はい寄る者
「どうした、江楠」
俺は階段の下にガリチビゾンビを放置して江楠の方へ向かう。
壁に備え付けられた照明のスイッチのところで呆然と立ちつくしている江楠。
それをかばうように俺が江楠の前に立ちふさがる。
「なんだ、なにがあった!」
特に辺りにはおかしい点が見当たらない。
あるとすれば今床を横切ったネズミくらいだ。
「ネ……ネズミっ、嫌い……」
江楠が俺の背中にしがみつく。シャツをつかんだ手が小刻みに震える。
かすかに嗚咽が聞こえる。
鼻水は付けんなよ。
「なんだネズミなんかが怖いのか」
近くにあった箒をつかんでちょろちょろするネズミを追い払う。
「普段ならなにかと突っかかってくる江楠も、怖いもんがあったんだな」
「いいから追い払ってよぉ……ばかぁ!」
背後から涙声でぐずる江楠。
「いつもこんなだったら、かわいいかも知れねえのにな。なあ神月」
階段の方を見ると、グラサンゾンビの背中に捕まって震えている神月がいた。
「ぼ、僕もネズミはダメなんだ……。食べ物屋でネズミが出るなんて……ひぃっ!」
おいおい、こいつもかよ。
確かに食中毒でもおきれば保健所ものかもしれないけどさ。
俺はネズミよりゴキブリの方が苦手かもしれないな。
ゴキブリは一匹見たら三〇匹はいると思え、なんていうけどさ、全部足して三〇匹なのか三一匹なのか、それに二匹目には三〇の呪いはかからないのか。
もう考えるだけであの黒くてテラテラしたのが増殖してくるようで……。
そんな妄想のゴキブリより現実のネズミだ。
チュウチュウと鳴きながら走り回るネズミを追い立てる。
箒で叩いて仕留めればこっちのもんだけど。
「捕まえるか追いやるかするから、お前たちは階段のところで待ってろよ」
「うん、頼むよ鉄心……」
「早くしてよぉ!」
やれやれ。こんなところでネズミ捕りをする羽目になるとはね。
見たところ一匹っぽいし、積まれた段ボールばかりだからあまり隠れるようなところも無さそうだ。
端っこに追いやって、空いた段ボールの箱にでも詰めてやればっと。
「それそれ、この角に行ったぞ。後は箱で行き止まりになってるところだから……」
神月たちが怖がらないように実況しながらネズミを追いかける。
暗い倉庫の隅。この段ボールの角を曲がれば。
屈んで進む俺の目の前に、誰かの手がかする。
手?
神月たちは階段のところだから後ろだ。
地下には誰もいなかったはず。そう、有希音が食い千切って殺したヒゲダルマ……。そのヒゲダルマが真っ白に濁った瞳をこっちに向けて俺の腕をつかんでいた。
「くそっ、ゾンビ化かっ!」
有希音に腹を食い破られて腹の肉はごっそり無くなっていた。
だからだろう。立ち上がるには背骨だけでは支えられなくて、匍匐前進みたいにして這いずり回っていたんだ。
鼻につくのは血の匂い。鉄臭い独特な匂いだ。
暗いとはいえ、よく見れば床には這いずり回った赤黒い血の跡がうっすらと見えた。
だいぶ乾いていたせいか、床のタイルにはそれほど付いていなかったが。
「注意してたら判っていたろうに!」
自分を罵倒する。
後悔しても仕方がない。
腕をつかむヒゲダルマゾンビが俺に噛みつこうと口を近づけてくる。
「喰われるかよっ!」
アドレナリンが放出されて興奮状態になる。
力がみなぎる感じってやつだ。
俺はつかまれた右腕を引っ張り、逆にゾンビをこちらに引き込む。
左手でお決まりのアイアンクロー。
親指と小指がゾンビのこめかみに納まって締め付ける。
俺の利き手は右だけど、左でも十分ゾンビを止めるくらいの握力が出た。
「どっせい!」
ゾンビは俺の右腕をつかみ、俺は左手でゾンビの頭を鷲づかみにしたそのままの体制で立ち上がろうとする。
太ももの筋肉がミシミシと音を立てて膨らむ。
「ぬぐぐ……」
手に脚に力を入れて、なんとか上体を起こす。
自分でもなんでこんなパワーが出るのかは不思議だが、できるんだからまあよしとしよう。
ゾンビの身体ごと持ち上げると、下半身の重さに耐えられなかったゾンビの背骨が外れた。
背骨の途中で支える軟骨が下半身の引っ張る力に負けた感じだ。
血で赤黒く染まった骨の中、骨髄がプルリと垂れ下がっていた。
「フガッ、ンガ」
「こんな姿になってもまだ俺が喰いたいか?」
返事なんて当然期待なんかしていない。右手でフガフガいうゾンビの手を逆につかみ返すと、その腕ごと引き抜く。
ブチブチとゴムホースを力技で引き千切ったような音がして、まだ身体の中に溜まっていた血液が床に落ちる。
引っこ抜いたゾンビの左腕を後ろへ放り投げ、アガアガ言っているゾンビの口の中へ手を突き入れた。
「お前が喰う前に、食えなくしてやるよ」
俺は左手でこめかみをつかみ、右手で下顎にひっかけた。
そして一気に顎を下に引っ張る。
ビリビリと頬の肉が裂け下顎が外れた。
首から上半身までの皮膚を剥ぎ取りながら、比喩ではなく物理的に顎が外れたのだ。そしてどす黒い返り血が俺に降りかかる。
「そうかあ残念だなあ。これで人を喰うことはできねえなあ」
血まみれの口からむしり取った下顎には、へばりついていた舌がピクピクとうごめいていた。




