(5)
「凌さん、あんまり無理はしないで下さいね」
2人で作ったうどんを一緒に美味しく食べ終えると、しばらく経って凌が風呂に入ると言い出した。
まだ病み上がりなのだから今日はやめておいた方がいいと止めると、絶対に入ると言ってきかない。
なんでも彼は生まれてこの方どんなに具合が悪くても、1日たりとも風呂は欠かしたことがないそうだ。
大変風呂好きの彼が今日もはりきって風呂に向かっていったので、後に続いた結子はハラハラと見守った。
「長湯せず、なるべく早めに上がって下さいね」
脱衣所のドアの前で最後に一言声を掛けると、さっきまで意気揚々はりきっていたはずの彼が、突然表情を暗く落ち込ませた。
「……結子さん、俺今日は自信ないかもしれない。まだ完全とはいかないから」
「凌さん……」
どうやら凌は毎日の風呂は絶対に欠かさないのに、やはり病み上がりの身体を心配しているらしい。
不安を浮かべる彼に、結子もどうしたらよいかわからず途方に暮れた。
「結子さんが一緒にいてくれれば安心なんだけど…………駄目かな」
「……は? 私がですか?」
突然心配だから一緒に風呂に入ってくれと頼まれ、慌てて絶対に無理だと必死に断る。
「すみません凌さん、それだけは」
「結子さん、俺とは入りたくない?」
結子しか頼れる相手がいないのに結子に素気無く断られ、凌は悲愴な表情を浮かべた。
「いえ! そういうわけではなくて…………その、あの、準備もしてきませんでしたし」
病み上がりの身体を心配する彼に、まさか恥ずかしいから一緒に入りたくないとは言えず適当に誤魔化す。
「大丈夫、俺の服を貸すよ」
「いや、でも…………替えの下着もありませんし」
女性下着ばかりは彼も替えはきかないだろう、最後の言い訳とばかりに恥ずかしくも声小さく呟く。
「大丈夫、俺が今から買ってくる」
どうやら彼は恥を忍んで自らの手で女性下着を購入するほど、どうしても結子に一緒に風呂に入ってほしいらしい。
彼の風呂への熱い情熱にとうとう結子は根負けするしかなかった。
「……下着は自分で買ってきますんで、はい」
おそらくコンビニで売っているだろうと一番近くのコンビニの場所を尋ねると、病み上がりにもかかわらず一緒に行くと言ってきかない。
身一つで来た結子はお金も持っていない事を思い出し、しかたなく一緒に女性下着を買いに行くことにした。
結局凌と並び恥を忍んで女性下着を購入した結子は、家に戻るとさっそく風呂に連れて行かれ凌と共に湯船に浸かることになった。
「結子さん、大丈夫?」
「は、はあ……」
病み上がりの凌を心配し風呂を共にしたはずが、風呂から上がりソファにぐったり横たわった真っ赤っ赤ゆでたこ状態にのぼせた結子は心配そうに凌に見下ろされた。
とにかく無事風呂好き凌を満足させ更に元気がみなぎったらしい上機嫌な彼だが、時刻はすでに11時過ぎ、一応まだ病み上がりの彼を休ませなければならない。
「凌さん、そろそろ休みましょう。今日はゆっくり眠って下さいね」
早くベットに入れとグイグイ背中を押し無理やり彼を寝かせると、上からしっかり布団を掛ける。
「私はソファにいますから、何かあったら声を掛けて下さいね」
ベットとソファはそれほど離れていないので彼の様子にもすぐに気付けるだろう。
おやすみなさいと最後に声を掛け、静かにベットを離れた。
「結子さん…………行かないで」
「は……」
ハッと息を呑んだ結子は背後からキュッと手を握りしめられ、慌てて振り返った。
ベットの上から結子に手を伸ばした凌は、寂しそうにじっとこっちを見上げている。
「俺、夜中にうなされるかもしれない…………怖いんだ」
1人では怖くて眠れないと瞳を揺らし訴えてくる凌は、まるで幼い子供のようだ。
母性本能くすぐられまくりキュンと胸を締め付けた結子は優しく笑みを浮かべ、そっと髪を撫でた。
「凌さん大丈夫ですよ。私がずっと隣にいますから」
「本当?」
「本当です。だから安心して眠ってくださいね」
凌の隣に潜り込み、いまだ不安そうに見つめてくる凌をそっと抱きしめ背中をポンポンと叩く。
