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 美味しい……

 さすが凌お奨め高級中華店だけのことはある。

 上品で奥深い味もさることながら一皿ごと盛り付けも華やかで趣向を凝らしており、順に運ばれてくる料理の数々に結子はその度感動し舌を唸らせた。

 

「結子さん、どうかな」

「はい、とても美味しいです」

 ついつい目の前の料理に夢中になるあまり言葉を失くしてしまい慌てて肯定すると、凌も安心してくれたらしい、嬉しそうに笑ってくれた。

 

 突然のコース注文にはさすがに驚いたが、こんなに美味しい料理を堪能できるのだ。

 一生に一度あるかないかの贅沢だが、今日くらい許されるだろう。

 エビチリや酢豚など定番もコースに含まれているが、知らない料理の方が多い。

 今まで中華は未知の領域だったが、店で提供する料理の参考になるかもしれない。

 そういう意味でも今日は大変良い機会となった。


 

「結子さんはこの辺りはよく来るの?」

「いえ、買い物は近場で済ませてしまうのでそんなには。最近ようやく瑞姫さんに誘われて来るようにはなったんですけど」

 途中会話がおろそかになってしまったので、凌の質問にしっかり箸を止めた。

「瑞姫とはしょっちゅう?」

「しょっちゅうでもないですけど…………私はこっちに知り合いが少ないので、外に連れ出してくれる瑞姫さんにはいつも感謝してます」

「ここに来て2年も経ってないよね。寂しくはない?」

「なかなか帰れない距離なので、家族や友人に会いたいし心配にもなります…………でも寂しくはないかもしれません。新太とご両親が一緒なんで、毎日楽しくて寂しくなる暇がないくらいです」

 新太家族は揃って明るくいつも騒がしいので、結子はいつだって楽しいし嫌でも笑わずにいられない。

 そんな環境で暮らしているので、かえってこっちに来てからの結子は以前より明るくなったと自分でも自覚しているほどだ。

「……実は、完全勢いのままこっちに来てしまいました。急に職を失って途方に暮れていた時、新太に誘われるまま何も考えず飛び込んでしまいました。今振り返れば恥ずかしいですし、いい年した大人が情けないと思います…………でも全然後悔してないんです」

「わかるよ。結子さんはいつも楽しそうだ」

 つい勢いのまま言葉にしてしまった結子の気持ちを、凌は優しく頷き受け止めてくれた。

「楽しくいられるのは大切な人が周りにいてくれるからです。瑞姫さんが私を大切な人だと言ってくれました。私も同じです。こっちに来て大切な人がもっと増えました」

「……だったら、余計な心配だった」

 結子に聞かせるでもなく、凌は静かに呟いた。

「何の心配ですか?」

「突然、結子さんが帰ってしまわなくてよかった」

 今も結子がここにいることを確かに喜んでくれる凌の有難い言葉に、思わず照れくさくなり視線を外した。

「今更帰っても、おそらく私の居場所はないと思うので…………でも、そう言ってもらえるのはすごく嬉しいです」

「結子さん、俺もいつかなれる?」

「え?」

 意味が理解できず、俯いた顔を再び戻した。

「結子さんの大切な人になりたい」

 


 まるで愛の告白の様だ。

 躊躇なく結子を見つめる凌の目は真剣で一心で、決して冗談ではない。

 隠すことを知らない凌はなんて直球なんだと、結子はしばし呆然と彼を見つめてしまった。

 


「……ええと、凌さんは私にとってずっと前から大切な人です。いつも感謝しています」

「本当に?」

「はい、もちろん」

 今更恥ずかしさが込み上げ顔を赤くしながらも自分の存在を素直に喜んでくれる凌に応えようと、なんとか言葉を返した。

 

 以前自分の料理を美味しいと喜び、感謝を伝えてくれた。

 彼の優しさに気付いた日から、そして今も毎日店に来てくれる彼を、結子はとても大切に思っている。

 


「ごめん…………俺、嬉しくて」

 結子の反応があまりに意外だったのか、凌は口元にこぶしをあて明らかに顔を赤らめ俯いてしまった。

 初めて見る彼の意外過ぎる一面に、驚いた結子は思わずマジマジと見つめてしまった。

 一見大人で落ち着いている彼は今、まるで少年のように純粋で初々しい。




「食べようか」

「あ、はい。そうですね」

 ようやく普段の彼を取り戻してくれた凌に促され、しばらく止まっていた箸を再び動かし始めた。

 最後に提供されたデザートの杏仁豆腐を美味しく食べ終え、十分満腹となり熱いお茶を口に含んだ。

 

 ちらほらと続けていたさり気ない会話が一時途絶える。

 すでにお茶以外綺麗に片付けられたテーブルを見つめるわけにもいかず、向かいの凌に視線を向けた。

 よく考えれば自分は今、凌と2人きりだ。

 あれほど怖がっていた周りの視線を気にしないでいられるのは、今いる場所が完全個室だからだ。

 ほぼ毎日会うものの、こうして2人きりで長時間向かい合う機会など今までなかった。

 今改めて、目の前の凌の姿に意識を向けた。

 

