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「凌さん、まさか本当に忘れてたんですか?」

 自分の誕生日を今朝ようやく思い出したと告白した凌はテーブルに並ぶ料理を見つめると、向かいの結子に視線を向けた。

「結子さん、ちゃんと覚えててくれたんだ……」

 さすがに夫の誕生日を忘れるはずがない結子に感動すらしてくれたらしい。

 甘いものが苦手な彼にケーキを用意するわけにもいかず、その代りささやかではあるが店の中休みを利用しこっそり仕込んでおいた彼の好物尽くしの手料理に、凌は嬉しそうに喜んでくれた。

「もう、当たり前じゃないですか。凌さん、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう結子さん」

 今朝まで自分の誕生日を忘れていた彼は自分のことにそれほど興味関心を抱いていない素振りをたまに見せるのだが、無事今夜のちょっとしたサプライズに喜んでくれて結子もホッと一安心した。

 笑顔で彼の誕生日をお祝いすると、2人で食事を食べ始めた。


 

 つい先日、母の日同様に実家の父には郵送で、義父と新太父には直接手渡したプレゼントは結子の期待以上に皆喜んでくれた。

 あのいつもどんよりテンション低い義父でさえ若干跳ね上がったので、父達の喜ぶ姿に本当に忘れなくて良かったと、後日改めて父の日を思い出させてくれた瑞姫に感謝を伝えた。

 あの人の良い親切な樫本に対し今だ疑心暗鬼な彼女だが、結子を心配するが故に生じた誤解なので彼女のほとぼりが冷めるまでとりあえずそっとしておくことにした。

 


「凌さん、どうぞ」

 片付けを終わらせ共にリビングのソファに座ると、食事を済ませてからゆっくり渡そうと傍に用意しておいた誕生日プレゼントを彼の前に差し出した。

 さっき結子の手料理も美味しそうに食べ、その間何度も感謝を伝えてくれた。結子の贈り物もきっと喜んでくれるはずだ。

 期待を込め手渡したプレゼントを受け取った凌は、手にあるそれをしばらくじっと見つめた。


「……デパートで買ったの?」

 表面の包装紙のデザインですぐに気付いたらしい、さっそく当てられてしまった。

「はい、この前瑞姫さんと一緒に行って選んだんです。きっと凌さんに似合うと思って」

 照れながら理由を伝えた結子にも、凌はただ沈黙し今だ手元を見つめたままだ。

 一向に包装を開く様子を見せない凌に、結子もわずかに不安と焦りが生じた。


「えっと……中身は心配しなくてもきっと大丈夫です。瑞姫さんも気に入ってくれましたし、そこの店員さんがお勧めしてくれたものなんで」

「………………」

 安心して中身を開けてほしいと精一杯事情を伝えたのだが、凌は依然沈黙のままだ。


「……あの、凌さん」

 さすがにおかしいと感じた結子は、しばらく経って恐るおそる声を掛けた。



「ありがとう結子さん、後で開けるね」

「……え」

 ようやく顔を上げた凌は笑みを浮かべ、結子に今はプレゼントを開ける意思はないことを伝えた。

 てっきり喜び中身をすぐに確認してくれるとばかり思い込んでいた結子は当然拍子抜けし、途端ガックリと気持ちが沈んでしまった。

 

 ただ凌を見つめることしかできない結子に、疲れたから今日は先に休むとだけ言い残した凌はそのまま立ち上がり、さっさと寝室に引っ込んでしまった。 

  





 


「おはよう、結子さん」

「おはようございます……」


 すでに先に起きていた凌はキッチンに立ち、朝食の準備に取り掛かっていた。

 いつもの笑顔で挨拶され特に変わった様子もない彼に、とりあえずはほっとした。


「凌さん、早いですね」

「うん、結子さん昨日はありがとう」

「いいえ」

 凌が改めて誕生日祝いの礼を言ってくれたので、結子の気持ちもようやく晴れ上がった。

 昨夜は急に彼の様子がおかしく感じ不安が募ってしまったが、彼の言った通り疲れていただけだったのかもしれない。


「とりあえず着替えてきて、遅くなるよ」

「はい」

 すでにスーツ姿の凌に対し今だパジャマのままだった結子は、凌に急かされ再び寝室に戻った。 




「………………」 

 さっき彼に礼を言われたのでおそらく開けてもらえたのだろうと期待した結子は、少しばかり気になり隣の彼のクローゼットを開けてしまった。

 何度目で確認してもハンガーに掛けられた服の中にそれはなく、諦めきれずクローゼットの中を隈なく目で探し始めた。


 意外にもあっけなく見つかってしまった。

 クローゼットの隅っこに落ちていた結子の誕生日プレゼントは、綺麗に包装紙に包まれたままだった。









「結子ちゃん食欲ないの? まさか……」

「お母さん、子供なんてうちはまだまだですよ」

 なかなかおかずに箸が進まない結子を心配した明美の表情がすぐに浮き立ったので、すぐに否定する。

 すぐにがっくり沈んでしまった明美は、結子のわずかな変化には必ず勘違いするので、結子の切り替えしも慣れたものだ。

 

