縫合
店内に戻ってきた。
勝手口から入ってきた男二人を連れて。
シャッターを閉めたせいで薄暗いが、知らない人たちが数人いるのは判った。
「神月、有希音の様子はどうだ」
テーブルの上に乗せたままの有希音を見る。
有希音が口を開く。
「あ……。鋼くん。ここは……」
「有希音、ここは俺がよく来るカレー屋だ。お前は大丈夫か」
そう聞いて自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。
大丈夫なわけないだろ。
「うん、なんとか。私、急に津川君が抱きついてきて……押しのけたんだけど、腕を」
津川のやつはどうでもいい。
そこから先は俺たちも見ている。
とにかく有希音の治療を優先させないと。
「鋼くん、痛い……。痛いよ」
出血が多かったせいか、あれだけの傷なのに痛みを訴える声に力が無い。
そうとう弱っているというのか。
「悪いな、痛がっているところに追い打ちをかけるようだけどこれから腕の傷を治療する。
かなり痛いと思う。
一応さっき飲んでもらったのは多少強めの痛み止めだ。少しは楽になるぞ」
さっき神月に頼んで飲ませたやつだ。
痛み止めとはいっても薬屋で薬剤師とかがいないと買えない強いやつで、解熱にも効果がある。
神月が飲ませてから少し経つ。そろそろ効果が出てくるだろう。
とはいえ麻酔程じゃない。
悪いが本当に気休めにしかならないと思う。
有希音の顔を見るとほこりにまみれて汚れていて、涙の痕だけがくっきりと残っていた。
俺は手を洗って店にあったアルコールジェルで消毒する。
「神月、押さえていてくれ」
神月は黙ってうなずくと、有希音の両足に覆いかぶさった。
傷のある右手はテーブルに縛り付けて、上半身はカレー屋のおやっさんに押さえてもらっている。
「我慢しなくていい。気を失った方が楽だ」
俺は丸めたおしぼりをマウスピース代わりにして有希音の口に入れる。
「いくぞ」
色気も素っ気もないセリフを事務的に伝えると、傷口を押さえていたタオルをはがす。じくじくと血がにじみ出てきた。
バケツからビールジョッキで水を汲み、腕の傷口にかける。
むき出しの肉に水が当たり、流れ落ちた水は赤い色に染まっていた。
「むぐぅっ! んんっ! んー!」
有希音のうめき声を無視する。
身体がテーブルの上で跳ね上がりそうになるが、神月とおやっさんが乗っかっているからそれもできない。
付着していた汚れを洗い流し、スプレー式の消毒液を吹き付ける。
「んんーっ! んー!」
「踏ん張れ! 奥歯を噛み締めろ!」
おしぼりを突っ込んでいるから、力いっぱい噛み締めても歯が欠けたりすることはないはずだ。
痛みに耐えかねて身体が弾けるようにテーブルの上で暴れる。
「そこのお前ら、押さえるの手伝えよ!」
奥にいた男たちに声をかける。
サラリーマン風のスーツのやつと、ワイシャツ姿のメタボオヤジが慌ててやってくる。
「ど、どうしよう……」
「あんたは頭を。テーブルに打ち付けないように! そっちのあんたは脚だ! 神月と一緒に押さえてろ!」
暴れる有希音を男たちが押さえ込む。
その間に俺は傷口を洗浄した。
「よし。あらかた汚れは取れた。皮膚を多少持っていかれているけどこの出血だと動脈までは言っていなさそうだし、一旦縫合した方がいい。いいな?」
たとえ痛みのために聞こえていないとしても、俺は有希音に言わずにはいられなかった。
持ってきてもらった裁縫道具を手にする。
「見ない方がいいぞ」
あふれる涙をそのままに、目で訴えかけてくる有希音に答える。
有希音は観念したかのように目をぎゅっと閉じた。
傷口を寄せて指で押さえる。
「んぐぅっ!」
傷口をじかに触っているんだ。痛くないわけがない。
有希音のうめきごえを聞かないふりをして、つまんだ皮膚に針を入れる。
ぷつりと針が有希音の腕を突き刺していく。布と違って厚みのある人の皮だ。針で刺すにも力がいる。
ゆっくりと、でも確実に皮を貫通させた。
一刺しごとに発せられる有希音のうめき声に俺の胸は苦しくなる。
それでも俺は続けていく。
針の通ったところから血がじわりとにじんでくる。
白い糸がすぐに赤くなってきた。
針の時はそうでもないが、糸を引く時は皮の抵抗が指先へと伝わる。
「んんっ! ん……」
有希音は白目をむいて意識を失う。全身から力が抜けたからそれが判る。
「鉄心、有希音ちゃんが!」
「神月落ち着け。気を失っただけだ」
有希音の腕を縫いながら横目で有希音の胸元を見て、その大きな胸が浅く上下に動いていることを確認する。
自発呼吸はしている。大丈夫だ。
有希音が気を失ったところでこわばりがなくなったから少しは楽に縫えるようになった。
刺しては引き、また刺す。
針は重く、糸は引っかかる感じが続く。
波縫いなんかしたのは中学の時の家庭科実習以来だったかな。
まさかクラスメイトの腕を縫うことになるとは思っていなかった。
「鉄心……どうしたの」
「何がだ?」
「よだれ……?」
なっ。知らない内に俺の口からよだれが垂れていた。
なんでだ? 意味がわからねえ。
「な、なんでもねえよ。真剣にやってたから口元が緩んだんじゃねえか? こんなの初めてだからさ」
「そう、だよね。ごめん、大変な事やらせちゃって」
「いいって。道場やってれば傷なんてしょっちゅうだし。つっても、こんなひでえのはなかったけどさ」
「そうだよね」
無駄口を叩きながらも有希音の縫合は進んでいった。
「ふう」
最後に糸を結んで余分なところをハサミで切る。
新しいガーゼを傷口に当てて包帯を巻く。腕を縛っていたベルトを緩めた時に少し血がにじんできたけどそれ以上は広がらなかった。
「感染症が怖いから抗生物質がいるだろうけど」
「鉄心ちゃん、悪いけどうちにはそんな薬無いよ」
「別におっさんが謝ることじゃないって。確かこの店の向かいの何件か隣に薬局があっただろ」
「薬丸調剤さんだな。そこにならあると思う。処方箋受け付けとかやっているし」
そうか。
今すぐじゃないにしても、薬はあった方がいいだろう。
次のターゲットは薬局だ。