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「最近のあいつの睨みがますます悪化してるんだけど…………結子さん、本当に放っておいていいの?」
20年以上人生を共に過ごし気心知れた友人であってもさすがに怖ろしさを感じたのか、隣で運転する瑞姫が前を見つめながらめずらしく躊躇いをみせた。
瑞姫と会う予定だった日曜日の今日、結子の自宅マンションにわざわざ瑞姫が車で迎えに来てくれたのだが、ついさっき外まで見送ってくれた凌に激しく睨みつけられたらしい。
そんなことにはまったく気付かなかった結子は車に乗り込みそのまま出発してしまったのだが、今更申し訳なさを覚え隣の瑞姫に視線を向けた。
「瑞姫さん、せっかくの休みなのにごめんね。今日はどうしても付き合ってほしくて」
買い物があるから付き合ってほしいと、今日2人で出掛ける約束を取り付けたのは結子だった。
「結子さんが買い物なんてめずらしいね。何買うの?」
「うん……ほら、もうすぐ凌さんの誕生日だからさ」
今週の凌の誕生日を間近に控え、最近結子は彼に渡すプレゼントをずっと模索中だった。
昨年も散々悩んだ末結局自分では決められず、凌と付き合いの長い瑞姫にお願いして一緒に選んでもらった。
今年もとうとう間に合わず、やはり彼女だけが頼りだ。
「なるほどね、そういうことか。じゃあ凌の分ついでに私のも選んでよ」
「瑞姫さんも何か買い物あったの?」
「私のじゃなくて父親の。ほら、もうすぐ父の日だから」
たった今瑞姫から教えられ、結子は今頃になってようやくハッと気付かされた。
つい先月にあった母の日には実家の母と義母、そして明美の3人にそれぞれプレゼントを用意し、実家の母には郵送で、義母と明美には直接手渡し喜んでもらえたのだが、それで安心したせいか父の日の存在をうっかり忘れてしまっていた。
凌の誕生日とも近く、そこまで気が回らなかった。
瑞姫のおかげで父の日前に思い出すことができ、実家の父と義父、新太の父・高次の分のプレゼント購入も急遽今日の予定に加えた。
「普段は母親ばっかりで父親はないがしろ気味だったからね。さすがにかわいそうだから今年はちゃんとしようと思って。とりあえずどこ見てみようか」
「父の日…………そういえば」
運転する瑞姫にどこの店に行くか尋ねられ、ふいにあることを思い出した。
「あそこのデパートは? 今ちょうど父の日フェアやってるらしいよ」
今走行している道路からもすでに頭が見えているデパートを指さし教える。
数日前、店に来たデパート勤務の樫本が確かそう言っていたはずだ。
すでにその時父の日の存在を聞かされていたのに、樫本相手に完全聞き流してしまったらしい。
「そうなんだ。じゃああそこにする?」
「うん」
急遽行き先が決まったので、瑞姫はデパート方向に向かって改めて車を走らせ始めた。
デパートに着くと、とりあえず凌のプレゼント購入は最後にして、まずはデパートの最上階まで上がることにする。
主に女性客の姿で賑やかさを見せるイベント会場では、樫本の言っていた通り父の日フェアが催されていた。
「結子さん、来てくれたんだ」
もしかしたらいるかもしれないと思っていた催事場担当の樫本と、偶然にも来て早々ばったり出くわした。
すぐに結子に気付いた樫本もいつもの爽やかな笑顔を浮かべ、傍に近寄ってきた。
「樫本さんこんにちは。今日はちょうど買い物があって来てしまいました」
この前案内するからと樫本が親切に言ってくれた矢先さっそく来てしまったので、気を遣わせるかとやや心配しながら挨拶を返した。
「大丈夫、俺に任せて。お父さんに贈り物?」
「はあ、そうなんですけど……」
「こちらの方は?」
それまで黙って結子と樫本のやりとりと眺めていた隣の瑞姫に、樫本は改めて視線を向けた。
