(14)
せっかくの凌の厚意を無下にはできないと苦しい程に腹膨らませ、美味しい弁当を食べすぎた。
満腹のあまり相変わらず座ったまま全然動かない結子の隣で、凌は食べ終わった弁当箱を手際良く片付け始めた。
「ちょっと多く作り過ぎたんだけど、結子さんがいっぱい食べてくれて良かった」
ちょっと多く作り過ぎたらしい弁当を残してはいけないと頑張って完食した結子に、凌は女性に対してはちょっとどうかと思う褒め言葉を悪気なく捧げ完食を喜んだ。
「はは…………ご馳走様でした。大変美味しかったです」
平然を装い同じく笑みを浮かべると、重くなった腹を抱えよいしょとその場から立ち上がる。
「もう行ける?」
「はい、大丈夫です。行きましょう」
腹ごなしをする為さっそく午後の行動に意気込むと、シートを片付けてくれた凌と共に再び動き始めた。
午後は予定通り散策コースを歩くので、スタート地点前まで辿り着くと再びガイドマップを見つめコースを選び始めた。
「あんまり長いと帰りも遅くなるし、3kmコースにしようか」
「そうですね。じゃあ行きましょうか」
万年運動不足なので無理なくちょうど良い距離だろう、3kmコースの矢印方向へさっそく歩き始めた。
いつも帰りの時間を気にしてくれる凌だが、以前結子が彼に買い物ついでにお茶に誘われた時、断る口実にした嘘の言い訳を今だ信じているのだろう。
実際は早く帰る必要などまったくないし、連絡さえすれば外泊しようと文句は言われないはずだ。
文句どころか万が一外泊なんてした日には、明美など泣いて喜び赤飯を炊き始めるかもしれない。
凌の誤解をあえて訂正しないことに罪悪感を覚えつつ、それも仕方ないと思うのも本音だった。
林の奥に向い一本続く小道は歩きやすいように舗装されているが、途中途中ある段差は不揃いで足元に注意を向けゆっくり歩を進めた。
「気を付けて。疲れてない?」
「いえ、大丈夫です。普段こんなに歩く機会がないのでちょうど良かったです」
ペースを気にしながら歩を合わせてくれる凌の気遣いに頷き答える。
「結子さん、この前は自転車だったけど車は?」
「以前は乗ってたんですけど、ここに来てからはあまり必要ないので」
「本当に? ここは田舎だから車がないと不便だよね」
「そんなことないですよ。私が住んでた地元はもっとずっと田舎でしたから」
「そうなんだ」
意外だったのか凌は興味深げに少し驚いた。
「うちは農家ですし、家の周りは田んぼばっかりなんです。近くにコンビニもないんで、買い物は車を30分走らせてやっとスーパー1つあるくらいです」
結子の故郷に比べれば店も多く人も多い今の場所は田舎程でもなく、自転車で十分助かるものだ。
以前勤めていた会社は自宅からかなり距離があったが今は自宅兼仕事場だし、新太の車があるので買い物もまったく困らない。
「ここよりずっと田舎か…………いつか行ってみたい」
「田舎が好きですか?」
まだ年齢も若いのに不便な田舎を好むとは奇特だ、めずらしさに少し驚き尋ねた。
「特にそういうわけじゃないけど、結子さんの田舎には興味がある。俺が行きたくなったら結子さんに案内してもらえる。いい?」
わざわざ結子の顔をのぞき込み確認してくる凌に、まるで行く時は一緒に行こうと誘われているかのようで、冗談とはわかっていても内心本気で困ってしまった。
「私なんて楽しい所も知らないし、きっと役には立ちません。新太ならずっと物知りだから……」
焦るあまりしまいには困った時の新太を持ち出し責任を押し付けてしまった。
「結子さん、そこは危ない」
「え?」
危ないと突然真剣に止められて、とっさに足元に視線を向ける。
確かに段差がある。注意を向けなければ転ぶ可能性もある。
「ほら、気を付けて。行こう」
「は、はあ……」
確かに危険な段差だが、これまで何か所もこんな段差を通り過ぎたはずだ。
つまずくほどドジではない結子の手をわざわざ取ってまで気遣ってくれた凌は、再び先を歩き始めた。
今だ状況についていけない結子の手は、なぜか離したくても離せないほどぎゅっと固く握りしめられた。
