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「……うーん」

 茶の間のテーブルに肘をつきスマホの画面と睨めっこしながら小さく唸ると、向かいの新太がずいと顔を近づけてきた。

「瑞姫、なんだって?」

「……うーん」

「うーんじゃなくて、何?」

 イライラと急かされ、ようやくスマホから顔を離した。

「忙しいから今週も無理だって」

 不安げに見つめられ言いにくくも事情を話すと、新太はガックリ落ち込みテーブルに額を擦り付けた。

 


 


 最近、瑞姫が多忙らしい。

 先週、恒例の店で集まる予定を突然仕事の都合でキャンセルとなり、今週はどうかとさっきラインで確認すると無理だと返事が戻ってきた。

 なんでも最近夜中まで連日残業続きで、それに加えて突然父親がぎっくり腰になってしまい、そんな時に突然母親が旅行に出掛け家事一切をこなさなければならず、ついには昨日突然弟がインフルエンザでダウンし絶対目が離せないらしい。

 ぎっくり腰の父親も夏の季節まったく流行っていないインフルエンザを患った弟も不憫だが、夜中まで残業し家の事情も一手にこなさなければならない瑞姫はどれだけ過酷なんだと、結子はこのままでは彼女が過労で倒れてしまうんじゃないかと心配で仕方がなかった。

「瑞姫さん、本当に大丈夫かなぁ……」

 超多忙な瑞姫にすぐさま手伝いに行くと申し出ると、即行ラインで絶対来るな心配するな大丈夫だと、普段はものぐさで絶対使わないスタンプ連打してまで明るく振舞ってきた。

 そんならしくないことをされれば、ますます懸念が募るものだ。

 

「……嘘だ」

 今だテーブルに額を擦り付けたままボソリと呟いた新太に、ひとつ呆れの息を吐いた。

「新太……まだそんなこと言ってんの? 瑞姫さんがうちらに嘘なんて吐くわけないじゃん」

 数日前突然父親がぎっくり腰になったと報告がきた辺りから、新太は嘘だ嘘だと瑞姫をまったく信用しようとしない。

 超多忙な瑞姫が今週店に来れるはずもないのに、まったく信じない新太はさっきだって無理やり結子に確認しろとしつこくへばりついてきたのだ。

 嘘下手で正直者の瑞姫が嘘など吐けるはずもないのに、そんな彼女をひたすら嘘つき呼ばわりする新太に結子もうんざりだ。



「……結子、俺行ってくる」

 突然立ち上がった新太は、さっそくガサゴソ出掛ける準備を始めた。

「は? どこに?」

「決まってる、瑞姫の家だ」

「え!? でも瑞姫さん、絶対家にだけは来るなってしつこく5回も連続ラインしてきたんだよ? さすがに行ったらまずいんじゃ……」

 瑞姫がこんなにも結子の自宅訪問を嫌がっているのだ、逆に迷惑をかけるかもしれないと慌てて引き止める。

「あいつが絶対家に来るなってことは絶対家に隠し事してますってことだよ。直接この目で確かめてくる」

「ちょ、ちょっと待って新太! 私も行くよ」

 勢いよく茶の間を飛び出してしまい、結子も慌てて後を追いかけた。






 

「ここ?」

「うん」

 勢いよく家を飛び出したものの瑞姫の家の住所をまったく把握していなかった新太に尋ねられ、呆れながら肯定した。

 ただいま車中で瑞姫の自宅前を張り込み中だ。

 すでに以前瑞姫に誘われ3度ほど訪問経験がある結子だが、新太は中学時代も現在も一度も来たことがないらしい。

 家からわずか離れた路肩にとりあえず車を止めると、新太は中の様子をソワソワ気にし始めた。

「瑞姫、家にいるかな……」

「今日は休日だし、家族の看護もあるんだからいるはずだよ。行く?」

「…………うん」

 すでに家の前まで来たのだ。せめて瑞姫の様子を確認してから帰ろうとすっかり意気込む結子に対し、なぜか新太はここにきてすっかり逃げ腰気味だ。

「瑞姫さんが心配なんでしょ? ほら、早く行くよ!」

「…………うん」

 すでに車から外に出て待っている結子にさっさと降りろと急かされ、ようやくノロノロと車から出てきた。

 



「……あ」

 玄関門を開け中に入ろうとすると、背後にいた新太が小さく呟いた。

 なぜかこっちではなく別方向を見つめる新太に、結子もとっさに彼の視線の先を目で追った。

 

 たった今瑞姫の自宅手前に止められた1台の車から、偶然にも瑞姫本人が降り立った。

 玄関前にいる結子と新太にようやく気付いたのか、瑞姫は呆然とこっちを見つめ立ち尽くした。

 同じくその場に立ち尽くした結子と新太は、たった今車から出てきた瑞姫ではなく、車の運転席にいる男性の姿を呆然と見つめた。


「……新太……結子さん……」

 瑞姫はあからさまに表情に脅えを浮かべ、2人の名を呟いた。



 

