(16)
絶対に凌と花火に行けとあれだけ脅してきた新太と明美親子だが、直後の結子の一喝が相当堪えたのかピタリと静かになり、なんと花火大会当日の今日になっても親子は一切花火関係を口にしない。
潔く諦めたらしい親子をひどく訝しがりながらホッとするものの、凌と花火を見る約束は変わらない。
とりあえず閉店後店の駐車場で待ち合わせることになったが、親子になんて言い訳し出掛けようか1人悶々と苦悩していた。
「あれ、どうしたんですか?」
夕方6時過ぎ、夕食の準備の為すでに2階に上がったはずの明美がなぜか夫・高次を引き連れ、再び店に戻ってきた。
「じゃあお父さん、よろしくね」
「おう任せとけ。結子ちゃん、気を付けて行っておいで」
「は?…………はあ」
なぜか明美は高次に結子の変わりを頼むと、快く引き受けた高次に笑って見送られてしまった。
「ほら結子ちゃん、さっさと2階に行って準備しないと遅れるよ」
「いや、まだ6時過ぎだし……」
「何言ってんの結子、女の子は時間がかかるんだから。ほら早く」
いきなり明美に早く行くぞと強引に手を引っ張られ、厨房からわざわざ出てきた新太にまで追い立てられる。
結子が今日花火に行く予定をすでにしっかり入手済みだった親子に急かされ、仕方なく引っ張られるまま2階へ上がった。
「なんですか、これ」
いきなり服を脱がされそうになり必死に抵抗しながら、目の前に見せられたそれを驚きに見つめた。
「浴衣よ、見たことない?」
「いや、見たことはもちろんありますけど…………まさか」
無理やり服を脱がされそうになり浴衣を見せつけてきたってことは、当然明美は結子にそれを着させるつもりらしい。
「嫌です、絶対無理」
浴衣なんて子供の時以来一度も着たことがない。
しかも明美が用意したそれは白地に赤の花模様が大変可愛らしいものだった。
すでに20代半ばの自分には若すぎる、似合うはずがない。
「大丈夫、結子ちゃんに絶対似合うから」
「浴衣なんて大袈裟過ぎますよ。どうせ河原までは行きませんし」
凌とは近くの公園で花火を見る予定なのだ。
浴衣なんて着ていったら大袈裟過ぎだと笑われてしまう。
「……結子ちゃん、たとえ近くの公園だって同じよ。せっかく凌君が花火に誘ってくれたんだから、ちゃんとお洒落するのが礼儀、ね?」
「……………………」
凌に誘われ近くの公園で花火を見るなんて一言も口にしていないのにすべてを悟っている明美に優しく説得され、しばし沈黙する。
どうせこの明美に敵うはずがないのだ。潔く諦めの息を吐いた結子は着ていた服を渋々脱ぎ始めた。
「こんばんは、お待たせしました」
約束時間の7時半5分前、すでに店の駐車場で待っていた姿におずおず近づくと俯きながら挨拶する。
「……………………………」
長いこと沈黙されてしまい、とうとう堪り兼ねた結子は仕方なく顔を上げた。
茫然とこっちを見つめる凌に不安を浮かべると、ようやく我に返ったらしい。さりげなく視線をそらされた。
「……ごめん、まさか結子さんが浴衣で来るなんて思ってなくて」
ボソリと呟くように謝られ、後悔と恥ずかしさに一気に頭に血が上った。
やっぱり結子の思った通りだ。
近くの公園如きで大袈裟だと引かれてしまったではないか。
「ありがとう、結子さん」
そらした視線をようやく戻した凌の顔は微かに赤く、結子の姿をじっと見つめた。
幸い呆れられたわけではなかったらしい、思わずほっと安堵の息を吐いた。
再び恥ずかしさが込み上げながらも嬉しそうな彼の様子に、ほんの少しだけ浴衣を着せてくれた明美に心の中で感謝した。
「始まったみたいだ」
「本当だ」
店の駐車場から歩き始めてすぐ、大きな打ち上げ音と共にひとつ花火が夜空に咲き散った。
