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(6)

 






 とあるホテルの最上階にあるフレンチレストラン。

 週末に訪れた恋人達は窓から広がる美しい夜景を眺めながら、一時のディナーを心ゆくままに楽しんだ。

 

 互いに視線を向けしばし見つめ合うと、男は黒スーツの内ポケットから取り出した小さな箱をそっと開き、静かに目の前に差し出した。


「……これ」

 瞳を見開き微かに揺らした彼女がとっさに向いの男を見つめると、男は小さく頷いた。


「俺達、付き合ってもう1年だ…………そろそろいいんじゃないか?」

「……え、どういう意味?」

 たとえ目の前に指輪を見せられても男の言ってる意味がまったく理解できず、彼女は大きく首を傾げた。

 

「……つまり、結婚しようってこと」

 最初からはっきりそう言えばいいのに、まわりくどい男のせいでたった今ようやく男の真意に気が付いた彼女は再び瞳を大きく見開いた。

 ゆっくりと手を伸ばした男は、テーブルに置かれた彼女の手をそっと優しく握りしめた。

 

「一生大切にする、俺と結婚してくれ」

 突然の男のプロポーズに、彼女は驚き茫然と男を見つめた。


 しばらくして、握る男の手からそっと離れた。


「ごめん…………私、結婚できない」

 悲しく呟いた彼女は静かにその場から立ち上がると、逃げるように男の元から去った。



 

「え…………何で?」

 残された男は指輪の箱を握り締め、彼女の後ろ姿を茫然と見送った。






 




「じゃあお母さん、ちょっと行ってきます」

 靴を履き背後に振り返ると、結子を見送る明美が突然顔を覆ってしまった。


「お母さん……」

 あまりに悲痛な明美の姿に、傍に近寄りそっと肩を撫でる。

 

「お母さん、そんなに心配しないで。きっと大丈夫ですよ」

「結子ちゃんお願い、瑞姫ちゃんを何とか説得して。じゃないとあの子……」

 涙を浮かべ懇願する明美に、結子も神妙に頷いた。

 

 

 部屋に閉じ籠ることすでに3日、新太は一度も出てこない。

 結子達家族が総出で説得しても彼は心を閉ざしたままだ。

 そして原因は間違いなく瑞姫に違いない。

 おそらくいつもの喧嘩ではなく、決定的に瑞姫に振られたのかもしれない。

 一向に部屋から出てこない新太に母親の明美は泣き通しだ。

 

「あの鈍感おバカ息子のせいで瑞姫ちゃんに振られちゃうなんて…………このまま孫の顔を見れずあの世に行くなんて、あたしゃ無念すぎて成仏できないよ」

 3日部屋に閉じ籠り食事も摂らない息子より孫が心配らしい。

 実母からも見放された新太がますます不憫でならない結子は、瑞姫説得のためようやく家を出た。 






 もちろん玄関ドアが開いた瞬間いきなり飛びつかれた結子は、なんとか吉隆を引き剥がしながら家の中に入った。


「あ、結子さんいらっしゃい。ちょっと待ってね」

「……………………」

 3日部屋に閉じ籠り食事も喉を通らない、すでに元恋人かもしれない新太の現状よりテレビゲームに夢中らしい。

 瑞姫は結子が訪ねても最終クリア達成まで少し待てと言う。



「ふう……スッキリ。おまたせ結子さん、今日は突然どうしたの? 何かあった?」

「……………………」

 最終クリア達成し満足感浮かべた瑞姫は結子が今日どうしてここに来たのかわからないほど、すでに元恋人かもしれない新太はどうでもよいらしい。

 

「結子さん、姉に期待しても無駄ですよ。なんせ超鈍感なんで自分が新太さんを振ったことさえ気付いてませんから」

 最終クリア達成まで1時間少々待ち続けた結子の隣でいつの間にかお茶を飲んで一緒に待っていた吉隆曰く、4日前瑞姫はホテルのフレンチレストランで新太からプロポーズを受けたものの、即行その場で断ったのだそうだ。

「え? わたし新太を振ったの? いつ?」

 吉隆の言う通り、超鈍感瑞姫は本当に気付いていないらしい。


「まったく、新太さんも哀れだよねぇ。身持ちが堅過ぎて家にも入れてくれない恋人と結婚すれば家に入れてくれるってようやく気付き、即行プロポーズしたものの即行振られちゃうんだからさ。完全付き合い損だよねぇ」

「吉隆!」

 姉に吠えられ、本人も姉の最終クリア達成まで待たされ暇を持て余したせいか、今日は素直に立ち上がった。

 最後にきっちり忘れずバイト料を請求し、その日吉隆は大人しく帰って行った。

 


