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「な…………また!」

 化粧室の鏡の前でバックをのぞき込むと目を見開き驚愕した。

 

 とうとう今回ですでに10度目だ。

 気が付けば自分の知らぬ間に見覚えのない異物がさりげなくバックの隙間に挟まっている。

 ブルブルと恐怖に震える指先でそっと摘み上げると、案の定いつものそれだった。


 一体誰がどこで、どうして、どうやって…………

 顔面蒼白でブツブツと洗面台に手をつき苦悩していると、突然ハッと閃き目の前の鏡を見つめた。

 

……あいつだ。こんな事ができるのはあいつしかいない!


 とうとう異物混入10度目にしてようやくやっと犯人を突き止め、鏡に映った見目麗しい形貌は跡形もなく消え去り、化粧室から一気に飛び出した。






「遅かったね…………ぎゃ! 般若!」

 笑顔で愛する恋人を迎えたはずなのに、突然自分の前に立ちはだかったのは不幸にも般若だった。

 よくよくじっくり見れば般若瓜二つの彼女だったことにようやく気付き、ほう……と深く安堵した。


「どうしたの? そんな怖ろしい顔して」

「……正直に白状しろ。これをやったのはあんただね!?」

 周りの恋人達がお茶を楽しむお洒落カフェにもかかわらず、テーブルを激しく叩きつけた。

「あ、やっと気付いた?」

「な……!」

 よくもいけしゃあしゃあと!

 異物混入という卑劣な行為で驚かせた張本人が、テーブルに叩きつけられた異物を見て嬉しそうに笑い始めた。

「で、これどうかな?」

「な……!」

 陰湿に異物混入10回繰り返したにもかかわらず、反省するどころか嬉しそうに異物を自分に勧めてきた。

「ふざけるな! もうあんたとは別れる!」

 捨て台詞を叩きつけ、お洒落カフェをズカズカと立ち去った。



「え…………何で?」

 まったくわけがわからず突然別れを突きつけられ、呆然とその場に1人取り残された。









「まったく情けないねぇ、いい若いもんが休日2人揃ってデートにも行かずコタツでゴロゴロゴロゴロと。あー情けない情けない」

 突然茶の間の襖を開け嫌味だけ言ってすぐさま襖を閉めた明美の言う通り、コタツで寝転がりみかんを食べながら趣味の漫画に耽っていた結子は仕方なく上体を起こした。

 どうやらだらしない結子のせいでとんだとばっちりを食らったらしい、茶の間の隅で体育座りの膝に顔を埋めている新太にようやく気が付いた。

 確か昨日の夜からずっとそうしていたような気もするが、どうやらまだそこにいたらしい。

 最近しょっちゅうその恰好なので、慰めはおろかすでに飽き飽きしてしまった結子は気にもしていなかった。


「えっと……新太どうしたの? なにかあった?」

 結子のとばっちりを食らった罪滅ぼしとして、とりあえず理由を尋ねてみる。

 ようやく結子に気付いてもらえてやはり嬉しかったのだろう、一瞬ピクリと反応した。

「一体何があったの新太。私に話してみてよ、ん?」

「結子……」

 傍に寄り添い優しく問いかけると、ようやく新太は膝から顔を上げた。


「実は、瑞姫が……」

「瑞姫…………あ!」

 新太が瑞姫の名を呟いた途端大きく反応した結子は、急にあわあわと取り乱し始めた。

「新太ごめん! 私これから大急ぎで買い物行かなきゃいけないんだった。話はまた後で」

「……買い物? 本当に? 瑞姫の家じゃなくて?」

 突然立ち上がり慌ただしく出掛ける準備を始めた結子をひどく訝しがり始めた。

 疑いの目を向け背後にへばりついてくる新太に構っている暇はなく、なんとか振りきり玄関を飛び出した。





 だらしなくコタツに浸かっていたせいで瑞姫との約束をすっかり忘れていた結子は、10分遅れ程度でなんとか瑞姫の家に到着した。


「えっと……瑞姫さんどうしたの? なにかあった?」

 昨日の夜、突然明日家に来いと呼び出され何事かと思ったが、新太同様揃って仲良く様子がおかしい。瑞姫はテーブル前に正座しひどく項垂れ落ち込んでいた。

「一体何があったの瑞姫さん。私に話してみてよ、ん?」

「結子さん……」

 傍に寄り添い優しく問いかけると、ようやく瑞姫はこっちに顔を上げた。

 

「実は、新太が……」

「新太…………あ!」

 瑞姫が新太の名を呟いた途端大きく反応した結子は、急にあわあわと取り乱し始めた。

 急いで傍に置いたバックからスマホを取り出すと即行電源OFFにする。


「それで、新太が一体どうしたって?」

 気を取り直し改めて瑞姫と向かい合うと、落ち込む彼女に再び優しく問いかけた。

「せっかくの正月休みを利用して旅行に行こうとさりげなくほのめかされるものの当然まったく気付けず、バックに10回にもわたって旅行パンフレットを忍ばせアプローチされるもののしまいには嫌がらせと勘違いし、勢い任せに別れを宣言したもののつい5分前ようやく彼の真意に気付き只今絶賛大後悔中」

