(13)
「……そこで何やってんの?」
突然静かに尋ねられギクリと身体を硬直させた結子は、恐るおそる背後に振り返った。
ひどく訝しげな表情を浮かべた新太がじっとこっちを見つめていたので、すぐさまタンスの引き出しを閉め慌てて立ち上がる。
「別に、何でもないよ」
ドアの前に佇む新太の脇をすばやく通り抜け、バタバタと部屋を後にした。
「あやしい」
そのまま玄関に直行し靴を履く結子にしつこく食いついてくる新太は、今だ訝しげに結子の背中を見つめた。
「は? 何が」
「結子明らかに今日あやしいよね。早朝からずっとソワソワ挙動不審だし絶対俺と目合わせないし、しまいにはお母さんのタンスあさってるし」
あやしいあやしいと早朝からひたすらあやしがる新太に、さすがに結子も頭に来た。
「新太しつこい! 私はいつもと変わらない! いい加減にしてよもう!」
「背中見せながら怒られたって全然説得力ないんだけど」
「……………………」
廊下に立つ新太に背を向け玄関ドアに向かって怒り始めた結子の挙動不審過ぎる態度を、決して新太は見逃してくれなかった。
訝しがる新太にすっかり足止めくらい慌てて駐車場に走っていくと、幸いまだ到着していなかった。
時間を確認しても、まだ約束の20分前だ。
ホッと息を吐き、再び急ぎ足で歩き始めた。
背後を振り返りようやく家が見えなくなると、道路脇に寄り立ち止まった。
ここまでくれば見つかる心配はないだろう。
とりあえずそこで待っていると、しばらくして見慣れた車がこっちに向かって走ってくるのを遠目に確認した。
「結子さん、早いね。どうしたの?」
目の前に止まった車の窓にお辞儀しそのまま助手席に乗り込むと、凌はわずかに驚きを交えこっちをのぞき込んだ。
「特に何もないです。ちょっと早く家を出てしまったんで、歩いて待ってようかと」
「そうだったんだ。待たせてごめん」
すでに家から100m程先まで歩き途中で待っていた結子に済まなそうに謝りながらも、なぜか凌の表情はとても嬉しそうだ。
「いえ、私こそいつも迎えに来てもらってすみません。そろそろ行きましょうか」
「うん、行こうか」
頷いた凌は再び体勢を前に戻すと、ゆっくり車を発進させた。
「結子さん、ここには?」
「いえ、初めてです」
一緒に行きたい所があると以前凌は言っていたが、車を走らせること約1時間、何も教えられず連れてこられた場所を駐車場の車内から遠目に眺めた。
「出ようか」
「はい」
車を出て外に降り立つと、改めて周りの景色を見渡した。
今日凌が結子を連れてきたのは、同じ県内にある地元では名の知れた県営の森林公園だった。
わざわざ遠出してまでどこの店に行くのか走行中の車内で疑問に思いつつも敢えて何も問わなかったが、店ではなく公園だとは結子も予想外だった。
時刻はちょうど10時過ぎ、まだ利用者も多い時間帯ではないのか駐車場に止まっている車も少ない。
初めての場所に辺りをきょろきょろ見渡していると、いつの間にか凌が傍に近寄っていた。
「結子さん、とりあえず行こうか………………どうしたの?」
「……え? 何がですか?」
なぜか不思議そうにこっちを見つめる凌に突然問われたので、意味がわからず問い返した。
「その恰好は、もしかして紫外線対策?」
「……あ! これですか。はい、そんなもんです」
ようやく不思議そうに見つめられた謎が解け、自分の姿を改めて振り返る。
人目避けの変装グッズ深帽子、伊達眼鏡、グルグル巻き黒スカーフ3点セットオプションは、以前明美にあえなく没収され、出掛ける間際に明美のタンスからこっそり探し出したものだ。
そのせいでさっき新太に余計あらぬ疑いをかけられてしまった。
「結子さん大丈夫。心配しないで」
なぜか安心しろと笑みを浮かべ頷かれ、手持ちの鞄からガサゴソと何かをあさり始めた。
「はい、どうぞ」
「あ、はい」
なんとも用意周到で気の利く凌は鞄に忍ばせていた折り畳みの日傘を取り出し、すぐに広げてくれた。