「友達の佐野さんです。瑞姫さん、こちらは樫本さん。いつもうちの店に来てくださる常連さんなんだ」
結子の紹介にようやく納得した様子の瑞姫はすぐさま笑みを浮かべ、向かいの樫本に軽くお辞儀をした。
「はじめまして、今日はお世話になります」
「はじめまして樫本です。いやあ…………お綺麗ですね。驚きました」
結子の隣の瑞姫と向かい合った樫本はようやく瑞姫が超美人であったことに気付いたらしい、驚きを浮かべ感嘆の声を漏らした。
「ごめん、結子さんのご友人がこんなに美しい人だなんて知らなくて、つい…………あ、もちろん結子さんはとっても可愛いんだけど」
不躾に瑞姫を見つめていたことにようやく気付きすぐに謝った樫本は、瑞姫ばかりを褒めて申し訳なく感じたのか、最後に慌てて結子も付け足し気を遣ってくれた。
なぜか突然照れたように赤くなり始めた樫本を向かいからじっと見つめた瑞姫は、こっそり隣の結子の袖を引っ張った。
(……ねえ、この人一体何なの? いきなりうちらのこと褒めちぎって)
(お世辞だよお世辞。ほら、うちらこれでも一応お客様だから)
普段周りから褒め慣れているはずの瑞姫でさえ、結子までもべた褒めする樫本の口の上手さには驚いたらしい。樫本を訝しがるようにそっと耳打ちしてきたので、これ以上彼女の機嫌を損ねないよう慌てて取り繕った。
「結子さん、とりあえず順に見て行こうか。行こう」
「はい、すみません。よろしくお願いします」
はりきって先を歩き始めた樫本に慌てて礼を言い、瑞姫の手を引っ張り後に続く。
せっかくの樫本の厚意を無下にできるはずもなく素直に気持ちに甘える事にして、さっそく会場内を順に見て回ることにした。
「佐野さんはお父さんに、結子さんは…………3人も?」
結子と瑞姫の今日の目的であるプレゼント購入であるが、相手は父親かと改めて樫本に確認され、結子の送る相手が3人だとわかるとさすがに少し驚かれた。
会場内を誘導し一歩先を歩く樫本が一度足を止め、結子に振り返った。
「……お父さん以外はどんな方達に?」
「えっと、その…………身近でとてもお世話になっている方です」
樫本がマジマジとこっちを見つめ確認してきたので、新太の父親はともかく義父とはまだ気恥ずかしさがあり言いにくく適当に誤魔化した。
父の日フェアということで、広い会場にはデパート店内で取り扱っている紳士服などの衣服から小物、下着パジャマ類、ファッション関類だけでなく酒や食料品などあらゆる商品が勢ぞろいで販売されている。
傍で樫本におすすめ商品やアドバイスをもらいながら、瑞姫と互いに相談し合い父達の贈り物を選んでいった。
瑞姫は早々父親に名刺ケースの購入を決め、結子も色々迷いつつ実家の父と新太の父には農作業で使えるように帽子と手ぬぐいタオル、まだ現役で働いている義父にはシンプルなネクタイを選択した。
今日の最初の目的であった凌の誕生日プレゼントは紳士服売り場辺りをのぞいてみるつもりだったが、この会場内には期待以上に選りすぐりの商品が取り揃えられており、ふいに凌が好みそうな若い人向けの普段着シャツコーナー前で足を止めた。
「結子さんお目が高いね。そのあたりは人気商品だよ」
真剣にシャツを眺め始めた結子に、しばらくして樫本が声を掛けた。
「若いお父さんだけでなく中高年層の男性にも十分着こなせる無難なデザインだから、今回特に売れ行きが良いんだ」
親切な樫本の説明通り置かれているシャツはどれもシンプルで、田舎の父には少し無理があるかもしれないが、いつもお洒落な義父ならおそらくどれも似合いそうだ。
「派手な色を好まないなら、これなんてどうかな」
色も柄も豊富に取り揃えられた中でも樫本が指さし勧めたのは一番人気らしい濃いデニムシャツで、ディスプレイで飾られていた。