 今日も無事姉弟喧嘩を見届け、ようやく目の前の瑞姫に真剣に向き合った。

「瑞姫さんお願い、ちゃんと理由を教えて……どうして新太を振ったの?」

「新太を振った……? だから振ったって何の事? 私がいつ?」

 結子の言っている意味がまるでわからないとばかりに、瑞姫は大きく首を傾げた。

「だって、新太のプロポーズを断ったんでしょ?」

「断ったけど、別に新太と別れてないよ」

 どうやら瑞姫は新太と結婚するつもりはないが、付き合いをやめる気はないらしい。

「……それってどういうこと? 瑞姫さん、新太と結婚したくないの?」

 結子の疑問に、突然瑞姫は信じられないとばかりに疑いの目を向けてきた。

「結子さんこそ何言ってるの? まさか、新太と今すぐ結婚しろなんて言ってないよね?」

「今すぐは大袈裟だけど…………そんなに早く結婚しちゃだめなの?」

 瑞姫に軽蔑され一気に自信を失くしてしまった結子は、自分の考えが間違っていたかとビクビク聞き返した。

「当たり前じゃないの! 最低交際期間2年、婚約期間1年は持たなきゃ絶対結婚なんてありえない!」

「……………………」


 どうやら瑞姫は近年稀なほどに古風な考えの規律正しい女性だったらしい。

 あと2年結婚お預け状態の新太に結子も激しく同情した。

 それでも幸い瑞姫が新太を振ったわけではない事実がはっきりし、結子もその日足取り軽く家に戻った。





「まったく情けないねぇ、あと2年も待たされるっていうのにすっかり舞い上がっちゃって」

 交際期間2年、婚約期間1年待てば瑞姫と結婚できると知り、3日部屋に閉じ籠っていた新太はようやく外に飛び出した。

 3日仕事放棄した店の厨房で再びはりきって働き始めた新太は、すでに元気が漲っている。

「俺はいいんだよ。いつか瑞姫と結婚できれば、それで十分」

 懐深い新太はあと2年お預け状態でも、愛する瑞姫の思いを尊重する最高にいい男だ。

 のんびり者の息子に呆れる明美もそして親友の結子も、いつもの明るい新太が戻ってきてくれて何よりだ。





「結子、店にエプロン忘れてきた。取ってきて」

「え、やだよ。めんどくさい」

 普段エプロンなど厨房に置きっぱなしのくせに、わざわざ結子を動かし取りに行かせようとする新太に素気無く断る。

「ねえお願い、お願いだからエプロン取ってきて」

「もう……しょうがないなぁ」

 部屋のベットで寝転がり趣味の漫画に耽っていた結子は必死に懇願する新太に負け渋々起き上った。

 

 土下座するくらいなら自分で取りに行けばいいのにとブツブツ文句を言いながら階段を下りていく。

 厨房の明かりをつけると、新太の置きっぱなしのエプロンを見つけ手を伸ばした。


 

「結子さん」

 ドキリと心臓を大きく鳴らした結子は、突然名を呼ばれ慌てて周りを見渡した。

 明かりのない客席に確かに人影が見えて、目を凝らし確認する。



「凌さん」

 すでに声でわかってはいたが、客席の真ん中に佇んでいたのはやはり凌の姿だった。

 ようやくほっと胸を撫で下ろし静かに傍に近寄っていくと、凌もこっちに近付いた。


「びっくりした……どうしたんですか?」

「驚かせてごめん」

 時刻はすでに夜10時過ぎ、突然店に現れた凌に理由を尋ねると、彼は謝りながらも笑みを浮かべた。


 


「結子さん、今日が何の日かわかる?」

 今度は突然質問され、しばらく沈黙してしまった結子は気まずげに俯いた。


「すみません凌さん、さっぱりわかりません……」

 彼の誕生日でないのは確かだが、今日が何の日かと問われてもさっぱり思いつかない。

 正直に謝るしかなかった。  


 


「2年前、ここで俺は結子さんに会った」

 俯く顔を上げると、凌は優しく結子を見つめた。


 

「突然現れた俺に結子さんは驚いてた。驚いて、すぐに笑った。俺はあの日突然結子さんに会った。結子さんに会って、俺は突然恋をした」

 凌は結子の手を取ると両手でそっと包み込んだ。


 

「恋をした俺はいつも結子さんに夢中だった。嫌われるのが怖くていつも脅えてた。ある日突然我慢ができなくなった俺は、結子さんに会いに毎日ここに来た。会えない日は悲しくて苦しくて、いつも店の近くで結子さんをそっと探してた。俺はいつも我慢ができない。ある日突然結子さんが家に来てくれた。俺はもっと我慢ができなくなった」

 結子を見つめる凌の目に突然不安が滲み出た。

 

「……駄目かな」

 両手で包む結子の手のひらにそっとそれは置かれていた。



 しばらく手のひらを見つめた結子は、静かに凌の手を握り返した。


「私も我慢ができないみたいです……」

 凌の手のひらにそれを返すと、自分の左手を差し出した。



「はめてもらえますか、凌さん」





 





「新年早々忙しくなりそうだねぇ」

 こたつでミカンをむきながら、なぜか明美はしみじみ嬉しそうだ。


「え、何で?」

 意味がわからず向かいの新太が問いかけると、明美は呆れ顔で息を吐いた。

「まったく、あんたはいつもボケてんだから…………結婚式よ結婚式、結子ちゃんの結婚式に決まってるじゃない」

 凌からプロポーズされたなど一言も口にしていないのに結婚式の準備に取り掛かろうとする明美に、結子は慌てて止める。

「お母さん、結婚式なんてまだまだ先ですよ。今からやめてください」

 つい昨日プロポーズを受けたばかりだというのに、あまりに気が早すぎる。 

「わかんないよ。あいつのことだから、すでに結婚式場も予約してたりして」

「あり得るあり得る。あの凌君ならやりかねない」

「もう、2人ともふざけないで下さいよ!」

 結婚話で凌をからかい始めた2人に呆れ顔で怒った。



「あ、結子ちゃん出て」

「はいはい」

 突然鳴り響いた電話の一番近くにいた結子は急いで立ち上がった。

 

『ああ結子か。お父さんだけど、来月みんなでそっちさ行ぐから』

「え……なんで」

『決まっとるべが、おめぇの結婚式だべや。凌君が昨日電話でさ言っとったぞ』

「………………………」

 すでに半年前から結婚式場をしっかり予約済みだった凌の用意周到さと素晴らしい計画性に、結子は今日もガックリうなだれ深々と痛感させられた。





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