どうぞと差し出され、とっさに持ち手を握ってしまう。
「今日は暑いから、これは取ろう」
「……あ」
せっかく明美のタンスをあさってまで探り出した変装3点セットを、凌自らの手であっという間に没収されてしまった。
呆然と日傘を握る結子を残し、凌はすぐさま3点セットを車内に戻すとドアをしっかりロックした。
今だ呆然と車を未練気に凝視していると凌にそろそろ行こうと促され、ようやく駐車場から2人並んで歩き始めた。
森林公園の中は想像以上に広大で、正面入口そばの受付案内所には利用者の為のガイドマップも用意されていた。
1枚頂戴し拝見してみると、おそらく1日では回りきれないほど様々な施設が充実している。
いくつかの散策コースがあり、運動広場やアスレチックはもちろん、植物園やサイクリング、ボートなども楽しめるらしい。家族やカップル、高齢の方にも年齢関係なく気軽に楽しめそうだ。
7月上旬の今日、晴れ上がった空は眩しいほどだが、湿気の少ない程よい風が肌に気持ち良かった。
「結子さん、今日はここでもいい?」
「はい、もちろんです。凌さんはここには何度も?」
快く承諾し並んで歩き始めると、ふいに疑問が過りとりあえず聞いてみる。
結子にとっては初めて訪れた場所だが、今まで一度も地元を離れていない凌は馴染みがあるかもしれない。
「実は俺も中学の時以来だから10年以上振り。あんまり覚えてないけど、良い場所だとは記憶してたから。穴場だし」
「穴場ですか?」
「うん。良い場所なんだけど、なぜかいつも人が少ない」
「ああ…………そういえば確かに」
凌の言葉に思わず納得してしまった。
駐車場でも感じたが、周りに人気がまばらなのは時間帯の問題ではなく普段通りらしい。
「少し遠かったけどゆっくりできるし、無理しなければそこまで疲れないと思って。結子さん人の多い所は苦手だよね?」
どうやら結子が人目を気にしている事にいつの間にか気付いていたらしい、隣を歩く凌は結子に視線を向け優しく気遣ってくれた。
凌の優しさにどう返してよいかわからず、結子は誤魔化すように視線を前に戻した。
せっかく来たのだから散策コースを1つ回ろうと意見が一致したものの昼食を控えた午前中ということもあり、ちょうど傍を通りかかった植物園についでに入ってみることにした。
いきなり凌とサイクリングやボートに乗れと言われても大変困るので、この選択は間違っていなかった。
目の前に咲き誇る花々をただ2人で順に鑑賞するのは気楽であり、普段あまり目に触れる機会もなく花を知らない結子も解説を見ながら勉強になったりと意外に楽しいものだった。
特にその中でも一画にある薔薇園は数十種の多彩な薔薇がトンネルのように周りを囲んでいて、目にも大変美しく感動的だった。
結子と同じく男性の凌も花の知識はほとんどないそうだが、単純な感想を言い合いながら感じ取る彼の様子も明るかったので、結子同様なかなか楽しめたのかもしれない。
思った以上に広い植物園をゆっくり回ったせいか一通り鑑賞し終えた頃には時間も経っており、ちょうど昼12時に差し掛かろうとしていた。
再びガイドマップを見つめ昼食を摂れる場所を探してみると、軽食程度だが売店のある休憩所があるらしい。
「凌さん、ここに行ってみますか?」
結子は簡単に昼食を済ませても構わないのだが凌は違うかもしれないので確認してみる。
「あそこに木陰がある。行こう」
突然指さしで教えられ視線をそっちに向けると、一面芝生になっている広場があった。
凌の言う通り一辺に立ち並ぶ木のおかげで日陰ができている。
確かにせっかくこんなに天気が良いのだから、室内の休憩所でそのまま食べるより外の方が気持ち良いかもしれない。
凌に同意し、とりあえず木陰に向い歩き始めた。
「結子さん、座って」
「はあ…………それじゃ」
さっき日傘だって出てきたのだ。さすが用意周到な凌の鞄は違う。