 詳しく瑞姫の落ち込み事情を説明してくれたのは、いつの間にか結子の隣に存在し結子をビクリと震わせた瑞姫の弟・吉隆だった。

「結子さん、お茶でもどうぞ」

「吉隆君……」

「吉隆……あんたいつの間に」

 結子にお茶を持ってきたついでに自らも結子の隣でお茶を啜り始めた吉隆は、大のお気に入りである結子が訪れる時は必ず自宅に待機し一目散に飛びついてくる相変わらず暇持て余し気味現役大学生だ。

 姉の男事情に大変詳しい吉隆の話によると、瑞姫は正月休みに新太にさりげなく旅行に誘われたもののまったく気付けなかったどころか勘違いをした挙句、最後は別れを宣言してしまったらしい。

 どうりで昨日から新太が激しく落ち込んでいたわけだ。

「まったく、超鈍感姉貴を彼女に持つ新太さんは大変だよねぇ。どんなに頑張ってもまったく気付いてもらえないどころか最後はいつも決まって別れ話に発展しちゃうんだから。結子さん、こんな超鈍感姉のことはこの際放っておいて僕と映画でも観に行きません?」

「え……映画?」

「吉隆!!」

 なぜか突然映画に誘われ戸惑っていると、向かいの瑞姫が突然怒り始めた。

 姉の怒りに仕方なく結子を諦めた吉隆は手に持ったお茶をテーブルに置くと、隣の結子に笑顔で振り返った。

「じゃあ結子さん、ごゆっくり。帰りは当然僕が送りますから」

「は、はあ……」

 姉の落ち込み事情を説明したついでに結子をナンパしつつようやく部屋から出て行った吉隆を見送ると、再び瑞姫に視線を戻した。

「瑞姫さん、新太に旅行誘われたんだ。それで? その嫌がらせと勘違いするほど10回もバックに忍ばされたパンフレットってどれ?」

 直接面と向かってはっきり言わなければ絶対気付かない超鈍感瑞姫にそんなまわりくどいことをするから誤解されるのだ。

 今だ彼女の扱いをまるでわかっていない新太に呆れつつ、旅行パンフレットを見せてもらうことにした。

「うん、これなんだけど……」

 おずおずとテーブルに差し出されたパンフレットをまじまじ拝見する。


「ふーん……北海道ジンギスカン食べ放題の旅か」

 新太もなかなか良いチョイスをしたじゃないか。

 ジンギスカンはこってり好き瑞姫の好物の1つだ。

「いいじゃない北海道。仲直りついでに是非行ってきなよ」

 新太に賛成し旅行を勧めると、突然瑞姫が信じられないとばかりに疑いの目を向けてきた。

「結子さん今なんて言ったの? まさか北海道に行けなんて言ってないよね?」

「え、言ったけど。いいじゃん北海道」

 北海道の何がいけないんだとキョトンと問いかけると、瑞姫は激しく首を振り全否定する。

「北海道だよ? 北海道。移動だけで半日潰れちゃうじゃない」

「まあ……確かにそうかもしれないけど」

 半日は大袈裟だが、ここから一番近い空港まで行き飛行機に乗るとなると、移動だけでもある程度時間はとられるだろう。

「往復だけで1日潰れちゃうじゃない! それじゃジンギスカン食べられないよ」

「はあ……? 別に日帰りじゃないんだから、ジンギスカン食べる余裕は十分あるはずだよ」

「結子さん…………まさか、泊まりがけでジンギスカン食べろなんて言うんじゃないよね?」

 瑞姫はありえないとばかりに軽蔑の目を向けてきた。

「ちょっと待って瑞姫さん。何で? 泊まっちゃだめなの?」

 瑞姫にひどく軽蔑され一気に自信を失くしてしまった結子は、自分の考えが間違っていたかとビクビク聞き返した。

「当たり前じゃないの! 結婚前の男女が外泊旅行なんて、そんなの絶対ありえない!」

「……………………」


 どうやら瑞姫はとんだ箱入り娘だったらしい。

 貞操観念の著しく高い瑞姫が過去の彼氏とうまくいかなかったのも今なら十分理解できる。

 結婚までしばらくお預け食らった新太に結子も激しく同情した。


 