手を圧迫され一気に状況に追いつくと、急激に戸惑いと焦りとついでに汗まで滲み始める。
突然凌に手を繋がれどうしようどうしようと困惑しながらも、この状況からどう逃れようか必死に頭をグルグル働かせた。
いくら段差が危ないからとはいえ恋人同士でもない男女が仲良く手を繋ぎ歩くなんて、完全行き過ぎている。
ここははっきり言葉にして、すぐに離してもらった方が最善かもしれない。
けれど万が一彼の親切心を傷つけることになれば、結子の良心もひどく痛むはずだ。
離してほしいが傷つけたくない葛藤に苦しみ、結局それ以降言葉にできず、そのまま彼に手を取られ歩き続けた。
たいして心配する必要もない安全な散策コースに不安と焦りばかり募らせ、ようやく最初のスタート地点まで到着した。
ホッと深く息を吐くと、すぐさま辺りをキョロキョロ見渡す。
「凌さん、私ちょっとそこに行ってきます」
幸いにも近くにあったトイレを指さすと、さりげなーく自然を装い繋がれた手を離す。
たいして行きたくもないトイレにもう一瞬も我慢できないとばかりに駆け込んだ。
自分でも今までまったく気付かなかった持ち前の演技力を遺憾なく発揮し彼の親切心を傷つけず離れることに成功した結子は、逃げ込んだトイレの個室で思い切り息を吐き出した。
ほんのわずかな時間だが凌と離れられて強い安堵を感じている自分がいる。
無意識に、結子は彼と繋がっていた手に視線を向けた。
さっきまでぎゅっと握られていた手のひらは、しばらく経っても彼の感覚が残ったままだった。
ゆっくり歩いたせいか思いのほか時間を要したらしい、3km散策コースを選択してやはり正解だった。
時間は3時過ぎ、ちょうど帰宅の頃合いだ。
「そろそろ帰ろうか」
「そうですね…………ええと、どっちから来ましたっけ」
慣れない場所で方向感覚も乏しく、その場で辺りを見回し正面入口方向を探す。
「こっち」
「あ、はい」
広い園内にもかかわらず凌はしっかり来た道を把握しているらしい、彼に教えられ再び歩き始めた。
そういえばガイドマップには、確かにボートを楽しめる池があると記載されていたはずだ。
ボート乗り場の脇を通り掛かり、結子は思わず首を傾げた。
正面入口方向に歩いているのだから行きに一度通った道のはずなのに、ただ自分が鈍感過ぎなのか今初めてボート乗り場の存在に気付いた。
家族よりもどうやらカップルに人気があるらしい、2人乗りのボートに乗る男女が4組ほど楽しんでいる真っ最中だ。
「ちょうど通り掛かったんだし、ついでに乗っていこうか」
「え……」
ただ今ラブラブカップル率100%、万が一にも今日誘われなくて本当に良かったと安堵した矢先、ついさっき帰ると決めたはずの凌がなぜか突然ボートに乗ろうと誘ってきた。
彼の心理がまったく理解できずポカンと立ち止まった結子だが、すぐさま我に返りすでに歩き始めた凌を必死に引き止める。
「すみません凌さん。もう時間も遅いので帰らないと」
「大丈夫。帰りは高速に乗るから十分間に合うよ」
「………………」
素晴らしく計画性のある彼の行動に感心するあまり言葉さえ失くしてしまった結子を置いて、凌はさっさとボート乗り場に行ってしまった。
最後にちょうど前を通り掛かったばかりに周りのラブラブカップルにまぎれ凌と向かい合わせでボートを楽しむことになった結子だが、凌の言っていた通り帰りは高速道路に乗ったので行きにかかった半分程の時間で済み、無事予定時刻に家に辿り着くことができた。
本当は家からやや離れた場所で降ろしてもらいたかったが正直にお願いするわけにもいかず、今日も店の駐車場に車は止められた。
「今日は本当にお疲れ様でした。またお店で」
別れの挨拶は極シンプルに、過去2度の失敗を踏まえ余計な言葉を付け足さずあっさり済ませる。
「うん、結子さん来週はどうする? 空いてる?」
一切脈絡なく今日は突然来週の約束をぶつけられ、しかもいつの間にか彼にとって結子と会うことは当たり前になりつつある物言いだ。
一瞬呆気にとられはしたがこれが良い機会だと覚悟を決め、ちゃんと彼と向かい合った。