 結子は凌と知り合ってからこれまで、彼の姿をじっくり見つめたこともふり返ったことも一度もなかった。

 凌は綺麗な男性だ。

 男性に対し綺麗という表現はあまり似つかわしくないかもしれない。

 けれど、彼にはそれがすんなりあてはまる。

 繊細な造作に一際印象深い切れ長の目は鋭利で、薄い唇と後ろに流された黒髪と相まって大人の静の雰囲気を強く感じさせる。

 長身の瑞姫と並ぶ姿がより華やかで人目を惹きつけるのは、美しい瑞姫に引けを取らない彼の容姿と纏う存在感、そして同じく長身の均整とれた身体つきのせいだ。

 一見近づきがたく冷たくも感じさせる彼の外貌が、不思議にも彼が笑うと一変して優しい雰囲気に様変わりしてしまう。

 そして時に、結子が驚くほど純粋で素直だ。

 結子は今まで表面しか知らなかった彼の姿を、今日初めて見つめ直した。



 ようやく我に返った結子は、不躾にぼんやり彼を見つめていたことに気付き慌てて目を反らした。

 ほんのわずかな時間だったと思うが、沈黙のまま彼と見つめ合ってしまった。

 今更なんとなく気まずくなり、ソワソワと視線を彷徨わせる。

 彷徨わせたついでに近くにあった品書きを再び目に入れてしまい、心の中であっと声を上げた。

 今頃になってようやくそのことを思い出した結子は、慌てて隣の椅子に置いたバックを掴んだ。

「すみません、ちょっとお手洗いに」

 向かいの凌に一言小さく謝りそそくさと立ち上がると、さり気なくその場から去った。


 




 やっぱり……

 嫌な予感はここでも的中してしまった。

 ひとり個室のトイレに逃げ込んだ結子は財布の中身をマジマジとのぞき込み、静かに顔色を失くした。

 おそらく足りるだろうと五千円札1枚程しか入れなかった昨夜の自分を急激に思い出し、案の定確認すれば当然1枚ぽっきりだ。

 突然のコース注文にたまには贅沢もいいだろうと気が大きくなっていたが、実質五千円の結子には贅沢する資格などあるはずもなかった。

 何度札をこすり合わせても5千円1枚が突然2枚に増えてくれるはずもなく、最悪いやおそらく2枚でも足りないかもしれない現実に思わず手が震える程焦りと絶望を滲ませた。


 仕方なく観念しトイレから出るしかなかった結子は、今だ顔色悪く元いた席に向いふらふらと歩き出した。


「結子さん、こっち」

「…………え」

 呼び止められ力なく振り向くと、席にいるはずの凌がすでに店の入り口前に佇んでいた。

「そろそろ行こう」

「はい…………あの、実は私」

 5千円ぽっきりしか持っていません、出来ればお金貸してくださいと正直に白状しようと口を開いた結子を無視して、凌はすぐさまドアを開けさっさと出ろと促した。

「は、はあ……」

 傍に立つ店員にもありがとうございましたと深々お辞儀され帰らざるを得ない雰囲気を感じ取り、とりあえず慌てて外に出る。


 店を出てからようやく凌が自分の分も含めて会計を済ませてくれた事実に気付き、あわあわと彼を引き止めた。

「すみません、私今日所持金が少なくて…………あの、いくらでしたか?」

「どうして? 俺が誘ったんだよ。結子さんは気にしないで」

「いや! そういうわけには」

「いいから、お願い」

「は…………」

 なぜか突然お願いされてしまい、結子はそれ以上抵抗できず言葉を失くしてしまった。


 食事を奢る側が奢らせてくださいとお願いするなんて、ちょっとおかしくないだろうか。

 それとも凌の言う通り誘った側が奢るのはごく普通のことで、頑なに遠慮することは逆に失礼なのだろうか。

 確かに新太とフードコートで買い食いする時は、たこ焼きの誘惑に負け立ち止まった方が奢るのはごく当たり前のことだ。

 ここは潔く奢ってもらうことにして、後日何らかの形でお返しするほうがスマートな大人の対応かもしれない。

 

「あの、ご馳走様でした。とても美味しかったです」

 素直に凌の気持ちを受け取ると、深々とお辞儀し感謝を伝えた。

 結子の礼の言葉に凌が明らかに安堵の表情を浮かべたので、やはり彼の厚意を受け取って正解だったと感じ取った。

 


「結子さん、せっかくだからそこの映画館に寄って行こう」

「映画……」

 ランチの約束を無事済ませ後はもうすっかり帰るつもりだった結子は、店の斜め向かいにある映画館にたった今初めて気付かされた。

 女性を中心に途切れなく入って行く客の姿を見つめ、おそらく若者女子向けラブストーリーの上映時間が迫っている事を瞬時に察し、すぐさま表情を曇らせた。

 凌はしっかり表情を曇らせたはずの結子を完全無視し、許可も聞かずさっさと歩いて行ってしまう。

 先ほど高級中華を奢ってもらった負い目があり当然抵抗できるはずもなく、仕方なく彼の後を追いかけた。




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