日常に現れた非日常
「うわーっ、またやられた!」
駅前商店街の中のこじんまりした個人経営のカレー屋。その静まり返った店内が、俺のスプーンを置く音と同時に発せられた店主の悲鳴をきっかけに喧騒へと変わった。
俺は鋼鉄心。ごく普通の高校に通う十八歳。
背は平均より少し高いくらいで体重も平均的。
短く刈った髪に鋭い眼光。
鍛えた身体はいわゆる細マッチョだ。
「流石だな鉄心。大食いカレーを制限時間五分も残して完食なんてね。
武道の師範なだけはあるなー」
こいつはクラスメイトの神月。お調子者のオタメガネだ。
神月の他にも俺のカレー大食いチャレンジを見物しに、商店街の連中やら買い物帰りの主婦やらがこの狭い店内に集まってきていた。
駅前繁華街とはいえ人口の少ない地方都市だ。娯楽に飢えた田舎ならではだろう。大食いチャレンジがライブで見られるっていうだけでそれなりの人が集まるイベントになってしまった。
「別に、うちで道場開いているってだけでそんなたいしたもんじゃないよ。
ただなあ。うちの健康体操、あれむちゃくちゃ腹減るんだよ」
うちの親父が鋼流健康体操と称して、武術を体操に取り入れた教室をやっているんだ。
それに付き合わされる俺も、コーチの役割りを任されて迷惑しているんだが。
ただこれが運動不足の奥様方に大人気だっていうんだから、世の中解らないものだ。
「鉄心ちゃん、今回は自信あったんだけどなあ」
「でも、おやっさんのカレーは量だけじゃなくて味もうまくて俺好きだよ」
「へへっ。そう言ってもらえたら嬉しいねえ。次の挑戦も受けてくれるかい?」
「もちろんだよ、んじゃごっそさん」
ドアを開けると、からころとベルの音が騒がしい店内に響く。
大食いに限って言えば、全戦全勝。
どんなものでもどれだけ多くても、食い物であれば残さずに食べる。
それが俺、鋼鉄心だ。
夕暮れ時。
商店街のアーケードは、学校帰りの学生や幼稚園児を連れて買い物をしている主婦とかでそれなりに賑わっている。
「あれ、鉄心見ろよ」
神月が指差す方向には、クラスメイトの姿があった。
「有希音と、一緒にいるのは津川か?」
それ程親しくはないが席が隣の鈴本有希音と野球部の津川だ。
有希音はごくごく普通の女子で成績もそれなり。トレードマークといえばポニーテールと小学校の頃から既に大きかったというけしからん胸だ。
俺が隣の席を見ると、机の上に胸を乗せて授業を受ける有希音の姿があったものだ。スマートフォンだって軽く乗せられる、まったくなんて暴力的な胸だ。
その有希音と津川が、商店街の中で人目もはばからず抱き合ったりしている。
「おいおい有希音、津川。こんなところで何やってんだよ」
クラスにはもう一人、鈴本奈美絵という女子がいて、苗字が同じだからっていうんでクラスの中では彼女たちを下の名前で呼ぶことにしていた。
別に仲がよくて下の名前で呼んでいるわけではない。そうだ。別に仲がいいわけではない。
「まったく、あいつら付き合っていたっけ?」
「さあ、俺は知らねえけど」
俺と神月が二人に近付こうとした時、有希音が俺たちに気がついたのか必死の形相で何かを訴えようとしていた。
「鋼くん……、たす……」
たすけて。
そう有希音の唇が動いた。
「なにやってんだ津川」
反射的に俺は坊主頭の津川の肩をつかんでこちらに身体を向かせる。
「ガアアッ!」
吠える津川の口からは、おびただしい血が。
濁ったような目は虚ろで焦点が定まっていない様子。
「なっ、どうしたんだよ津川!」
津川は信じられないような力で俺の腕をふりほどいて有希音に向き直ると、躊躇なくその白い腕に歯を立てた。
「いやあーっ! ああーっ!」
有希音は津川を押しのけようとするが津川の力は有希音のそれに勝っていて、腕に噛みついたまま一向に離れようとしない。
「やめっ、何やってんだよ津川っ!」
俺も必死になって津川を有希音から引き離そうとする。
ぶちぶちぶちっと、輪ゴムを束ねて無理矢理引き千切ったような音がした。
「あああーーっ! びゃあああーー!」
既に言葉にならない有希音の声が商店街にこだまする。
力づくで引き離した津川の口には、有希音の腕からこそげ取った肉片がぶら下がっていた。
津川のあごが上下に動き、同級生の腕の肉を咀嚼し始める。
商店街は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。急いでこの場を離れる者、遠巻きに見守る者、近付こうか迷っているような動きをする者がそれぞれ勝手に動き回っていた。
津川はぼやけた目でまだ有希音の肉片が口の中にあるまま、今度は俺に向かって口を開けながら迫ってくる。
「神月、有希音の手当てを! それと救急車と警察を、すぐっ!」
「あ、う、うん!」
神月が自分のシャツを脱いで泣きわめく有希音の腕に巻いて縛る。
あっちは神月に任せておけばいいか。
それよりこっちだ。
ゆっくりとだが確実に、津川が俺に迫ってくる。
「鋼流健康体操三の型。手のひらを前に向けてそのまま腕を胸に寄せてぇ」
津川が俺の目の前まで進んできた瞬間。俺は両手を一気に前へ伸ばす。
「双究一張!」
すぼめた口から息を吐き出したと同時に突き出した両手のひらが津川の胸を直撃する。
掌底をまともに食らった津川の肺がいっぺんに空気を吐き出す。
弾き飛ばされた津川はそれでも苦しそうなそぶりも見せず、のけぞった身体をゆっくりと戻してくる。
「マジか。あばらの数本も折れただろうに、それでも平気な顔をしているってどういうことだよ」
手加減はしたつもりだが普通の人間ならあれだけの攻撃だ。吹き飛ぶ上に簡単には起き上がれない重傷のはず。
だが、津川は両手を前にぶらんと垂らしながら、またじわりじわりと俺の方へ向かってくる。
「あの痛がりの泣き虫津川が、ありえねえ……」
俺は両拳を握って構えを取った。
「いいか、俺はこれから本気出す」
小説家になろうへ投稿してから一年経ちました。
自分なりのマイルストーンとして連載開始します。
今後ともよろしくお願いします。
ラストのイラストは、貴様二太郎様より頂戴いたしました。貴様二太郎様、おどろおどろしいイラストありがとうございました(≧▽≦)