(9)
「結子結子。これとこれ、どっち?」
いきなり選択を迫られ、部屋で着替えの最中だった結子はノックもなしに突然入ってきたデリカシーゼロ男を鋭く睨みつけた。
上はキャミソール1枚のうら若きギリギリ乙女を前にしても、ゼロ男は鈍感すぎてそんなことはどうでもいいらしい。
再びグイグイと選択を迫ってきた。
「ふーん……どっちもいいけど、どうすんの? これ」
新太が両手に持つ2つの洋服を見比べながら、新太のデリカシーゼロ問題はすぐに諦め理由を訊ねた。
「何言ってんの。今日のデートに着ていくに決まってるじゃん」
すでに彼の頭はお花畑状態、瑞姫の許可なくデートと口に出して豪語するふてぶてしい新太の言葉にすぐさま顔を顰めた。
「冗談だよね…………デートにまさかこれはないよ」
「なんで? 場所はホテルだよ? このくらいちゃんとしなきゃ」
「……うーん、そうかなぁ?」
説得力あるんだかないんだか、新太がさも当たり前とばかりに堂々と言い切るので、結子もなんとなく自信がなくなり混乱し始めた。
「おバカねぇ。初デートにそんな恰好で行ったら、どこぞの勘違い野郎かと引かれて即行フラれるのが目に見えてるじゃない。おバカねぇ」
やはり結子の意見は正しく2度もおバカ扱いされた新太がおかしかったらしい、突然部屋に入ってきた明美は呆れて息子を真っ向否定した。
「……お母さん、またかよ!」
新太が怒りに吠えたまたかよとは、当然得意の盗み聞きのことである。
「何言ってんの。私が止めなきゃ、あんたこれからケーキ片手に大恥かいてたわよ。汚れても目立たない、清潔かつラフな格好で行きなさい」
「清潔かつラフ……」
「そうだよ新太、そんな結婚式に着ていくような堅苦しいスーツなんてやめて、いつもの新太をちょっと上品にしたくらいにしときなよ」
「清潔かつラフで上品………………ああ、もうわけわかんねぇ!」
明美と結子に前後で責められ、こんがらがってしまった新太はとうとう頭を抱え発狂してしまった。
結局スーツは諦めオシャレ男子の実力をここぞとばかりに遺憾なく発揮し、普段より清潔かつラフで上品な装いを見事に体現してみせた新太は、そろそろ迎えに行かなきゃと慌てて家を飛び出していった。
「まったく、最後まで世話が焼けるんだから……」
「ふふ、本当ですよねぇ」
無残に服が散らばった新太の部屋を片付けながら、2人で可笑しく笑い合った。
「じゃあ私も今日は約束があるんで、そろそろ行ってきます」
壁の時計を見上げれば、約束の11時すでに10分前に迫っている。
そろそろ外で待っていようと明美に挨拶し、玄関に向かった。
「結子ちゃん、ちょっと待って」
「え?」
突然背後から明美に強く引き止められ、とっさに振り返った。
「まさか、その恰好で遊びに行くんじゃないでしょうね?」
「そうですけど…………だめですか?」
「だめに決まってるでしょ!!」
今度は突然激しく怒られビクリと身体を震わせた結子は、改めて己の姿を真剣に振り返った。
深帽子に伊達眼鏡、グルグル巻き黒スカーフのオプションはとにかく明美のお気に召さなかったらしい。
無理やり剥ぎ取られせっかく頑張った変装をあえなく没収されてしまった結子はがっくり肩を落とし、再びトボトボと玄関に向かった。
「すみません! お待たせしました」
明美に引き止められたおかげで若干遅れてしまったらしい。
約束の5分前、すでに店の駐車場に車を止め外に出て待っていた凌に急いで駆け寄った。
「急がないで、俺も今来たばかりだから」
「そうですか……」
慌てる結子に笑みを向け迎えてくれた凌の言葉を素直に受け取り、ホッと息を吐いた。
「乗って」
さすが誰もが振り返る美男は紳士、さりげなく助手席のドアを開けてくれた。
「わざわざすみません。それじゃ」
慣れない対応に照れくさくも素早く乗り込んだ。
こんな所を明美にでも盗み見されたらたまったもんじゃない、隠れるように車に身を忍ばせた。
「結子さん、お昼は何が食べたい?」
次いで運転席に乗り込んだ凌にさっそく尋ねられ、隣に視線を向けた。
どうせならさっさとここから発進してほしかったのだが、そういえばランチの店をまだ決めていなかった。
優しく問われおそらく結子の意見を優先してくれるつもりなのだろう、ここは抵抗せず気持ちに甘える事にすると、しばし頭を悩ませた。
外食なんて普段行っても新太と買い物ついでにフードコート辺りか、瑞姫に誘われお洒落カフェ程しか機会がない。
なるべく女子率の低い店といったら、やはりラーメン屋か牛丼屋、妥協して焼肉屋あたりか……
真剣に悩み始めた結子をしばらく待っていた凌だったが、埒が明かないと思ったのか再び口を開いた。
「もし迷うなら、和食か中華、イタリアン辺りにしようか」
気を利かせてくれた凌のアドバイスは大助かりなのだが、おそらく彼の言う和食に牛丼も、中華にラーメンも含まれてはいないだろう。
「じゃあ、凌さんが良ければ中華で」
イタリアンは即行省き、普段そこまで食べる機会がない中華なら凌も喜ぶかもしれないと選択した。
「中華だったら駅の近くに美味しい店がある。そこでいい?」
「はい、お願いします」
駅周辺といったら若者女子率極めて高い大変危険地帯なのだが、もちろん嫌ですなんて言えるはずもなく了承した。
ようやく店が決まり車が発進したので、結子は少しだけシートに身体を沈め窓の外を見やった。
駅近くと言うから、休日の日曜日すでに若者の姿で溢れているだろう駅前辺りを勝手に想像していたが、どうやら思い違いだったらしい。
凌が連れてきたのは駅から100m程離れた人気の少ないアーケード通りだった。
一角にある黒を基調とした立派な高級ビルの地下に目的の店はあるらしい。
近くのコインパーキングに車を止め、凌先導のもとビルの階段を下りていくと、中華料理店の小さな看板と入口ドアを見つけた。
ここでも想像に反してディスプレイも何も置いてない静かで上品な店構えにとっさに気後れを覚えた結子は、同時に嫌な予感も覚えた。
「入ろう」
店のドアを開け促されたので、恐るおそる中に足を踏み入れた。
結子の嫌な予感はずばり的中した。
どうやらここは中華は中華でも、結子とはまったく縁のない高級中華店だったらしい。
テーブルに凌と向かい合わせで座ると店員に品書きを渡され、真っ先に数字ばかり必死に確認する。
案の定、どれもこれもすべてお高め価格設定だ。
動揺隠せず目を震わせ品書きを見つめる結子とはまるで価値観が違うのか、それとも来慣れてるのか知らないが、向かいの凌はさも当たり前の表情で品書きを優雅に眺めている。
「結子さん、せっかくだからコースにしようか」
とりあえず必死でお手頃価格をみじめに探していると、凌はみじめな結子に平然とコース爆弾を投げつけてきた。
「……え、あ、はい」
動揺のあまりかわすことができず真っ向から爆弾を受け止めてしまった結子には、すでに抵抗する力さえ残されていなかった。