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(ある日の某母娘+弟の会話を抜粋 ※本編1、2話参照)
「へえ……まさかあの新太君だったとはねぇ」
向かいのソファに座る母に事情を説明するとやはりかなり驚いた様子だが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。
「新太君、昔からお料理上手だったもんね。どう? 変わってなかった?」
「うん、全然」
数日前、中学時代の旧友が住んでいた家がいつのまにか定食屋になっていると教えてくれたのは、この母だった。
まさかその古民家定食屋の経営者であった旧友の彼と今日偶然にも10年振りに再会し、昔とまったく変わらない明るい彼の笑顔に自分も安堵した。
すでに1年前からこっちに帰ってきていたにもかかわらず連絡一本寄越さなかった薄情さには正直頭に来たが、久しぶりの再会に彼も嬉しそうだったので仕方なく許すことにした。
「あなた、急に新太君がいなくなっちゃってしばらく落ち込んでたもんね…………本当に帰ってきてくれてよかった」
「別に、落ち込んでなんか……」
感慨深い母の言葉にすぐさま反発したが、確かに当時彼が引っ越したあと1年ほど家でどんより床ばかり見つめていた自分は、家族に相当心配をかけてしまったことは否めない。
「……あ、そういえば、新太の店に女の子も働いてたんだよ。新太の友達で、あの家で一緒に暮らしてるんだって」
「へえ……女の子が」
「うん、結子さんって言うんだ」
無意識に声弾ませ明るく笑顔を浮かべた娘を、向かいの母はじっと見つめた。
まさか娘の口から女の子の話を聞けるとは思っていなかった母は、内心とても驚いていた。
友人の少ない娘にとって旧友の彼との再会は親の自分にとっても大変喜ばしいことだが、どうやら娘には今日もう1人特別な出会いがあったようだ。
「良かったじゃない、仲良くなれそう?」
「……わかんないけど、うん」
優しい笑顔の母の言葉に、照れくさくも肯定した。
今日初めて出会った彼女とはまだ自己紹介程度しか言葉を交わしてないが、今度は絶対一緒に話がしたいと旧友の彼に念押し頼んでおいた。
同性嫌いの自分だが、なんせ初めて友達になりたいと思った特別な女の子だ。
絶対に彼女と仲良くなりたい。
けれど不思議なものだ、彼女を一目見て好きになってしまったのだから。
彼女はとても不思議な存在だ。
「また近いうち遊びに行くんでしょ?」
「うん、来週…………あ、そういえば」
ふいにあることを思い出し、思わず怪訝な表情を浮かべた。
「何?」
「うん…………あいつ、凌がさ、めずらしくはりきってるんだよね」
「凌君?」
「今度はいつ店に行こうか帰りに話してたんだけど、さっそく明日行くとか突然言い出してさ。さすがにそれは迷惑だから来週まで我慢させたんだけどね」
「へえ……あの凌君がねぇ」
今日自分と一緒に古民家定食屋に行った幼馴染で友人の彼だが、明日もまた会いたいほど旧友との再会は彼にとってもよほど嬉しかったらしい。
それにしても、いつもは冷静な彼らしくない行動に母娘共々しっくりこず首を傾げた。
「食事中も上の空でさぁ……気が付けば接客でずっと周りを動き回ってる結子さんばっかり目で追ってるし、そのくせ結子さんがこっちに視線を向けると慌てて顔をそらすんだよ。失礼だから何度も注意したんだけど、結局食事に1時間近くもかかったよ」
「ふーん、何か結子さんに尋ねたいことでもあったのかしらねぇ……………お手洗いの場所とか? 聞きたかったけど恥ずかしくて聞けなかったのかしら」
「私もそうだとすぐに気付いて、トイレはあそこだって何度も教えたんだよ。でも結局最後まで我慢したみたい…………ほら、あいつ意外に潔癖なところあるから。よそのトイレは使えなかったのかもね」
「あら、凌君って潔癖症だったの? 今まで全然知らなかったわ」
「うん、知らない人が作った食べ物も駄目みたい。昔、机と下駄箱に無理やりぎゅうぎゅう詰めのチョコとかものすごく毛嫌いしてたもん。市販品も駄目みたい」
「あらあら、それは大変ねぇ、それじゃ外食もできないじゃない」
「外食は大丈夫みたいだよ。屋台のおっちゃんが作った焼きソバとか、おっちゃんが素手丸掴みでパックに詰めたたこ焼きとか平気で食べてるし」
「ふーん、つまり中年男性の手作りだったらOKってことかしら……」
「……そういえばこの前、ラーメン屋のおっちゃんの指が一瞬入ったラーメン美味しそうに食べてた」
「………………」
「………………」
「…………でも、トイレは絶対我慢しちゃ駄目よ。いくら潔癖症でも他所のトイレにも慣れなきゃ。今の寒い季節、膀胱炎の心配もあるし」
「うん、注意しとく…………あ、でもラーメン屋のトイレは大丈夫みたい。ラーメン屋のおっちゃんが入った後すぐに駆け込んでた」
「………………」
「………………」
幼馴染の彼の複雑な潔癖事情について母娘で真剣に討論していると、娘の隣からハア……と大きなため息が零れた。
「まったくこれだから超鈍感母娘は…………恋だよ、恋。恋に決まってるじゃない」
暇つぶしに1人テレビに視線を向けていたはずの弟だが、しっかり聞き耳たて一言一句逃さず姉情報をゲットしていたらしい。
突然母娘の会話に割って入ってきた。
「こい?…………鯉? 濃い? 来い?」
「違うわ。故意、よ」
こい、と聞いて一切恋を思い出せない母娘にほとほと呆れつつ、弟は再び口を開いた。
「恋とは恋愛感情の恋。つまり、凌さんは恋をしたってこと」
弟の親切な説明に母娘は白目縦線で驚愕した後、すぐさま顔を見合わせ可笑しそうに噴き出した。
「まさか、あの凌が? ありえない、あの凌だよ? あの凌が恋?」
「ふふふ、いつもおとぼけさんなんだから……」
「恋とは突然訪れるもの。食事中の上の空も明日にでも会いたいとはやる気持ちもすべて恋の成せるわざ。凌さんは今日突然恋をしたんだよ」
普段いつも退屈そうな弟のめずらしく真剣な表情で恋を語る姿に、母娘は再び白目縦線で驚愕した。
「まさか…………本当にあの凌が?」
「あらあらまあまあ、どうしようかしらねぇ……」
とうとう彼の恋を認めた母娘は、しばらくして複雑そうに表情を落ち込ませた。
「私だって凌の恋は応援したいよ…………でも、2人の友人としてはちょっと複雑、かな」
「きっとこれから先、2人のご両親も複雑な心境じゃないかしら…………もしかしたら反対なさる可能性も」
「そんなのかわいそう! せっかく凌が恋に目覚めたんだよ? 決めた、私は応援する。何が何でも私は絶対2人の味方だよ」
「そうね…………私達だけでも2人の道ならぬ恋を応援してあげましょう」
互いの目を合わせた母娘は強く頷き合い、これから先2人の味方となり共に戦うことを固く誓った。
「………………」
母娘の様子をそばで眺めていた弟は、母娘が彼の恋の相手を盛大に勘違いしていることに最初からちゃんと気付いていた。
けれどあえて訂正することはせず暇つぶしにしばらくこのまま様子を見守ろうと、再びテレビに視線を戻した。




