一夜目
「……ん、鉄心ちゃん」
遠くから聞こえるおやっさんの声。
「なんだよ、起こしてくれるなら女の子がよかったぜ」
「馬鹿なこと言ってないで起きてくれよ」
もう真夜中なのか。
見張りをする前に休んでいたけど、あっという間に意識が飛んでいたみたいだ。
「おやっさんどうしたんだよ」
「それがさ、重森さんが……」
どうしたあのメタボオヤジ。
「ちょっと目張りをしていた時に、店から出てっちゃってね」
え。どういうことだ。
「だってあのオヤジ、調子いいこと言うばっかで怖がって何もしてなかったじゃないか」
「それがね」
まさか。
「ちょっとおやっさん、倉庫は!」
地下の階段を下りる。
壁のスイッチを入れると倉庫内が明るくなった。ここなら地下だ。明かりをつけても外に漏れることがないだろう。
会談そばの棚を見ると、そこにあった缶詰がかなりの量減っていた。
あのクソ狸、やりやがったな。
「ま、まあすぐに無くなる量でもないし、大丈夫だよ。ここはほら、カレー屋だから。食料品はいっぱいあるから」
おやっさんがフォローを入れる。
そうは言うが。ここに居座るとしたらどうしても量は必要になる。
生鮮食品は毎朝仕入れているって言っていたし、それがないとなると食材としては限られてくる。
そうすれば数日分生き延びられるかどうかということにも関係してくる。
「そうだ、有希音、有希音は大丈夫か!」
俺は奥の防音室へ急ぐ。
部屋の中からは音がしない。防音だからかもしれないが、それにしても静かすぎる。
「有希音、おい!」
防音室の重たいドアを開く。
鍵はかけていないがこの重たさはそう簡単には開けられない。
じわりと開いた扉の隙間から中が見える。
暗い部屋の中の奥に、うずくまる塊が見えた。
「う、うう……」
「有希音……?」
塊が震える。
「大丈夫か、おい」
その塊がのそりと起き上がり、頭の部分が俺の方へ向けられた。
薄明りに照らされたそれは、生気のない視線を漂わせて。
ちゃらりと鎖の音が鳴る。
「はが、ね……くん」
埃と血でごわごわになった髪。
血の気の無い真っ白な顔。
そして、赤黒く染まった口元。
少し開いた口からは、何かの欠片が見え隠れしていた。
「よかった、有希音」
俺は有希音の側へ近付くと、汚れた口を手でぬぐってやる。
有希音は意識を保っていた。
今のところ俺の考えは間違っていないようだ。
正気でいられるのも、それはタブーを犯したから。
亜美の腕はもう形も残っていない。ほんの少し骨に残る肉片があるばかりだ。
「暗い中で辛い想いをさせたな」
「ううん、平気……。人間だったら暗闇だと怖いかもだけど、なんだかそういうのがなくなっていて。不思議と、時間の感覚もないんだ」
「流暢にしゃべれれば問題なさそうだな」
「だけどさ……」
うっすらと濁った瞳。
その眼が細く光る。
「血の味だけはよく判るんだ……」
ニヤリと笑うその口から血が一筋流れる。
「ねえ、もっとないの……? もっと頂戴、鋼くん……」
腕一本では足りなかったのか。
「判った。後で持ってこよう。確か勝手口のあれはまだそのままにしていたと思うし」
勝手口にいたおばさんゾンビだ。
誰も気持ち悪がって近寄っていない様子だったからな。
それとは引き換えに、亜美の身体はほとんど片付けられた。
とはいえ、毛布でくるんで棺桶代わりの衣装ケースに入れていただけだが。
「俺たちも生き残っていくためには、今からでも備蓄品を確認しておく必要がありそうだな」
「鋼くんっ!」
有希音がかすれた声で叫ぶ。
後ろに気配を感じた俺が振り返ったとき、目の前にはバールのようなものが迫っていた。
出ました、バールのようなもの。
次回、「深夜の襲撃者」です。