「おやすみなさい、凌さん」
そっと耳元で囁くと、結子も一緒に目を閉じた。
一時睡魔に襲われていた結子は隣でガサゴソと動く気配にようやく気付き、重い瞼を開いた。
「どうしました!? 凌さん」
一緒に寝ているとばかり思っていた凌が、なぜか上体を起こし頭を抱えている。
驚いた結子は慌てて起き上った。
「結子さん、どうしよう…………今度は興奮して眠れない」
「え!? 興奮?」
どうやら結子がここに来るまですこぶる体調が悪かった凌は、無謀にも薬を大量摂取したらしい。
薬の副作用により彼の身体は興奮状態に陥ってしまったようだ。
「そんな…………一体どうすれば」
頭を抱え必死に己を押さえている凌の苦しむ姿に、解決方法を求めあわあわと慌て始めた。
「結子さん、お願いだ…………俺を助けて」
「でも、どうやって………………は!」
ハッと息を呑んだ結子は、なぜか突然凌に圧し掛かられていた。
「結子さん、俺を静めて」
その夜興奮状態の凌を静めるため、結子は己の身すべてを捧げ彼を助けた。
ひどく疲れを残した身体をようやく目覚めさせた時には、すでに翌朝9時過ぎであった。
「おはよう、結子さん」
「おはようございます…………凌さん、調子はどうですか?」
なぜか目覚めるとすでに起きていた隣の凌にじっと観察されていて、慌てて彼の体調を確認した。
「大丈夫、結子さんのおかげですっかり良くなった」
「……そうですか。それは良かったです」
自分のおかげと喜ばれ複雑な心境で顔を赤らめた結子だったが、凌のすっきり爽やかな笑顔は全快を表していてホッとした。
「結子さん、今日は休みだからずっと家にいよう」
すっかり全快したにもかかわらず、どうやらすっかり甘えたになってしまったらしい。
結子の膝にしがみつき嬉しそうに甘えてくる彼に仕方ないと息を吐き、優しく彼の髪を撫でた。
「おかえり」
「新太……」
店の玄関を開けると定休日にもかかわらず厨房にいた新太の姿に驚き、立ち尽くした。
「凌どうだった? 大丈夫?」
「うん…………もう大丈夫」
彼の具合が悪かったとはいえ彼の家に泊まった挙句ようやく夕方帰宅した結子は、気まずげに新太から目をそらした。
「新太、ごめん……」
新太が瑞姫の家に行けずにずっと落ち込んでいた事を結子が一番わかっている。
それなのに、そんな彼を置いて自分は恋人の家で今まで仲良く過ごしてきた。
新太に申し訳なくて、結子はどうしても謝らずにはいられなかった。
「結子、なんで謝るの?」
「………………」
「凌が苦しんでたんだよ。結子が傍にいなくてどうするの」
「……新太」
俯く結子の傍に近寄り、新太は優しくのぞき込んだ。
「あ、結子ちゃんおかえり」
ちょうどその時、2階から降りてきた明美が結子に気付き明るく声を掛けた。
「……お母さん、あの、昨日は」
「何も言わないの。凌君が喜んでくれたならそれでいいじゃない、ね?」
外泊した事実を謝ろうとする結子を止め、明美は気にするなと優しく慰めた。
「結子、おかえり」
「おかえり、結子ちゃん」
「新太、お母さん…………ただいま」
優しい2人の笑顔に見守られ、結子は込み上げる涙を必死にこらえ挨拶を返した。
「そうそう、それで? 突然調子悪くなったって言うけど、ちゃんと出したの? 修理」
「……え?」
「怖いわよねぇ、ここに来る途中道端で突然車がエンストしちゃったなんて。どうしても店に行けないって、凌君昨日の電話でひどく落ち込んでたわよ」
「……エンスト?……車?」
どうやら突然調子が悪くなったのは凌ではなく車だったらしい。
たった今明美から残酷にも真実を知らされ、結子はあんぐりと口を開けた。
そういえば、いつも車で送ってくれる凌が今日に限って結子をバス停で見送っていた。
結子はすっかり彼の仮病に騙されたらしい。
「結子どういうこと!? まさか車のエンストごときで凌の家に泊まったの!? 俺は瑞姫の家に一歩も入れてもらえないのに!?」
恋人には騙され新太には裏切り者と罵られ、初めての恋人自宅訪問は散々に終わった結子はガックリうなだれ騙されやすい己の未熟さを深く反省した。