「……あれ? 瑞姫さん、もしかしてスマホ鳴ってない?」

 どこからか微かにバイブ音が聞こえ、おそらく瑞姫のスマホが鳴っているのだろうと問いかけた。

「あれ? 本当だ」

 結子に教えられようやく気付いた瑞姫は、ジーンズのお尻ポケットに入れておいたスマホを取り出した。

 超鈍感な瑞姫はやはり微振動くらいでは気付けないらしい。


「げ…………あいつからだ。しかもすでに着信30回」

 すでに切れてしまった電話の着信履歴を確認し嫌悪に顔を歪めた瑞姫は、すぐさま結子に視線を向けた。

「結子さん、もしかしてスマホ切ってる?」

「あ、うん」

 新太があまりにもしつこいので、さっき慌てて電源OFFにした。




ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポ…………




 ちょうど同じタイミングで突然今度は玄関ベルが激しく鳴り響いた。


「連続30回着信直後に迷惑玄関ベル高速連打………………絶対あいつだ!」

 超鈍感なくせに結子が今だ謎なあいつの気配には超敏感な瑞姫は瞬時に確信し、勢いよく部屋から飛び出した。 





 

「あれ……凌さん」

 1人呑気に階段を下りていくと、玄関前で瑞姫・吉隆姉弟と突然現れた凌が対面していた。

 なぜか両者の間にはバチバチと火花が飛び散り、激しく睨み合っている。

 

「ちょっと! 一体あんたここまで何しに来たのよ!」

「どうせしつこくてしぶとい凌さんの事だから、突然結子さんと連絡がつかず結子さんの家にまで押しかけて、最終的にここまで辿り着いたんでしょ。結子さんもとんだ災難だよね、こんなしつこくしぶとい束縛系凌さんをうっかり間違って彼氏にしちゃって」

 瑞姫・吉隆姉弟の大変辛辣な対応にもまったくへこたれない凌は突然勝手に家の中に上がり込むと、なぜか一気に階段を駆け上がり一気に駆け下りてきた。

 その手にはしっかり結子のバックを握り締め、廊下の隅でポカンと様子を見つめていた結子の手を引っ張ると勝手に結子に靴を履かせ始めた。


「おい吉隆、休日そんなに暇持て余して困ってるならバイトするなり彼女作るなりどうにかしろ。今後金輪際死んでも結子さんに飛びつくな」

 毎回必ず結子に飛びついてくる吉隆に鋭く説教した凌は、今度は吉隆の隣の瑞姫に視線を向けた。

「お前も喧嘩するたび一々結子さんを呼び出すな。近くのジンギスカンが食える牧場にでも誘ってさっさとあいつと仲直りしろ」

 どうやら結子に構ってもらえなかった新太は、最終的に家を訪れた凌に泣きつき相談したらしい。

 外泊禁止の恋人同士にはごもっともなアドバイスだ。

 凌の反撃に図星をつかれた姉弟の隙をつき、凌は結子を奪い取り一瞬で玄関から消え去った。





「結子さん何度も言ったよね? あいつの家に行く時は必ず俺に連絡してって」

「は、はあ…………すみません」

 車に乗り込みすぐさま発進させた凌は、しばらく走らせると突然路肩に止まり突然結子を叱り始めた。

 なぜか結子の瑞姫宅訪問をひどく嫌がる凌にとりあえず謝りはしたが、言う事を聞くつもりはまったくない。

 真面目に彼に連絡などすればおそらく絶対に行かせてはもらえない。

 けれどまさか瑞姫の家に押しかけてまで結子を連れ去るとは思ってもなく、内心げんなりと息を吐いた。

 

「それで、私になにか用事でもありました?」

 休日の今日突然瑞姫宅へ訪問が決まり断るわけにもいかず、申し訳ないが凌には用事があると適当に誤魔化したのだが、自分に急用でもあったのかと尋ねた。

「ちょっと確認したい事があって電話したんだけど、結子さん正月は帰省しないって言ってたよね?」

「はい、夏に帰ったので正月はこっちにいますけど」

 結子の実家はここから離れているので、年に一度夏か冬どちらか帰省している。

 正月は新太家族と過ごす予定だ。

「正月休みに一緒に行きたい所があるんだけど、いい?」

「はい、もちろんです。どこですか?」

 結子もそのつもりだったので、改めて確認され快く承諾すると場所を尋ねた。

「元同僚の先輩が実家の跡を継いで去年会社を辞めたんだけど、一度遊びに来いってうるさいんだ。行ってみない?」

「はい、凌さんがよければ私は大丈夫ですけど……」

「じゃあ決まりだ。よかった、断られるかと思った」

 結子と一緒に行くことになり大袈裟なほど喜ぶ彼の様子を見つめ、結子も一気に気持ちが明るくなった。


「お正月楽しみにしてます。先輩の方のご実家は何を?」

「地元では有名な老舗温泉旅館だって」

「温泉旅館……」

「ここからは遠いし、当然一泊するから」

「一泊……」

「結子さん、楽しみだね」


 ついさっきまで傍観していた外泊旅行が突然自分の身に降りかかり、けれど隣ですっかりその気になっている凌の喜ぶ姿に結局何も言えなくなった結子は、正月休み凌と2人温泉一泊旅行に旅立つ事となった。

 




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