんだけど、ありゃあなんなんだいな。
なあ学生さん、あんたは知らんかね」
ワイシャツに綿パン姿で、脂ぎった中年オヤジというのがぴったりの見かけのイメージそのままに、がさつな感じのする腹の出たおっさん。
「いや、俺もよくわかってないんだ。これからどうしたらいいかも大人がいるなら相談したいよ」
「そんなこと言われてもおじさんも困るよう。頼られるのは苦手なんだから」
確かに頼りがいが無いなこのメタボオヤジは。調子だけはいいけど中身は空っぽだ。
それともそう見せている狸オヤジなのか。
「奥にいる君は?」
奥の暗がりからゆっくり立ち上がってきた髪の長い。
「鋼……」
「お前、は。宮野? 宮野か」
「覚えていてくれたんだ」
覚えているもなにも。
背中まで届く長い黒髪。綺麗にそろえられた前髪と邪魔にならないようにとまとめられたカチューシャ。
生徒会長とかそういう感じのする落ち着いた雰囲気の優等生然とした物腰。
「鉄心、知り合い?」
「あ、ああ。中学の時に同じ部活だった宮野だ。今は別々の高校になったけどな。
あれは宮野まだやってんのか?」
「うん、高校でも続けてるよ押し花。同好会があったからね」
宮野とは中学の自然観察部で一緒だった。
自然観察部は動植物の観察や環境保護をやるっていうのがお題目だけど、実際は幽霊部員の吹き溜まり。
実際の活動はせいぜい押し花でしおりを作るくらいだ。
その中でも真面目な宮野は草花が好きだったから、園芸部や文学部の連中と共同で活動していたんだったっけ。
そして俺が初めて異性として意識した相手。
道場の息子として脳筋な生活を送っていた俺には高嶺の花だった。
そのくせ自分の気持ちに気付かず、告白すら考えもしなかった。
「今はプリザーブドフラワーもやったりするんだよ」
「ぷ、ぷりなんだって?」
「プリザーブドフラワー。ドライフラワーみたいなやつよ」
「へ、へえ。そりゃすげえな」
よく解らんから適当にあいづちを打っておく。
見ると宮野に隠れるようにして縮こまっている女の子がいた。
宮野のシャツをきゅっと握っている。
「その子は?」
「亜美ちゃん。地元の中学生みたい」
「知り合いなのか?」
「ううん、ここのお店でたまたま」
つんけんしている江楠なんかより清楚で真面目そうなお嬢様気質の宮野の方が、この子としても頼りたい相手だったんだろう。
短めの三つ編みをして花柄のワンピースを着ていた。
この間まで小学生だったんだ。制服を着ていなけりゃ高校生の俺たちよりずっと子供に見える。
「大丈夫、心配すんなよ」
俺はかがんで亜美の頭をなでる。
「気安く触んな」
「なっ!」
それだけ言うと亜美は宮野の陰に隠れる。
なんだこのムカつくガキは。
江楠とはまた別の嫌なやつだな。
「あれ、その手」
亜美は左手にハンカチを巻いていた。
「亜美ちゃんね、クラスの子とケンカしたらしくてさ、その時に噛みつかれちゃったんだって」
「噛みつかれた……」
一瞬、言葉に詰まる。
「子供じゃないんだから、中学生にもなって噛みつくなんてねえ」
「だ、だよな」
噛まれた。そいつがゾンビかどうかなんか判らないが。
「普段はそんなに攻撃的なこのとはしない子だったのに……」
「そ、そうか。えっと、じゃあ、お大事にな」
やっぱり俺のボキャブラリーの無さに困る。
さてと。見たところ生きている人間でこの場にいるのはこれくらいか。
急いでやらなきゃならないことは済んだだろうか。
だとすれば次は情報だな。