(2)
「じゃあ結子、気を付けてね。いつものやつよろしく」
わざわざ駅前まで車で送ってくれた新太は笑顔で結子を見送った。
「……新太も楽しんできてね、牧場」
内心複雑な心境の結子の言葉に、新太も嬉しそうに頷いた。
外泊禁止のため正月休みの北海道旅行は実現しなかった新太瑞姫カップルだが、今日これから近くの牧場へ行きジンギスカンを楽しむらしい。
北海道には行けなかったが、瑞姫と無事仲直りできて新太は大喜びだ。
そんな新太の姿に、まさかこれから結子は凌と温泉旅館で一泊しますなんて口が裂けても言えず、新太家族には実家に帰省だと嘘を吐き誤魔化した。
純粋に結子を信じている新太から毎回結子が帰省時買って帰るご当地土産までしっかり頼まれ、なおさら罪悪感で良心が痛む思いだ。
結子を降ろし去っていく新太の車を見送り、足早に駅構内に向かった。
「結子さん、こっち」
「お待たせしました」
改札口の近くですでに待っていた凌の掛け声に気付くと、傍に駆け寄った。
行き先はここよりも寒いので普段よりかなり着込んでいる結子に対し、凌は軽めのコートに荷物も小さいボストンバック程度で身軽な出で立ちだ。
「ここで待ち合わせしなくても家に迎えに行ったのに、何で?」
「どうせここまで近いですし時間も省けるじゃないですか。あ、先輩の方にお土産買っていきましょう」
何故と言われても決まってる、凌に家まで来られたんじゃ当然新太家族に結子の実家帰省嘘がばれるからだ。
頑なに迎えを遠慮したのだが、理由を知らない凌は大変不満そうだ。
適当に誤魔化し、改札口隣のお土産売り場にそそくさと向かった。
凌の元同僚先輩が跡を継いだ温泉旅館は北関東方面でありここからはけっこうな距離があるので、新幹線を2度乗り換え片道4時間程度要するらしい。
凌の言う通り日帰りでは余裕がないだろう。
正月の帰省ラッシュとも重なり新幹線の車内は満席状態だったが、凌は結子の承諾を得る前からすっかりその気だったらしい。長い道中過ごしやすいようにグリーン車をかなり前から予約済みだった。
相変わらず用意周到だと感心しつつ、気を利かせてくれた彼に感謝した。
「午後一にはあっちに着くから、少し観光してから旅館に行こうか」
「そうですね。どこに行きましょうか?」
隣同士の座席にゆったり腰を落ち着け、今後の予定を決める事にする。
特に下調べもしなかったのでその土地の観光名所も詳しくなく、とりあえずスマホで検索しようとすると凌がすでに用意してくれたガイドブックを渡された。
2人で一緒に眺めながらあれこれ話し始めた。
「わあ、すごい雪」
新幹線を乗り換え無事目的地の駅に到着すると、外は結子の住む土地には見慣れない雪が至る所に大きくかたまっていた。
幸い今日は雪の降る心配もない晴れやかな天候で、気温も暖かかった。
「結子さん、少し歩くから気を付けて。はい」
「はい……」
隣の凌にはいと手を差し出され、照れくさくもはいと差し出す。
凌とは会えば手を繋ぐのも当たり前となったが今だ慣れるまでには到らず、恋愛初体験の結子はその度に恥ずかしく赤くなってしまう。
結子のそんな反応がおもしろいのか、凌は手を繋ぐ時は必ずはいと手を差し出してくる。
2人で雪の残る歩道を気を付けながらゆっくり歩き始めた。
すっかり遅くなってしまった昼食に駅近くにある蕎麦屋でここでは名物の蕎麦を頂き、店を出ると駅から出ている周遊バスに乗り近くの観光名所を2つほど周ることにした。
初詣ではなく年末詣となったが結子も名を知っている神社で参拝を済ませ、ついでにお守りをいくつか購入し、最後におみくじも楽しむ。
再びバスに乗り、ガイドブックで結子が興味を示した某お菓子テーマパークに向かった。
正月休みという事もあり観光客で混雑していたが特に予約制ではなく、製造工程を順に見学した後手作り体験を楽しみ、調子に乗って試食もあれこれ楽しんだ。
大変有意義となった観光を済ませると時刻はすでに夕方近く、ようやく旅館に向かうことにした。
「まさか軽い冗談で言った社交辞令を真に受けるなんて…………今まで全然気付かなかったけど、お前って律儀な奴だなぁ」
有名老舗旅館の跡を継いだ凌の元同僚先輩の森本は、遥々遠くから訪れた凌に改めて驚きしみじみ感動し始めた。
「当たり前ですよ。森本さんには大変お世話になりましたから」
凌が入社当時、森本に指導係として面倒を見てもらったのだそうだ。
今だ森本を大切な先輩として敬い慕う凌の言葉に、森本はさらに感動し瞳を潤ませた。
見た目がっちりと熊さん体型の森本だが感受性が豊かで人当たりも良く、とても優しそうな人だ。
1年程前会社を辞めその後すぐに結婚し、これから子供も生まれる予定だそうだ。
「しかもいつの間にか彼女まで作って一緒に連れてきてくれたなんて…………お前も一応は興味あったんだなぁ」
今度はひたすら感心し始めた森本は、しばらく会わなかった後輩の成長に感慨深げにしみじみ頷いた。
「結子さん、今日はわざわざ遠くまでこいつと一緒に来てくれてありがとう。こいつはちょっと周りが見えなくて行き過ぎることもある困った奴だけど、どうか途中で見捨てず最後までよろしく頼むよ」