凌にも似合うだろうと結子もすぐに気に入り、一度瑞姫にも視線を向けると頷いて同意してくれたので、すんなりと決定してしまった。
結局すべてのプレゼントをこの会場内で選び終えると、そのまま会計を済ませ綺麗にラッピングしてもらった。
「樫本さん、今日はありがとうございました。助かりました」
無事買い物を済ませ、2時間ばかり付きっきりでお世話になってしまった樫本に瑞姫と共に礼をする。
「俺で役に立てたなら嬉しいんだけど…………お父さんたち喜んでくれるといいね」
「もちろんです。きっと喜んでくれます」
自分で適当に選んだものではなくプロの販売員である樫本がおすすめしてくれた代物だ。きっと気に入ってくれるだろう。
「結子さん、佐野さん、2人共お昼はまだでしょ? 俺も休憩入るしそこで一緒にどうかな。奢るよ」
以前から親切だとは思っていたが、樫本は結子の想像以上に気遣いの人だったらしい。昼食をご馳走すると、催事場と同じ階にある飲食店を指さした。
「いえ! そんな申し訳ないです。気にしないでください」
「せっかくここまで来てくれたんだから遠慮しないで。行こう」
「いや、でも、これ以上お世話になるわけには……」
必死に遠慮しながらもすっかりその気らしい樫本の様子に頑なに断ることもできず、どうしようか悩み始める。
結子の隣でじっと黙って様子を見つめていた瑞姫が、再びこっそり結子の袖を引っ張った。
(……ねえ、樫本さんって一体何なの? 結子さんは行きつけの定食屋の店員ってだけなのに、ちょっと気前良すぎない?)
(気を遣ってるんだよ。うちらは今日お客様だから)
そっと耳打ちし再び樫本を訝しがり始めた瑞姫をとりあえず宥める。
せっかくの樫本の厚意を無下に断るわけにもいかず、樫本に連れられるまま結局食事を共にすることにした。
「樫本さん、図々しく食事までご馳走になってしまって、今日は本当にすみませんでした」
とんかつ屋で美味しいとんかつを奢ってもらい、申し訳ない思いで最後にお礼をする。
樫本がここまで気遣い屋だとわかっていれば今日ここに来ることもなかったのだが、今更後悔しても仕方ない。とりあえず樫本が今度店に来た時に食事をお返しすることにした。
「結子さん全然気にしないで。今度来てくれる時は直接俺に連絡してよ。番号名刺の裏に書いておいたよね?」
「は、はあ…………すみません」
もらってすぐ紛失しましたなんて当然言えず、曖昧に誤魔化した。
デパートの外までわざわざ見送ってくれた樫本に爽やか笑顔で見送られその場を後にすると、駐車場まで歩く途中瑞姫が再び機嫌を損ね始めた。
「ねえ! 結局あの樫本さんって何なの? ただの行きつけ定食屋の店員でしかない結子さんにプライベートの携帯番号まで教えるなんて」
「社交辞令だよ、社交辞令。樫本さんのただの冗談だよ」
「まさか、樫本さんって……」
愛想良く親切すぎる樫本をとにかく訝しがる瑞姫に必死に彼のフォローをすると、突然瑞姫がハッと気づいたようにその場に立ち止まった。
「……結子さん、樫本さんは親切なんかじゃない。これは全部結子さんへの下心だよ」
「は……? 下心?」
突然意味不明なことを言い出した瑞姫に問い返すと、瑞姫は確信したように頷いた。
「行きつけの定食屋の店員である結子さんにサービスしまくり散々持ち上げ気分良くさせといて、今後食事をタダでご馳走になろうって魂胆だよ。絶対そう!」
「……はぁ?」
瑞姫の確信があまりにもとんちんかんすぎて、さすがに結子も呆れてしまった。
「結子さん、今度から樫本さんには十分気を付けて。必ず毎回きっちり食事代は請求すること、いい?」
「はいはい……」
先ほどあれだけ世話になった樫本に対し詐欺扱いする大変失礼な瑞姫の忠告を当然聞き流すと、呆れながらも再び先を歩き始めた。




