(15)
凌と一緒に出掛けた森林公園の帰り、これからも凌と会うと頷いた結子だったが、来週の約束には用事があるとその場でとっさに誤魔化した。
彼には申し訳ないができるなら2人で会わない方がいい、のらりくらりとこれから先も用事を言い訳に断り続けることが、卑怯にも一番最善に違いなかった。
近所に住む町内会長が店にやって来たのは夕方5時過ぎの頃だった。
対応した明美と5分程談笑し挨拶を交わすと、そのまま店を出て行った。
「新太、これ表に張っといて」
明美はちょうど客席に座っていた新太に頼むと、夕食の準備をするためそのまま2階に上がっていった。
頼まれたものの一向に動く気配を見せない新太はテーブルにそれを広げ、マジマジと真剣に見つめている。
「何?」
遠目に彼を見つめ少しばかり気になった結子は、わざわざ厨房を抜け出し傍に近寄った。
「結子、これどうかな?」
近づいた途端ガバリと顔を上げると、ずいと結子の目の前に広げて見せた。
「ふーん……花火か」
勢いよく見せられたのは、先ほど町内会長から預かった今月末に町主催で行われる花火大会の宣伝ポスターだ。
近くの河原で毎年打ち上げられる花火は地元住民にとっては大きなイベントで、間近で見られるため大変迫力があり遠くからわざわざ訪れる観客も多く、毎年大盛況らしい。
昨年は行けなかった結子だが、店の外からも花火を眺める事ができたので十分楽しめた。
「結子、どうする?」
「……そりゃまあ行きたいけど、店があるし無理じゃない」
毎年決まって土曜日開催の花火大会は、昨年も店を理由に行けなかったのだ。
どうやら新太はすっかり忘れているらしい。
「その日の夜はお母さん達に任せればいいじゃん、ね?」
店主が責任放棄の親任せ発言にすぐさま呆れ果てた。
「ちょっと、新太はこの店の主だよ? いい加減過ぎない?」
「たまにはいいじゃん。出店のたこ焼きとか焼きそばとか、意外に美味いよね」
「…………まあ、たまにはいいよね。たまには」
たこ焼きと焼きそばがどうしても食べたいんだと我儘言う新太にしょうがないなあと渋々了承した結子は、彼と喜びを共感するため仕方なく付き合う事にした。
「やった! さすがは結子、大好き!」
「ふふ……もう新太ったら」
結子と一緒に花火に行けるとすっかり浮かれはしゃぐ新太の姿を微笑ましく見つめ、結子も今月末の花火大会に向けウキウキと気持ちが弾み始めた。
「瑞姫、今月末の花火大会に俺と結子で行く予定なんだけど、良かったら3人で一緒に行かない?」
どうやら結子は好餌扱いだったらしい。
ついさっきあれほど結子と一緒の花火を喜んでいた新太は、向かいに座る本命の瑞姫をちゃっかり誘い始めた。
呆れて白い目を向ける結子を完全無視の新太は、本命瑞姫にすっかり夢中だ。
「花火?」
瑞姫は今月末に行われる花火大会を知らなかったらしい、突然新太に誘われキョトンと問い返した。
「うん、俺と結子で行くから瑞姫もどう? 3人で」
何気に結子と3人を強調する新太は、結子を餌にして瑞姫と花火を楽しもうと魂胆が見え見えだ。
あからさまな魂胆に気付かないのはおそらく超鈍感瑞姫くらいだろう。
呆れながらも様子を見守っていた結子だが瑞姫の隣の凌の存在に改めて気付き、気まずげに隣の新太の服を引っ張った。
(ちょっと新太)
今日共に店に来た瑞姫だけを誘って凌を無視するなんて失礼じゃないかと表情咎め、アイコンタクトで注意する。
(いいから、結子は黙ってて)
すぐさまアイコンタクトで黙ってろと怒られ、それ以上何も言えなくなった。
そんな2人の穏やかでない様子を、向かいの瑞姫はじっと見つめた。
「新太ひどい…………結子さんが怒るの当たり前だよ」
「「……え?」」
アイコンタクトで揉めていた2人は突然新太に怒り始めた瑞姫を慌てて見つめた。
「結子さんと一緒に行くのに勝手に私を誘うなんて、どうかしてる。ちゃんと結子さんに謝りなよ」
「え?…………ちょっと待って、え?」
確かに結子を好餌扱いした新太はちょっとどうかと思うが、本命は瑞姫なのだ。
誘わなければ好餌になった結子の意味がまったくない。
意味がまったくわからない新太が戸惑いながら問い返すと、瑞姫はさらに表情を険しくした。
「本当にわからないの? 新太鈍感」
とうとう愛する人に鈍感扱いされてしまった新太はショックで茫然としてしまった。
「ちょ、ちょっと待って瑞姫さん。確かに新太はちょっと鈍感な所もあるけど、私は全然気にしてないよ。だからそんなに新太を責めないで、ね?」
「結子さん、私のせいでごめん…………私、今日はもう帰るね」
「……は?……え?」
瑞姫に今度は突然自分のせいだと悲しく謝られ、突然帰る準備を始めてしまう。
茫然自失の2人を置いて、瑞姫はさっさと店から出て行ってしまった。
彼女と一緒の車で来た凌は仕方なく立ち上がると、2人は共に帰って行った。
ついさっき愛する瑞姫に鈍感宣告され、てっきり茶の間の隅で体育座りの膝に顔を埋めていると覚悟していたが、新太は意外にも気丈だった。
テーブルに帳簿を広げ睨めっこしている。