ぼけっと突っ立ったまま役に立たない結子の前であっという間にレジャーシートを広げてしまった。
座ってと肩を促され、おずおずとシートに腰を下ろす。
地面が芝生なので尻も痛くなく座り心地も良い。
「結子さん、拭いて」
「はあ…………それじゃ」
やはり用意周到な凌の鞄は一味も二味も違う。
ぼけっと座ったまま全然気の利かない結子にウェットティッシュを差し出した。
拭いてと言われ、とりあえず一所懸命ゴシゴシ手を拭き始めた。
「結子さん、どうぞ」
「はあ…………それじゃ」
素晴らしく用意周到な凌の鞄は本当に素晴らしい。
手を拭き終っても当然何もしない結子の前にあっという間に弁当を広げてしまった。
ずっと大きすぎないか邪魔じゃないかと不思議に気にしていた彼の鞄だったが、まさかそこから二段重弁当まで飛び出してくるとは結子も想像外だった。
いつの間にかすでに箸を握らされていた結子は素晴らしく気の利く凌に驚きつつ、目の前の豪華二段重弁当に恥ずかしくも思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。
結子の恥ずかしいゴクリが隣にもまる聞こえだったらしい。凌は鞄から今度は魔法瓶まで取り出し、紙コップにお茶を汲みながら恥ずかしく喉を鳴らす結子を微笑ましく見つめてきた。
微笑ましく見つめられていることなど何も気付いていない結子は、おそらく凌の手で今朝拵えたのだろう目の前の弁当だけを見つめていた。
結子が恥ずかしく喉を鳴らしてしまったのも無理はない。綺麗に詰められた彩り豊かなおかずも種類の変わるおにぎりも大変美味しそうで相当手間ひま込められている。
すでに感心を通り越した結子は弁当まで準備してくれた凌に対し、さすがに申し訳なさを覚え始めた。
「……結子さん、気に入らなかった?」
「え?……は! いや、そんなこともちろんありません!」
一向に箸をつけない結子の態度を勘違いしたらしい、わずかに不安を浮かべこっちを見つめる凌にすぐさま全力否定する。
「ちょっとびっくりしてしまっただけで…………はい、とても美味しそうです」
「よかった…………実は少し不安だったんだ。料理は最近覚えたばかりだし、俺は不器用だから」
正直な感想を伝えるとすぐに安堵を浮かべた凌だが、彼の発した呟きに結子は再び驚かされた。
なんと彼は料理初心者にもかかわらず、相当な苦労をしてこの豪華二段重弁当を拵えたらしい。
ますます申し訳なさが募った結子だが突然ハッと反応すると、慌てておろおろと彼の指先に視線を向けた。
…………………………。
どうやら結子の要らぬ心配だったらしい。
絆創膏一枚貼られていない綺麗な彼の指先は、おそらく大変器用なのだろう。
自分不器用と呟いた謙虚な彼にすっかり騙された。
せっかく彼が今日の為に頑張って作ってくれた弁当だ。食べる事しか役に立たない結子はせめて美味しく戴こうと気持ちを切り替えた。
「凌さん、お弁当ありがとうございます。いただきます」
しっかり礼を伝えてから、ようやく弁当に箸を伸ばした。
やはり自分不器用と呟いた謙虚な彼にすっかり騙されたようだ。
見た目から伝わる通り、味も文句なく美味しい。
「とっても美味しいです。料理は本当に最近?」
凌の言葉を信じないわけではなかったが失礼にも疑いの目を向けると、彼は再び頷きで肯定した。
「実家を出てからしばらくは適当に簡単なものは作ってたんだけど、本格的に始めたのはここ最近」
「料理本かなにかで?」
「うん」
「へえ…………すごい」
短期間に独学でここまで上達した彼に思わず感嘆した。
「もし俺がすごいなら、それは結子さんのおかげ」
おにぎりを頬張りながら意味がわからず疑問の表情を浮かべると、凌も視線をこっちに向けた。
「毎日結子さんのご飯を食べてるから、今度は俺の料理を食べてほしくなった」
ぼんやりと凌を見つめる結子の唇にゆっくりと手を伸ばした彼は、ごはん粒を取り上げ嬉しそうに笑った。




