勝手口
カレー屋は三階建ての小さなビルで、一階が店舗になっていて二階と三階が自宅になっている。
入り口は店舗側と、裏手に勝手口。
「しまった!」
「どうしたの鉄心」
「裏口だ、チェックしていなかった」
「僕も行くよ」
「いや、有希音を見ていてくれ。熱がすごいから解熱剤、頭痛薬でもいい。飲ませてやってくれ」
それだけ言うと俺は勝手口に走る。
キッチンの裏手を曲がったところに勝手口のドアが。
それは開け放たれていて、その手前でどこかの中年女性がうずくまっていた。
「おばさん、どうした? 大丈夫か」
声をかけられた女性が俺の方に振り向く。
両手で何かを口に運んでいる様子で、手も口も真っ赤に。
その下には被害者となっただろう男の人のパーツが転がっていた。
「人を……喰ってる」
「ブグワア、ガアァッ!」
真っ赤な口を開いて俺へ向かってくる。
不意を突かれた俺は、足元の血だまりに滑ってしまった。
そこへ。
「ちっ、上に乗られた……」
ゾンビは俺の上にのしかかってうなりを上げながら噛みつこうとする。
こいつもか、すごい力だ。単なるおばさんのパワーじゃねえ。
俺の顔すれすれでガチリと歯が鳴った。
俺はゾンビの額に手を当て頭部をわしづかみにする。アイアンクローをかました形だ。
「くっそ、左手が」
逆に左腕はゾンビに乗っかられて動きがとれない。
アイアンクローを離せば俺に噛みついてくることはわかりきったことだ。
「だがな、そっちの武器は俺にだってあるんだぜ!」
ゾンビの顔が俺に近づいてくる。
よだれが俺の頬に落ちる。
そのタイミングで俺はゾンビの首筋に噛みついた。
噛んだそばからどろりとした液体が顔にかかる。
クッソまずい。腐ったレバ刺しみたいな味がするぜ。
俺はさらに深く噛み付き、首を振って筋を切る。
やっぱりだ。あの変な甘ったるい匂い。
レバーのような味に混じって、それとは別の。
ゾンビの血? 津川の時とおんなじ、絡みつくような味が喉を通過した。
ゾンビの力が一瞬弱まる。
左腕を引き抜くと、仰向けに倒れたまま手近にあった消火器をつかみゾンビの頭にぶち当てる。
「くそっ、このっ!」
二回、三回と打ち付けていると、ようやくゾンビは動きを止めた。
「まじいな……」
今の音を聞きつけたのか、外から数人こちらに向かってくるのが見える。
ドアは内側に開くタイプで、ドアを閉めて内側から押さえれば開かなくなるのだが。
俺は動かなくなったゾンビをどかして勝手口のドアを閉めようとする。
「引っかかって、う、動かねえ……」
ドアと床の隙間にゾンビの足が挟まっていた。
「引き抜かないと……」
力を入れてゾンビの足を引き抜こうとする。
外からは人影が迫ってきて、中には走っているやつもいる。
「くっそ、抜けねえ!」
ドアに足をかけてゾンビの太ももを抱え、体重をかけて引っ張る。
「待って、待ってくれえ!」
「お、俺たちも入れてくれっ!」
外から駆けてくるやつらが声を上げる。
髪を振り乱して走るそいつらは、後ろにゾンビの群れを引き連れてきていた。
「しゃあねえ」
俺はそう吐き捨てると、ドアの向こう側にあるゾンビの足を消火器で潰し始めた。
本当は斧でもあれば切り落としてしまいたいんだが。
赤黒い血が飛び出し徐々に骨の形が崩れていき、ドアの下の隙間から通れるようにする。
「早くしろ、閉めるぞ!」
ドアからゾンビの足を引き抜くことに成功した俺は、駆け込んでくる二人が勝手口から入ってくると同時にドアを閉めようとする。
「グガア!」
外から来たゾンビどもが閉まる寸前のドアに手を差し込んできた。
「ちくしょう、なんて力だ! おいおまえら、へたってないで閉めるのを手伝えよ!」
肩で息をしている二人は、荒い息のままショルダータックルのようにしてドアへ寄りかかる。
ドアの隙間からゾンビどもの指が飛び出す。
その指が俺の肩を引っかこうとする。
「行くぞ、押しきれ! せえのっ!」
バアンと物を打ち付けるような大きな音がしてドアが閉まる。
ドアに挟まれて切り落とされたゾンビの指が床に落ちた。
入ってきた男の一人がドアの鍵をかける。
俺はロッカーを倒してドアが簡単に開かないように抑えた。
「ふう、助かったよ」
男たちが安堵の声を漏らす。
「この女性は?」
男は頭部を潰されたおばさんゾンビをあごで示す。
「ゾンビ化してたんでな、俺が倒した」
「君が?」
「ああ」
俺は転がった消火器を元の場所に片付けながら答えた。
「いいか、俺はこれから本気出す」