「………………」
傍に座りつつ声掛けを躊躇っていると、しばらくして新太はようやく帳簿から目を離した。
「新太……きっと瑞姫さん、何か勘違いしちゃったんだよ」
実際瑞姫が何をどう勘違いしているのかさっぱりわからないのだが、おそらくそうだと曖昧に慰めると、新太がこっちに向き直った。
「別に俺、落ち込んでないよ」
「……新太」
「俺には落ち込む資格なんてないんだ…………瑞姫の言ってることは正しいよ。最初に結子を誘ったのに俺の勝手で瑞姫を誘うなんて、瑞姫が呆れるのも無理ないよ。ごめん結子」
自分の身勝手な行動で結子に嫌な思いをさせたと謝る新太に、結局結子は何も言えなくなってしまった。
「そういうわけで俺は店に出るけど、結子は行ってきなよ。花火」
「……え?」
いつもの明るい調子で花火に行って来いと勧められ、意味がわからずポカンと問い返した。
「だから花火、結子は行きなよ」
どうやら新太は自分は行かないから1人で行ってくればと結子を見放したらしい。
「ちょっと待ってよ。私だって行かないよ」
さっき瑞姫に怒られ当然一緒に行くことは叶わず、すでに花火への情熱を失った新太の気持ちはよくわかる。
結子だって同じだ、すでにその気はない。
「なんで? 結子たこ焼きとかすごく楽しみにしてたじゃん。俺の分も楽しんできなよ」
「あのさ、1人で行ったって楽しめるわけないじゃん。寂しいだけだよ」
「だったら凌に連れてってもらえば? 2人で行ってくればいいじゃん」
「……はあ?」
あまりに身勝手すぎる新太は結子を好餌にしたものの結局瑞姫は釣れず、反省の色を見せておいて自分が花火に行きたくないからと最終的に凌を持ち出し責任を押し付け始めた。
「そうよ結子ちゃん…………鈍感おバカ息子の事は私に任せて、結子ちゃんは凌君と花火を楽しんできなさい」
「……お母さん」
いつの間にか隣にいた明美にそっと手を握られ、優しく説得される。
「そういうわけだから、結子は店休んで絶対凌と花火ね」
「結子ちゃん、絶対凌君と行ってきなさいよ。絶対ね」
「……2人とも、何勝手なこと言ってるんですか!」
無理やり凌に結子を押し付けようとするはた迷惑な親子に、さすがに結子もとうとうブチ切れた。
「無理なこと言わないでください! 別に誘われてもいないのに一体どうやって一緒に行けっていうんですか! 私もう寝ますから!」
はた迷惑親子に説教し怒りに茶の間を出て行くと、ドカドカ自分の部屋に向かって行った。
ピンポ―――ン…………
階段前を通り掛かり、突然玄関チャイムが静かに辺りに響いた。
すでに夜10時過ぎ、一体こんな遅くに誰だと怪訝に思いながら、とりあえず1階に降りていく。
「遅い時間にごめん」
玄関引戸を開け驚いた結子に、済まなそうに一言詫びる。
突然家に現れたのは、ついさっき無理やり結子を押し付けられそうになった張本人、凌だった。
「……いえ、どうしました? 忘れ物ですか?」
おそらくさっき瑞姫を送りすぐ引き返してきたのだろう、一体何用なのかと疑問を浮かべた。
「話があるんだけど、ここでいい?」
「え?」
どうやら凌は結子に話があってわざわざ戻って来たらしい。
ここで話してもいいかと問われ、すぐさま慌てた結子は急いでサンダル引っ掛け外に飛び出した。
「良かったらこっちで話しましょう」
また明美に盗み見されたらたまったもんじゃない。
凌を引き連れ、そそくさと家の裏に回った。
「ええと、話とは……」
こんな遅くに来て話なんてよほど急用か、それとも瑞姫とその後何かあったのかもしれないと、少し緊張しながら先を促した。
「うん。さっきの花火の事なんだけど、新太はどうするって?」
わずかに懸念の表情を浮かべた凌は、どうやら瑞姫に怒られた新太を気にして戻って来てくれたらしい。
「店がありますし、花火は結局行かないことになったんです」
「そっか…………とりあえず心配で戻って来たんだけど」
「……凌さん、わざわざありがとうございます。新太は大丈夫ですよ、元気です」
新太を心配し気遣ってくれた凌に安心するよう笑みを浮かべた。
「結子さん、新太が行かないなら俺が付き合うよ。一緒に行こう」
「……え」
「どうせ行く予定だったんだし、いいよね?」
ついさっきまで傷心だろう新太を懸念していた凌が、突然結子を花火に誘い始めた。
あまりの切り替えの早さについていけず暫し呆然となった結子だが、すぐに我に返り慌てて首を振った。
「いえ、無理です。店がありますし」
「閉店は7時半だから、ちょうど花火が始まる時間だよ。十分間に合う」
「いや、でも、遅くに行くと大変混雑してますし」
「結子さんは人混みが苦手だから無理はしないで、この近くの公園で見ようか」
「いや、でも、新太が」
「新太は元気なんだよね? だったら心配はいらないはずだよ」
「………………」
どれだけ結子が言い訳しても相変わらずまったくへこたれない凌に、思わず呆れてしまった。
「結子さん、笑った」
とうとう呆れを通り越してしまった結子は凌に嬉しそうに指摘され、慌てて顔を引き締めた。




