監禁
俺は有希音を連れてカレー屋の地下へと下りていく。
階段の側には棚があって、豆やら果物やらの缶詰とカレーの食材の箱が並んでいた。
奥には大きな冷蔵庫もある。
足取りがおぼつかない有希音をエスコートする。
触れている手が冷たい。
「痛くねえの?」
「うん、不思議と何も感じないんだ。もう身体は死んでいるからなのかな」
「やっぱり生き返ったりしているわけじゃないんだ」
逆に俺の手をつかんだ有希音は、俺の手を有希音のその豊満な胸に当てる。
俺は手のひらにマシュマロの感触が伝わった。
柔らかい。
でかい上に、だ。
俺だって健全な年頃の男子高校生だ。たまに夢想はしていた、クラスメイトの巨乳鷲づかみが今ここに現実のものとなったのだ。
って。
「お、おい。なにしてんだ」
「感じない?」
感じるとか感じないとか。
そりゃあむちゃくちゃ感じて……。
あ。
「でしょ」
鼓動が無い。
「いきなりおっぱい触らせて、感じるとか感じないとか変態なこと言ってんなと思ったよ」
「……ばか」
「そっか、ゾンビって死体ってことなんだな」
有希音の寂しそうな表情を見ると、胸の奥が苦しくなる。
やべえ。俺ってひでえこと言ったな。
「ここだよ」
おやっさんの声が聞こえて俺たちは現実に引き戻される。
先に行っていたおやっさんが倉庫の奥を指差す。
それなりに広さのある地下室に、部屋が区切られていた。
コンテナハウスというかユニットハウスというか。
「防音室?」
「そう、独りスタジオを作っていたんだよね」
「何に使うんだよ」
「何って、見りゃ判るだろ」
部屋の隅に立てかけられたギターとその脇に置かれているアンプ。
譜面台とか小道具も一通り揃えられていた。
「おやっさんが?」
「ウケるだろ? これでも結構弾けるんだよ」
「へえ、じゃあ今度聴かせてくれよ」
「そうだな。こんな時じゃなけりゃあな」
有希音がギターの弦を弾く。
しっかりと調律された音が防音室内に広がる。
「こんな時だからこそ、聴きたいな」
有希音が振り向きながら悲しそうな笑みを浮かべた。
「そうか、そうだな。おやっさん頼むよ。俺も聴きたい」
困ったような顔をしてみたものの、おやっさんは有希音からギターを受け取るとヘッドにあるペグを回しながら音階を調節する。
アンプを通していない生音だけど結構大きな音が出た。
「よし、みんなには内緒だぞ」
そういうと、おやっさんのワンマンライブが始まった。
狭い防音室の中で観客は俺と有希音の二人だけの小さなライブ。
おやっさんが部屋の奥に陣取り、俺たちがその前で座って聴く。
有希音は俺の手を握って、小さく震えていた。
ついさっきまでなにも起きない退屈な日常がそのまま続くかと思っていた。
好きなこともなく、何をするでもない。平和で、退屈な日常。
もちろん将来のことなんて判らないけど、それなりに生きてそれなりに歳を取って、それなりに……。
いつしか有希音は俺の肩にもたれかかり、俺は有希音の肩を抱いていた。
「泣いているの?」
激しいビートなのに、荒々しい曲なのに。
「え、そんなことないだろ」
「だって」
有希音の指が俺の頬に触れる。
「あ」
知らない内に、涙がこぼれていた。
「変なの。バラードでもないのにさ」
「う、うるせえな」
俺は有希音の手を撥ね退けようとはしないで、顔を撫でるに任せていた。
「鋼くんが羨ましいな」
「なんでだよ」
「ゾンビってさ、出ないんだね。涙」
「え?」
「きっと私、すごく今悲しくて苦しいんだと思う。心が引き裂かれそうで、砕けそうなんだと思う」
「どういうことだ」
あ。またその困ったような寂しそうな顔をする。
「頭ではね、なんとなく理解はしているんだけど感情がうまく出てこないんだ。
それにさ」
意識が戻ってからよく見せるようになった悲しい笑顔。
「泣けないって、辛いね」
おやっさんが曲を終える。
「いいかな」
「うん、おやっさんありがとう。すごくなんていうか」
「素敵でした」
おやっさんはにっこりと笑うと、ギターを片付け始めた。
それからタオルやベルト、鎖なんかを持ってくる。
なにをしようとしているか判っている俺たちは荷物運びを手伝う。
壁に杭を深く打ち付けそこに鎖を通す。
有希音の足首にタオルを巻きその上からベルトを巻いて縛る。
「痛くないか?」
「うん、ほら感覚無いから」
愚問だった。
壁に取り付けた鎖にベルトをつなげる。
これで鎖の長さだけしか有希音は自由が利かなくなるということだ。
毛布で簡易的なベッドを作る。
おやっさんから借りた本を何冊か置いておく。必要そうなものもいくつか。
食事だったり生理現象だったりっていうことは考えなくてもいいのだろうか。
死体だからそういうことはないのかもしれないが。
「定期的に見に来るから、何かあったら教えてくれ。それと」
少し重たいレジ袋を有希音に渡す。
「危なくなったら、これを」
「これは?」
中には亜美の腕。
「見るのも辛いだろうけど」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう。
慣れちゃったってわけじゃないけど、そんなに気持ち悪いとも思わなくなってきたな」
「そっか」
それはゾンビ化したから感情も違ってきたっていうのか。気持ちが薄れていくとすると、俺も同じようになるのだろうか。
「じゃあ行くな」
気持ちを悟られないように切り出す。
「うん」
おやっさんが部屋を出て少し離れたことを確認して、俺は振り返る。
「初めてだったけど」
「なにが?」
「女の子の胸って、柔らけえのな」
「ははっ、言ってろ」
軽口でも叩かなくちゃやってられない。
後ろ髪を引かれる思いで俺は地下室のドアを閉めた。