(3)
窓辺の椅子に座り外の景色を見つめながら、そわそわと落ち着きなく身体を揺らしていた。
「結子さん、こっちに来て」
背後から静かに呼ばれ、びくりと大きく跳ね上がる。
「は、はい……」
ようやく椅子から立ち上がり、かくかくと部屋の中に戻った。
小さな照明ひとつの薄暗いなか手を引かれ、布団の上にゆっくり腰を下ろす。
向かい合わせに座った凌にもはや視線さえ向けられず、俯き固く正座した。
「結子さん、そんなに固くならないで」
「はい。でも凌さん、私……」
緊張するなと言われてもそんなの絶対無理だと言い返そうとすると、凌が結子の腰を引きぎゅっとその身を抱き寄せた。
突然凌に抱きしめられ、パニックで頭がくらくらとのぼせた。
「結子さん、心臓がすごい」
「だって……」
全身に響かせる胸の鼓動は、抱きしめる凌にもしっかり伝わってしまった。
「大丈夫、俺も」
凌の胸に埋められ、結子の耳にも彼の鼓動が大きく伝わった。
「結子さん、ずっと一緒だ」
結子のもう片方の耳に触れ、彼がそっと優しく囁いた。
ぎゅっと目を閉じると、ひとつ小さく頷いた。
昨日約束した通り、早朝に旅館の庭園を2人でゆっくり散歩した。
まだ気温も低く朝の空気はしんと冷たいが、穏やかに注ぐ日の光のおかげで寒さもそれほど気にならない。
昨夜部屋の窓からゆっくり眺めた雪景色も朝こうして歩いてみると新鮮で、とても気持ちが良かった。
「ちょっと早すぎたかな。眠くない?」
「いえ全然」
朝食前のまだ早い時間、隣を歩く結子を気遣ってくれた凌に笑顔で首を振った。
「凌さんこそ疲れてませんか?」
「いや全然」
いつの間にかぐっすり快眠していた結子が今朝目覚めると、すでに起きていた隣の凌がじっと結子の寝顔を観察していた。
驚いて、いつからそうしていたのか尋ねると、ずっとそうしていたと言う。
無防備な寝顔を彼に見られた羞恥と、なぜか寝ずに見続けた彼にさすがに呆れた。
確実に睡眠が不足している彼が本当に疲れていないのか、はなはだ疑わしい。
「本当に素敵な旅館ですね。もう帰るのが残念です」
せっかくここまで来たのだからもう一度露天風呂を楽しみたかったが、結局あっという間に過ぎてしまった時間を惜しんだ。
凌は一度足を止め、触れる結子の手に優しく力を込めた。
「またいつでも来れるよ。結子さんの実家も近いんだから、そのついでに」
「……はい」
優しく見つめる凌の言葉に、結子は照れながらもしっかり頷き返した。
朝食を済ませ荷物を纏めると、世話になった森本に感謝を伝えた。
どうかまた絶対2人で来てくれと固く約束させられ、快く頷き別れの挨拶をした。
帰りの新幹線に乗り込み、乗り換えまでしばしの道中ゆっくり身体を座席に預けた。
余裕を持ち旅館を早めに出たので、午後の早い時間には無事家に帰れそうだ。
「結子さん、今日は遅くなっても大丈夫?」
「はい、特に問題ないですけど……」
「よかった。じゃあ次降りるから」
「……は?」
乗り換えまで後しばらくかかるとゆっくり構えたばかりなのに、隣の凌が次の停車駅でまたすぐ降りると言い出した。
「ほら、急ごう」
「は、はあ」
突然降りるからさっさと準備しろと急かされ、意味不明のまま慌てて身支度を整える。
急げ急げと手を引かれ、あっという間に再びホームに降り立った。
「ここは…………は!」
突然降ろされた駅名を確認する前に傍にあったキオスクのご当地土産が目に入り、ようやくここがどこなのか気付かされた。
「ついでだから、結子さんのご両親に挨拶して帰ろう」
偶然にも旅先が結子の故郷に近いからという理由で、突然凌がにっこり笑って結子の実家に立ち寄ると言い出した。
素晴らしく計画性のある彼の予定には、最初から結子の実家訪問は組み込まれていたらしい。
すぐに諦めの息を吐いた結子は、相変わらず用意周到な彼に最初から敵うはずもないのだ。
突然帰省予定のない娘が家に現れ、しかも娘が大変な男前を連れてきたとあって両親はおろか兄夫婦、ちょうど家に集まった親戚と一斉大騒ぎになった。
今まで一度たりとも男の気配を見せなかった結子の行き遅れを内心はひどく心配していたらしい。突然家にやってきた男前を死んでも逃がしてなるものかと家族一同俄然はりきり出し、ここぞとばかりに気が早くも結婚話を持ち出し始めた。
慌てて止める結子を尻目になるべく早くと必死に懇願する家族に、凌もひどく同情したのか快く頷き承諾してしまった。
一気にヒートアップした家族は泣いて大喜びし、親戚一同交えドンチャン騒ぎの大宴会が始まった。
泊まっていけと引き止める家族を無理やり宥め、なんとか凌と共に実家を逃げ出す。
再び新幹線に乗り込むとぐったり疲れ果て、隣の凌には申し訳ないがいつの間にか深い眠りに落ちていた。
「やった。さすが結子、忘れてなかったんだ」
ついでに立ち寄ったばかりに実家では苦労したものの、そのおかげで新太に頼まれていた地元のご当地土産を無事買って帰ることができた。
新太とご両親に旅の報告をすると、テーブルに並べたお土産の中からめざとくそれを見つけた新太は嬉しそうにガサゴソ食べ始めた。
「家族はみんな元気だった?」
「うん、相変わらず…………新太はどうだった? 牧場」
「バッチリ。瑞姫も喜んでくれた」
どうやら無事新太瑞姫カップルも牧場のジンギスカンデートを満喫できたらしい、新太もニコニコ笑って上機嫌だ。
「まったく情けないねぇ。近くの牧場で大喜びしてるようじゃ、結婚なんていつになることやら……」
すでに孫を期待している明美は、ハア……と複雑そうに息を吐いた。
「ちょっとは結子ちゃん見習いなさい。凌君と一泊旅行兼ねて実家にまで立ち寄り、すでに挨拶まで済ませてきたんだから」
「お、お母さん……」
今回ばかりは絶対バレていないとすでに安心しきっていた実家帰省偽り温泉一泊旅行が、なぜか明美にはすでにバレていた。
あんぐりと口を開け驚く結子のマヌケ面を見つめ、明美は今度は呆れ顔で息を吐いた。
「当たり前じゃないの。このお守りに書いてあるじゃない、神社名」
「…………あ!」
このくらいじゃバレやしないだろうと鷹をくくり新太家族の分も購入してきたお守りの裏には、旅先で立ち寄った神社名がばっちり記されていた。
「結子どういうこと!? もしかして俺に嘘ついて凌と一泊旅行してきたの!? 俺は近くの牧場で我慢したのに!?」
明美には呆れられ新太には裏切り者と罵られ、旅の締め括りは散々に終わった結子はガックリうなだれ深く反省した。