 店の中休み3人で遅い昼食を終えると、さっさと片付けを済ませた明美はつまらなそうに2階へ引っ込んでいった。

 特にやることもなくそのまま客席に座り直すと、向かいで新聞を広げていた新太が顔を上げた。


「結子元気ないね、何かあった?」

「別に……」

「昨日は凌の誕生日だったのに」

「………………」

 凌の誕生日をちゃんと認識していた新太は、おそらくそのことで結子が落ち込んでいることもすでに気付いているらしい。


「瑞姫がさ、この前結子が凌のプレゼント買ったこと話してたし、結子も昨日はずっとソワソワはりきってたじゃん。それなのに今日は朝から空元気なんだもん。昨日何かあった?」

 特に表情には見せていないのに結局隠せないのも昔からお互い様だ。

 諦めた結子は、一変して暗く落ち込み始めた。 


「……新太、男の人ってさ、奥さんからの贈り物なんて興味ないのかな」

「……は? 凌が?」

「うん」

 渡したプレゼントを開けてさえもらえなかったことを正直に話すと、さすがに新太も驚いたらしい。


「まさか」

「本当」

「………………」

 決して冗談じゃないとしっかり肯定すると、ようやく新太も信じたのかそのまま黙ってしまった。

 

「……食事は喜んでくれたんだよ。凌さんもずっと明るかったし笑ってたのに…………プレゼント渡したら急に黙っちゃった」

 新太に打ち明けたらますます悲しくなってきて、がっくりテーブルに額を擦りつけながら昨日の出来事をうじうじ告白する。


「プレゼント…………確かそれって、そこのデパートで買ったんだよね?」

「うん……」

「……なるほど、つまりそういうわけか」

「え?」

 1人納得した様子の新太に、慌てて顔を上げた。


「新太、何かわかったの?」

「うん」

「なになに? なになに?」

「ちょっと落ち着いてよ結子」

 向かいから新太の腕を掴み激しく揺さぶってきた結子を宥めると、とりあえず再び席に座らせた。



「問題はデパートだよ、デパート」

「……デパート? え? 凌さんってデパート嫌いだったの?」

 そういえば、凌は昨夜デパートの包装紙をひどく気にしていたじゃないか。

 新太にはっきりと断言され、ようやくそのことを思い出した。


「なるほど、そっか…………デパート嫌いだったら、デパートで買った私の贈り物だってアウトだよね」

 彼の事情をたった今初めて知りすぐさま理解を示した結子は、ホッと安堵の息を吐き出した。

 とりあえず、結子自身に問題があったわけではなかったらしい。


「なに呑気にホッとしてんの。結子が悪いんだよ」

「……え?」

 あっという間に立ち直り明るく笑い始めた結子を、突然新太は厳しい表情で怒り始めた。


「結子の無神経な行動が凌を傷つけたんだよ」

「……そうだよね、デパート嫌いだもんね」

 デパートの包装紙さえあれほど嫌悪していたのだ。

 無神経な結子のせいで彼を不快にさせてしまったのに、反省するどころか浮かれてしまうなんてさすがにどうかしてる。


「あのさ、問題はデパートじゃないんだよ」

「……はぁ? 新太さっきデパートって言ったじゃん」 

「デパートじゃなくて、デパートに勤めてる樫本さんだよ!」

 デパートかデパートじゃないのか一体どっちなんだと怒り始めた結子を、激しく新太が一喝した。


「……え、デパートの樫本さん?」

 新太に激しく怒られビクリと震えた結子は、新太の口から思いもよらず飛び出した樫本の名をビクビクと問い返した。

「凌はね、樫本さんがいるデパートにわざわざ結子が行ったことに傷ついたんだよ」

「ちょっと待てちょっと待て。え? 何で樫本さん? え? 私行っちゃだめなの?」

 樫本がいるデパートに結子が行ったから悪いと言われてもまったく理解できず、すっかりこんがらがってしまった。


「だって凌さんは樫本さんに一度も会ったことないんだよ? 知り合いでもなんでもない樫本さんは今関係ないじゃん」

「名刺だよ。名刺」

「名刺……」

「あいつ、結子が樫本さんの名刺を持ってること知ってるよね? すでに樫本さんのこと知ってるじゃん」

「………………」

 確かに新太の言う通りだ。

 以前結子が樫本に貰った名刺を拾った凌は、すでに樫本の存在を知っていた。


「結子が自分の知らない男の名刺なんて持ってたら、凌が気にするのは当たり前だよ」

「……だって、ただのお客さんだよ? そんなことくらいで」

「そんなこと? そんなことくらいで本当に凌が気にしないと思う? 現にあいつは傷ついたよ、悲しんでるよ。樫本さんのデパートで買った結子のプレゼントを見たくもないほど、あいつはショックを受けたんだよ」

「………………」

「結子が思ってる以上にあいつはずっと繊細だよ。嫉妬深いし心も狭い。結子が本当に好きだからだよ」

 結子が今まで気付きもしなかった彼の心情を、結子は今初めて新太の口から突き付けられた。




 ショックを受け呆然と黙ってしまった結子の頭を、新太がポンポンと手で触れた。


「結子、落ち込んでる暇はないよ。どうする?」


 新太の優しい声に、しばらくしてようやく顔を上げた結子は静かに席から立ち上がった。




 

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