 しばしその場に立ち尽くした3人だったが、突然隣の新太がふらりと背を向け歩き始めた。

「あ…………新太」

 とっさに呼びかけた結子の声にもまったく気付かないのか、さっさと自分の車に戻ってしまう。

 すでに結子の存在さえ忘れてしまったらしい、新太は車に乗り込むと勢いよくその場から走り去ってしまった。


「……………………」

 すっかり存在を忘れられ悲しくもその場に置き去りにされた不憫な結子は、呆然と去っていく車を目で追いかけた。

 いくら目で追いかけても当然戻ってきてくれるわけもなく、潔く諦め再び背後の瑞姫に振り返った。


「……瑞姫さん」

 結子が小さく呟くと、瑞姫は気まずげに視線をそらした。







 どうやら結子はすっかり瑞姫に騙されたらしい。

 ぎっくり腰を患っている父親が庭先でゴルフの素振りに腰を振り、旅行に出ている母親がバタバタと忙しそうに家の家事を真面目にこなし、インフルエンザで寝込んでいる弟が勢いよく廊下を元気に駆け下りてきた。

 連日残業続きで家事情一手に引き受けている瑞姫は、ついさっき男性の車に乗りデートから帰宅だ。

 真実を目の当たりにしてようやく瑞姫の嘘に気付いた結子は、新太があれほど彼女を嘘つき呼ばわりした気持ちを今ようやく理解した。


「ごめん、結子さん……」

 瑞姫の部屋に入りテーブル前に向い合うと、しばらく沈黙していた瑞姫が突然土下座で謝ってきた。

 一向に顔を上げない彼女にたまらず息を吐く。

「……瑞姫さん、もうわかったからいい加減顔上げてよ。何か事情があったんでしょ?」

 瑞姫に避けられた事実はショックだったが、根っから正直者の瑞姫が家族を巻き込んでまで嘘を重ねたのだ。それ相応の深い事情があるはずだ。

 結子に優しく問われようやく顔を上げた瑞姫だったが、変わらず表情は暗いまま口を開こうとしなかった。


「ねえ、瑞姫さん…………さっきの人は誰?」

 沈黙を貫く彼女におそらくは答えてもらえないだろうが、聞かずにはいられなかった。

 ひどくショックを受け帰ってしまった新太の為に、あの男性の存在を知らなければならない。

 結子の問いかけに一瞬動揺し瞳を震わせた瑞姫だが結局何も話そうとはせず、結子も諦めの息を吐いた。

 

「会社の同僚の橋本さん、28歳。入社当時の3年前からさり気なくアプローチされていたものの当然まったく気付けず、最近とうとう痺れを切らした橋本さんに面と向かって告白され、すぐに断ったもののとりあえず一度だけでいいからデートしてくれと懇願され、試しに出掛けてみたものの只今絶賛大後悔中」

 詳しく瑞姫の男事情を説明してくれたのは、いつの間にか結子の隣に存在し結子をビクリと震わせた瑞姫の弟・吉隆だった。

「結子さん、お茶でもどうぞ」

「吉隆君……」

「吉隆……あんたいつの間に」

 結子にお茶を持ってきたついでに自らも結子の隣でお茶を啜り始めた吉隆は、以前初めてここに訪問した際なぜかすっかり結子を気に入ってしまったらしい、毎回訪れるたび一目散に飛びついてくる暇持て余し気味現役大学生だ。

 姉事情に大変詳しい吉隆の話によると、瑞姫は同僚の男性に告白されるもすぐに断り、今日一度限りデートに応じただけらしい。

 特に男性と付き合っているわけではなかった事実にとりあえず結子も安堵した。

「どうせ超鈍感姉貴のことだから、ずっと好きだったくせに当時はあまりにも近すぎて自分の気持ちにまったく気付けず、ここ最近ようやく自覚したんでしょ。自覚した途端、今度は俺と父さんを病気にしてまで必死に避け始めるし。橋本さんも気の毒だよね、姉貴の気まぐれにぬか喜びさせられて」

「……え、どういうこと?」

「吉隆!」

 吉隆の話に疑問を浮かべると、向かいの瑞姫が突然怒り出した。

 姉の怒りに仕方なく話を止めた吉隆は手に持ったお茶をテーブルに置くと、隣の結子に笑顔で振り返った。

「じゃあ結子さん、ごゆっくり。帰りはもちろん僕が送りますから」

「は、はあ……」

 姉事情を暴露するだけして部屋から去っていってしまった吉隆を見送ると、再び向かいの瑞姫に視線を戻した。

 結子にじっと見つめられ、瑞姫はあからさまに慌てて目をそらした。

 嘘下手で正直者の彼女だ、さっきの吉隆の話はすべて真実なのだろう。


「瑞姫さん、好きな人がいるの?………………もしかして、私も知っている人?」

 ドクドクと心臓の鼓動を大きく響かせながら、結子は緊張を滲ませ問いかけた。



 瑞姫が自分の気持ちに気付けないほど近くにいた人。

 それってまさか………………。




「凌さん?」


 結子に問われ、瑞姫は一瞬目を大きく見開いた。

 しばらくして諦めたようにひとつ息を吐く。



「……うん」


 静かに顔色を失くした結子は、ただ呆然と彼女の姿を見つめた。

  

  



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