「そ、そんなとんでもないです。私の方こそ凌さんには迷惑かけてばかりで…………森本さん、今回はお世話になります」
後輩を頼むと森本に大袈裟過ぎるほど深々お辞儀されてしまい、プレッシャーを感じつつ恐縮しながら挨拶を返した。
「わあ…………絶景ですねぇ」
案内された部屋の窓から庭園を見つめ、思わず感嘆した。
すでに外は暗いがライトアップされ、冬ならではの雪景色は大変美しく幻想的だった。
なんでも森本がわざわざ遠くからやってくる凌の為に一番良い部屋を割り当ててくれたらしい。
気を遣ってくれた森本に再び感謝しつつ、しばらく2人並んで外の景色を眺めた。
「結子さんの地元もここからそう離れてないよね。毎年雪は凄いの?」
「ここほどではないですけど、やはり冬は苦労しますね。雪かきも欠かせませんし、私は車通勤で会社も遠かったんで朝は特に大変でした」
隣の凌に尋ねられ、2年前までいた当時を思い出す。
今日訪れたこの県は結子の故郷とも近く、気候も似ている。
初めての場所でもなぜか懐かしさを覚えるのは、雪の多い景色のせいかもしれない。
「今日はもう遅いから無理だけど、明日の朝起きたら外を散歩しようか」
「は、はい……」
優しく視線を向ける凌の言葉に、明日の朝も彼と一緒なのだと改めて実感させられる。
1人意識しすぎて顔が赤くなってないかと心配になり、隣の凌からさりげなく背を向け誤魔化した。
「結子さん」
「は……」
ハッと息を呑んだ結子はカチンコチンに身体を固めた。
突然、背後から凌がそっと結子を抱きしめた。
凌の息遣いを耳元で直に感じ取り、ボンッと爆発音を上げ結子の顔は一気に真っ赤っ赤ゆでたこ状態だ。
「結子さん、こっち向いて」
残酷にも、凌はゆでたこと化した結子に自分に振り向けと言う。
「は、はい……」
己がすでにゆでたことは今だ気付いていない結子は、愚かにも素直に凌の求めに応じてしまった。
ふるふると身体を震わせながら背後の凌になんとか振り返った。
「結子さん、顔真っ赤だ……」
するどくゆでたこを指摘した凌は結子の顔を愛おしげに見つめ、両手で頬を包み込んだ。
すでに緊張と羞恥の限界を超えぎゅっと目を閉じると、凌は結子の熱い唇にそっと優しくキスをした。
食事の前に風呂に行き、各自冬の露天風呂をゆっくり堪能する。
有名老舗旅館の檜露天風呂にのびのび浸かり、周りの雪景色を眺めながら一時の贅沢を楽しんだ。
風呂上りに凌と廊下で待ち合わせし、感想を言い合いながら部屋に戻った。
気持ち良く湯に浸かりすっかり気持ちも落ち着いた結子だったが、部屋に入った瞬間すでに2組の布団が綺麗に敷かれている状態に気付き、呆然とその場に立ち尽くした。
気まずげに布団からさっと目をそらすと、そらした先が偶然にも凌の顔だったせいで、気まずくも互いはバッチリ目を合わせた。
カチンと硬直し顔をそらすこともできず凌の目を凝視する結子に対し、凌はあからさまに結子から視線をそらすと素っ気なく背中さえ向けてしまった。
「座ろうか」
「は、はあ……」
今度は別の意味で大変気まずくなった結子はギクシャクとテーブル前に腰を下ろした。
なぜか突然凌に冷たくされ、テーブルに並べられた豪勢な食事を味わいながら同時に気まずい沈黙も味わった。
黙々と口を動かしつつさり気なく向かいの凌をチラ見するも、彼は視線も向けてくれなければ結子に意識すら向けてくれない。
ただ静かに目の前の食事だけに集中している。
さすがに不安が募り始めた結子はいつの間にか彼の気に障る事をしてしまったかと、さっきまでの自分の行動を改めて振り返り始めた。
結局振り返るまでもない、確実に原因はゆでたこだろう。
あまりにも結子が見苦し過ぎて、どうやら彼はすっかり引いてしまったらしい。
追討ちをかけるように、ハア……と向かいから深くて長いため息が漏れ、結子はビクリと身体を震わせた。
「あ、あの凌さん、すみ……」
「ごめん」
ゆでたこですみませんと潔く詫びようとした結子に代わって、なぜか凌が謝った。
まさか食事中に別れ話を持ち込まれるとはさすがに思ってもおらず、ショックのあまり一瞬で顔色を失くした。
「ごめん結子さん…………実は俺、緊張してる」
「緊張……」
ゆでたこじゃなくて? と念を押ししつこく確認したかったが、どうやら彼は本当に緊張しているらしい。
よくよく見れば彼の頬は微かに赤く染まっていた。
幸い嫌われたわけではなかった事実に深く安堵した結子は、同じように頬を赤らめ俯いた。
「私もすごく緊張してます。初めてですから……」
恋人と旅行初体験の結子にとって、今こうして凌と向かい合っているだけでも胸が騒がしい。
けれど緊張しているのは結子だけじゃないとわかり、少し嬉しくもなった。
「……本当? 初めて?」
「はい」
「一度も?」
「はい」
「絶対? 俺が初めて?」
「はい、凌さんとが初めてです」
結子の旅行経験がとても気になるのかしつこく確認されたので、しっかり笑顔で肯定する。
「そっか…………よかった」
凌は結子の旅行経験ゼロ発言に安堵を浮かべ深く息を吐いた。
「結子さん、食べようか」
「はい」
すっかり気を持ち直したらしい、とても嬉しそうに笑う彼が再び食事を始めたので、頷いた結子も箸を持ち直し美味しく料理を食べ始めた。