花火会場の河原はそう離れていないので、ここからでも十分迫力があり圧巻だ。
凌と肩を並べ、空を見上げながらゆっくり歩いた。
近所の住人が自宅前で花火を楽しんでいる姿を通りがかりに見かけたが、訪れた小さな公園には人気もなく、花火目当ての先客はいないようだ。
わずかな外灯だけだが、近くで打ち上がる花火のおかげもあり十分明るかった。
幸い端に置かれたベンチから真正面で花火を眺められ、並んで腰を下ろした。
「ここの花火は初めて?」
「いえ、去年は家の前で見ました。凌さんは毎年どこで?」
「去年は会社の屋上、一昨年はどこだったかな…………学生の頃はよく瑞姫に付き合わされた」
昔は瑞姫と連れ立って河原まで花火を見に行ったらしい。
大混雑の会場内で結局花より団子の瑞姫と散々出店に並ばされ、さすがに辟易したという。
瑞姫と2人で行動すれば余計目立つので、おそらくそのせいもあるのだろう。
当時を思い出したのか顔を顰めた凌に、内心おかしくなり笑ってしまった。
「結子さん、食べながら見よう」
凌は一緒に持ってきた袋から中身を順に取り出し、ベンチの真ん中に置いていく。
「もしかして、わざわざ河原まで?」
凌が持ってきてくれたのは、明らかに出店で買ったとわかる軽食だった。
おそらく結子を迎えに来る前に、前もってわざわざ買いに行ってくれたらしい。
「今日は河原までは行けなかったけど、祭りの雰囲気だけでも楽しめるし。結子さんがどうしても食べたいってこの前新太が教えてくれた」
「新太が……」
あいつ、なんて余計な事を…………
目の前のたこ焼きと焼きそばを見つめ、羞恥に顔が熱くなった。
「わざわざありがとうございます。じゃあ遠慮なくいただきます」
箸と一緒にお茶も差し出され、有難く気持ちを受け取り美味しく食べ始めた。
年に一度の花火を楽しみながら出店のたこ焼きを食べ、今日の慣れない恰好も気にしなければならない。
大変忙しいがせっかく明美が用意してくれた浴衣だ、ソースで汚すわけにはいかず気を付けながらたこ焼きを頬張った。
「今日の恰好はおばさんが?」
さりげなく浴衣を気にしている結子に、いつの間にか凌が視線を向けていた。
「はい、もちろんです。私1人では着られないので」
浴衣の着付けもそうだが、普段はひとつ結びしている結子の肩下程の髪も綺麗に編み込みで結い上げられ、髪飾りまで付けてくれた。
大変器用な明美のおかげで最後に鏡で確認した自分の姿は意外にも見られるものだった。
明美の言う通り、若すぎる浴衣も幸い違和感なく少しほっとした。
「浴衣は結子さんの?」
「いえ、おばさんがわざわざ用意してくれたみたいです。私もついさっき見せられてびっくりしました」
自分も驚いたが、先ほど凌もかなり驚かせてしまった。
改めて隣の凌に浴衣を尋ねられ、やはり大袈裟過ぎたかと再び若干不安が過った。
「浴衣なんて小さい時以来なんで」
「…………本当に?」
「はい」
「一度も?」
「はい」
「絶対?」
「……はあ」
結子の浴衣経験がそれほど気になるのかしつこく確認されたので、怪訝に思いながらも肯定する。
「そっか…………そうなんだ」
結子の浴衣経験ゼロ発言になぜか安堵を浮かべ息を吐くと、再びこっちを見つめた。
「似合ってる」
「いえ、そんな」
「可愛い」
「……………………」
突然始まった凌の褒め殺しにもはや上を向いて花火どころではない、耐えきれず膝の上のたこ焼きを見つめた。
膝のたこ焼きばかりをじっと見つめる結子が気になったのか、凌はわざわざ顔を寄せ結子の顔をのぞき込んだ。
「可愛い」
そっと髪に触れられ、結子の顔はますます赤く色づいた。