「凌さん、あのですね…………もう2人で出掛けるのはちょっと」
大変言いづらくやんわりと曖昧に、来週の約束を断る。
「どうして?」
当然納得できなかったらしい、即座に理由を問われた。
「誤解されると思うんです。凌さんと私は一応男女なので」
「誤解されて困る相手は誰?瑞姫?」
凌の言う通り確かに1番は瑞姫なのだが、するどい彼の声に険が含まれていて結子は一瞬黙ってしまった。
「……あいつが結子さんに、俺とは会うなって止めたの?」
「いえ、そうじゃないです。瑞姫さんは言ってません」
このままではやばいことになるとすぐさま感じ取り、慌てて否定する。
凌は今、とてつもなく怒っている。
「瑞姫さんは、凌さんと私が2人で出掛けた事を知っても何も言いませんでしたし、ちゃんと理解してくれました。本当です」
今凌を止めなければ、おそらく瑞姫と凌は今までのような友人同士ではいられなくなる。
彼の怒りを静めるため、仕方なくまた嘘を吐いた。
「あいつがわかってくれたなら、特に問題ないよね」
優しい声に、俯いた顔をようやく戻した。
「そうだよね、結子さん」
ついさっきまでの怒りを隠した凌は表情を和らげ、結子をのぞき込んだ。
優しく見つめる彼の目に小さな不安を見つけた結子は、ただ小さく頷くことしかできなかった。
「ただいま………………げ」
落ち込みながら玄関引戸を開けた結子は、廊下で腕を組み仁王立ちで待ち構える新太に衝撃を受け、恐怖にたじろいだ。
「新太、まさかずっとそこに……?」
確かに今朝結子が家を出る時も同じ格好でそこにいたはずだ。
ということは…………8時間近くもそこで結子を待ってたってこと!?
どんだけ暇なんだと、あまりにしつこい新太にすぐさま呆れ果てた。
「そんなわけないじゃん。おかえり」
どうやら結子の勘違いだったらしい。偶然通り掛かっただけの新太はあっさり背を向け、さっさと茶の間に戻ってしまった。
「……………………」
静かにテーブル前に腰を下ろすと、向かいの新太は夕食前にもかかわらずボリボリ菓子を頬張りながらつまらなそうにテレビを見つめている。
今朝あれだけあやしいあやしいとひたすら訝しがりへばりついてきた筈なのに、今の新太は一切こっちに視線を向けず結子よりもつまらなそうに見つめるテレビの方が大事らしい。
結子としては喜ぶべきことなのだが、一切気にされないのも逆に不気味なものだ。
「えっと…………新太、何も聞かないの?」
聞かれても一切答える気などないくせに新太に放っておかれるとなぜか気になって仕方ないという面倒くさい性格の結子は、たまらず自ら墓穴を掘った。
自分の事をほんの少しだけ気にかけてくれと見つめてくる結子の我儘すぎる期待に、新太は仕方なく渋々テレビから視線を外した。
「別に聞かなくてもわかってるし。どうせあいつでしょ?」
「…………な」
なんで……!
すべてお見通しの新太に驚愕すると、新太は呆れ顔でひとつ息を吐いた。
「遊びに行くにしても、結子はこっちに友達なんて俺以外瑞姫しかいないじゃん。その瑞姫じゃないとしたら残る可能性はただ1人、りょ」
「わ―――――――――――――」
大声でシャットアウトし、新太の口を無理やり塞いだ。
「モゴ、モゴモゴモゴ!?(ちょっと、一体何なの!?)」
「わかった、わかったから。いい? この事は絶対内緒だからね」
「モゴ? モゴ?(内緒? 誰に?)」
「そんなの決まってるじゃん」
あんたの実の母親、明美に決まっとるだろうが。
固く口止めすると、ようやく塞いだ手を離した。
「ちょっと結子ちゃん! 今朝私のタンス勝手にあさったね!? まさか、またあんな変てこりんな恰好して出掛けたんじゃないでしょうね!?」
「お、お母さん……」
突然茶の間に突入し激怒する明美には、すでに変装3点セットをタンスから盗み出した事がバレていた。
「今度あんな格好して出掛けたら私が許さないよ! 恥をかくのは隣の凌君なんだからね!」
「お、お母さん……」
もちろんどこかで盗み見していたらしい明美にこっぴどく怒られ、結子はガックリ肩を落とし深くうなだれた。




